「世界がこうあってほしいという願いを投影した」ニコラ・フィリベール、自作を語る

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『かつて、ノルマンディーで』 ニコラ・フィリベール監督
  • 『かつて、ノルマンディーで』 ニコラ・フィリベール監督
  • 『かつて、ノルマンディーで』 -(C) Les Films d'Ici-Mai¨a Films-ARTE France Cine´ma-France 2006
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被写体に寄り添ってその内面をじっくりと映し出す、現代最高のドキュメンタリー作家の一人、ニコラ・フィリベール。銀座テアトルシネマでは、“ニコラ・フィリベールのまなざし〜正しき距離”と称して同監督の過去の作品の数々を上映中。さらに、2月2日(土)からは日本初公開となる1994年の『動物、動物たち』が、2月9日(土)からは最新作『かつて、ノルマンディーで』(写真右下)が公開される。『かつて、ノルマンディーで』は、30年以上前にフィリベール監督自身が助監督として参加した『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』の出演者たちの足跡を追う、いわば監督自身の映画の原点をたどる作品。本作について監督に話を聞いた。

監督は自身のドキュメンタリー製作における基本的なアプローチをこう語る。
「私は撮影を前に、被写体の人たちと入念な準備をすることはありません。起きていることをそのままフィルムに収める形で映画を作っていきます。彼らの“自発性”を大事にしたいのです。本作においても、事前に人々に会いはしましたが、核心的な質問はあえてしませんでした。もしそれをして、彼らに同じ答えを繰り返させれば、当然クオリティは劣ってしまいます。私は撮影の対象について、知らなければ知らないほど良い映画ができると思っています。純粋無垢な視点で、“自分が知らない”ということを発見し、理解していくという気持ちで映画に臨みたいのです」。

自らの過去の体験を題材にしたことについて「映画監督としての自らのルーツに立ち返りたかった」と言う監督。これまでの作品と比較して、撮影の過程、そして完成した作品に対して、監督自身は何か違いを感じているのだろうか。
「撮影の方法に関しては、これまでと大きな違いはありません。ただ本作では、私が携わった『私 ピエール・リヴィエールは…』の断片や、風景、生の人の声に手記など、多様な素材を使用しています。また、作品の構造も、マトリョーシカのようにいくつもの層が重なり合っています。30年以上前の映画の出演者たちの足跡に加え、映画の題材となった19世紀の殺人事件、さらにその事件についてのテキスト…といった具合に。こうした点はこれまでの作品にはない、新しい試みと言えます」。

本作における豚の屠殺シーン、『動物、動物たち』の、はく製となった動物たちの描写など、監督の作品には“死”を強く意識させる描写が多く存在する。
「私自身、決して死…特に暗い意味での死に魅せられているわけではありません。『動物、動物たち』には一見、死の匂いを感じるかもしれませんが、私はそこにどこか詩的なものを感じています。本作でも、豚をさばくことはあの村にいる者にとっては、ごく当たり前の日常なのです。“日常に潜む死”が持っている厳しさ、暴力性を見せたくて、あのシーンを入れました」。
実際、監督の作品で描かれる“死”は、決して寒々しさを感じさせるものではない。監督の“日常に潜む死”という言葉は、逆に“死”というものを通しての“生”に対する、温かいまなざしを感じさせるが、監督は自身の“人間観”について、苦笑交じりにこう語ってくれた。
「私自身は、人生や人間に対して暗いイメージを抱いています。人間は、残虐で下劣で卑怯で醜いことをする本質を持っていると思っていますし、本質的に野蛮な人間という動物が本能のままにふるまわないようにするのが、教育であると考えています。そんな人間がうごめいている世界で、生きていこうとさせてくれる何か——少なくとも私は、それでも生きたいと思える何かを見つけたいと思っていますが——それが“美”なんです。映画を観ると、私は楽観主義者に見えるかもしれませんが、実のところそうではありません。作品の中で見せているものは、世界の現実と言うよりも世界がこうあってほしい、という私の願いが投影された世界なんです」。

ニコラ・フィリベールのまなざし〜正しき距離
http://www.nicolas-movie.jp/index.html
《text:cinemacafe.net》
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