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『暗いところで待ち合わせ』インタビュー第二弾! 天願大介監督

まもなく公開となる『暗いところで待ち合わせ』。インタビュー第二弾は天願大介監督をお届け! 天願監督といえば巨匠・今村昌平監督を父親にもつ、今後期待の監督。初めて監督・脚本を手がけた『妹と油揚』(91)でPFF審査員特別賞を受賞し、『アジアン・ビート(日本編)アイ・ラブ・ニッポン』で長篇監督デビュー。今村監督作『うなぎ』(97)、『カンゾー先生』(98)、『赤い橋の下のぬるい水』(01)の脚本にも参加。『暗いところで待ち合わせ』では、小説の映画化は初めてながら、アキヒロの設定を大胆に変更するなど、より映画的でエモーショナルなものへと昇華させている。そんな監督に本作についてたっぷりと伺った。

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まもなく公開となる『暗いところで待ち合わせ』。インタビュー第二弾は天願大介監督をお届け! 天願監督といえば巨匠・今村昌平監督を父親にもつ、今後期待の監督。初めて監督・脚本を手がけた『妹と油揚』(91)でPFF審査員特別賞を受賞し、『アジアン・ビート(日本編)アイ・ラブ・ニッポン』で長篇監督デビュー。今村監督作『うなぎ』(97)、『カンゾー先生』(98)、『赤い橋の下のぬるい水』(01)の脚本にも参加。『暗いところで待ち合わせ』では、小説の映画化は初めてながら、アキヒロの設定を大胆に変更するなど、より映画的でエモーショナルなものへと昇華させている。そんな監督に本作についてたっぷりと伺った。

原作ものの映画化は、初めてですね?

最初に乙一さんの小説を読んで思ったのは、非常に映画にするのは難しいということです。一見簡単に、映画になりそうな話なのですが、主人公のミチルの目が見えないということもあって、映像で写してしまうと成立しないことが多い。逆に難しいからこそ、やってみたいという思いが強かったんです。まず脚本を書いて悩んだのは、誰の視点で描くのがベストかという判断です。ミチルの側に立つと、誰かが自分の家にいると思ってドキドキする。彼女の家に入り込んだアキヒロのほうから見れば、ミチルに自分の存在が分かってしまうのではないかと常に緊張している。どちらの側に立って描いても成立するんです。その視点に関しては、微妙な配分で脚本を書いていきました。

ミチルの家という同一空間にいながら、言葉を交わさない2人の緊張感が、作品の面白さになっていますね?
2人は肉体的にはそれほど離れていないんですが、最初ミチルはアキヒロを存在していないと思っている、つまり心理的にものすごく離れているわけです。その心理的な距離が徐々に近づいていく感じを出すために、細かい日常描写まで、とにかく丁寧に撮ることを心がけました。細部を積み重ねることで、観ているお客さんが単に緊張するだけではなくて、2人に関心を持ってもらえるのではないかと思ったんです。

ミチルは外に出ることを怖がり、アキヒロは仕事場でうまく人と接することができない。2人には社会や人間に対して、一歩踏み出せないという共通点があるようですが?

それは2人がナイーブだということです。もしニブかったらヒドイ目にあっても、それに気づかないまま生きていくことができる。でもナイーブだったら、ちょっとしたことにつまずいたり、苦しんだりしてしまう。しかしそういう人間だからこそ発見できるものもあるし、人の気持ちがわかるという部分もあります。2人は不器用で繊細な部分が似通っているんでしょうね。

そのナイーブさをアキヒロ役のチェン・ボーリンさんはうまく表現していますね?
原作のアキヒロは日本人の設定です。映画では日本と中国人のハーフに変えています。この役を外国人の俳優さんに演じてもらうのはかなり冒険でした。チェン・ボーリンはとてもハンサムで、同時に荒々しいタフな感じも表現できる。しかもお芝居が柔らかいのでナイーブなアキヒロにはピッタリでした。また彼は育ちがいいんですよ。アキヒロが追いつめられて、松永に対する殺意を募らせながら自分の部屋にいる場面があるんです。僕はこの時、『君も、人を殺したいと思ったことがあるだろう。そのことを思い出して演じて欲しい』と説明したら、彼はしばらく考えて『そんなこと、思ったのは一度もない』と。僕は人を殺したいと思ったことが17回以上あるから、自分が恥ずかしくなった(笑)。そういう彼の真っ直ぐな素直さが、アキヒロ役に反映されていますね。日本語のセリフに関してはお互いにかなり苦しみましたけれども、最後までやり遂げてくれて感謝しています。

ミチル役の田中麗奈さんは、盲目の演技をするためにトレーニングをしたんですか?
視覚障害者が日常生活のリハビリをするための施設に協力していただいて、田中さんには何度か通ってもらいました。目隠しをして白杖を持ち、外を歩いてもらったり、料理を作る訓練を見せてもらったりして、ミチルの日常的な動きを掴んでもらいました。基本的に僕は、ピアノを弾いてもらうことまで全部、俳優自身にやってもらいたいんです。それで失敗するかもしれないし、時間がかかるかもしれない。しかし自分が演じることで、俳優も発見することが沢山ある。目が見えない芝居を身につけることで、田中さんはミチルに近づくことになったと思う。しかしストレスは溜まっていたようですね。一度、セットで長い静かな芝居を撮っていたとき、休憩中に彼女は外へ出て『本間ミチルー!』と自分の役名を叫んでました。緊張を強いられるから、どこかで発散したかったんでしょうね(笑)。

そのミチルを、アキヒロが介助して外を歩くシーンが印象的ですが?
あそこはある意味、2人にとってのラブシーンだと思って撮りました。愛を狭義に捉えると男女の愛ということになるんでしょうが、ここでの愛は誰かを好きになる、誰かを認める、誰かと一緒にいることが嬉しいと思うといった、もっと広い意味での愛でしょう。その不器用だけれどもナイーブな2人の愛と、殺人事件を絡めたミステリー。さらにはミチルと彼女の親友カズエの間で繰り広げられる、視覚障害者の自立という問題まで、作品に含まれた様々な要素を楽しんでいただけると嬉しいです。
《シネマカフェ編集部》

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