『100歳の少年と12通の手紙』シュミット監督×富永まい監督 対談インタビュー

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『100歳の少年と12通の手紙』 エリック=エマニュエル・シュミット監督×富永まい監督
  • 『100歳の少年と12通の手紙』 エリック=エマニュエル・シュミット監督×富永まい監督
  • 『100歳の少年と12通の手紙』 -(C) 2008 Pan-Europeenne-Studiocanal-Oscar Films-TF1 Films
  • 『100歳の少年と12通の手紙』 エリック=エマニュエル・シュミット監督
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わずか10歳にして余命を宣告された少年・オスカー。医師も、そして両親でさえも彼を気遣い真実を告げることができない中で偶然出会ったデリバリーピザの店主・ローズは、誰よりも正直に彼に接し、残されたこの世界での日々の少なさに落ち込む少年にこんな提案をする。「1日を10年と考えて過ごすこと。毎日神様に宛てて手紙を書くこと」。このときから少年の人生は大きく動き始める——。想像力を武器に100歳の人生を駆け抜けた少年と彼との交流の中で人生に確かな“愛”を灯していく周囲の人々の姿を描いた『100歳の少年と12通の手紙』。この命の奇跡の物語を手掛けたのは『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』の原作と脚本、そして『地上5センチの恋心』の監督として知られるエリック=エマニュエル・シュミット。このたび、本作に強く共鳴したという『食堂かたつむり』の富永まい監督と来日を果たしたシュミット監督の対談が実現! “命”や“死”を温かさをもって描いてきた2人が熱く語り合った。

ファンタジーのなかで描かれる確かなリアリティ

富永:映画を拝見して感動したと同時にすごくハッピーな気持ちになりました。私自身、監督として映画を作る上で、人の心の内面や精神世界を映像にしたいという欲求が高いので、そうした作品に感銘を受けることが多いんです。この作品がすごく刺激になって、まず嬉しかったのと、加えて一人の観客として感動したのは、非常に人物を公平に描いていること。命の長さ、短さ、子供、大人に関係なく、命というものが平等で公平なものだということを映像の美しさと共に描かれていたということに感動しました。

シュミット:ありがとうございます。私自身も映画のどこに興味があるかと言うと、やはり登場人物の魂の中にどれだけカメラが入り込めるか、彼らの内面をどれだけ映し出せるかというところなんです。今回の作品についても、オスカーの目を通して彼が見た世界や人物を描くのであって、あくまでオスカーの主観に沿っている。オスカーの頭の中に描かれる映像がその映画の中で描き出される、という作りにしました。時に面白いシーンも残酷なシーンもあるけれど、それは彼の目を通した世界だから、そこには嘘はないと思うんです。実は私は、あまりリアリズムな映画には関心がなくて、主観的な物語、映像を大切にしているんです。私にとってカメラというのはペンと同じ存在なんです。劇中の舞台もリアルな場所ではなく、あくまでもオスカーが見たその場所が映し出されており、リアルな場所ではありません。

富永:いまおっしゃられたようにリアリティとは離れた世界ではあるんですけど、ある意味ものすごくリアルさを感じるんですね。ファンタジックに描くときに私も気をつける部分でもあるんですが、シュミット監督の作品の素晴らしいところは、人間の内面を映像化しているんだけれど、それが決してただのファンタジーではなくて、心と繋がっているある種のリアリティになっているところ。これは理想ですがすごく難しいことだと思うので、すごく感銘しました。

シュミット:確かに想像というのはリアルな世界ではない。けれども存在するんです。人間の心や頭の中に存在する、それはそれでリアルなものだと思います。想像は人生をものすごく豊かにするものだと自分では思っているんです。1日を10年だと思って生きるというローズの提案、それはオスカーにとっては人生最大のプレゼントだったんじゃないかと思います。それがあったからこそ——もちろん、想像の中ではあったけれども——彼は人生の様々なときを経験することができ、深みのある味わい深い人生になったと思います。

少年が遺したもの

シュミット:劇中、“砂漠の花”というものが出てくるんですけど、一日で枯れちゃう花です。「枯れた花のあとに種が残るでしょ」ってローズが言うんです。この言葉はある意味、オスカーにとっては残酷なシーンだと感じていました。なぜなら、彼は想像の中では100歳を超えて生きるけれど、実際はそうではなく、子孫を残すことができませんよね。でも、後になって考えてみたら、オスカーが遺したもの——ローズや両親に伝えた彼の愛情は、しっかりと彼らの記憶に残るでしょう。生きている人たちが彼の死後も人生経験をできると考えたとき、肉体はなくなっても遺すものはあったんだ、と。あれは彼の人生のメタファーなんだと思いました。

富永:素敵なシーンでした。陽気に描かれているのも良いですね。日本にも難病の子が死んでしまう映画が山ほどありまして「いかに映画館に泣きに行くか、泣きに行かせるか」が命題だったりするわけです。誰でも幼い子供が難病で死んでしまえば泣きますよ。でも、この映画はかわいそうで泣くんじゃない。この少年が素晴らしく生きたことに感動させてくれる。これが人間の持ってる力なんだと感じさせてくれる。“難病モノ”という点で同じ題材だけど到達点が違うんです。泣く映画を観に行く日本人にぜひ観てほしいと思いました。

“命”はみんなに公平——それを象徴するローズ

富永:ローズという人物は、乱暴に見えるけど公平な人物に思えました。死ぬんだと言われてる子に「そうだよ」と言うところから2人の関係が始まる。それは勇気がいるし、残酷なことかもしれないけど公平なんですよね、命はみんないつかなくなる、というところで。前作の『地上5センチの恋心』の主人公のオレットさん(カトリーヌ・フロ)も公平な人物であり、そこが魅力的でした。

シュミット:2人とも大人の女性ですが幼児性が抜けてない。嘘がつけなくて言動がダイレクトなんです。オスカーがいじけてロッカーで過ごすシーンがあります。ローズはそのことについてオスカーに「楽しかった?」と聞くんです。普通の大人なら「なぜそんなことしたの?」と聞くか説教じみたことを言うものです。そうやって話しながら、彼女が意識してるわけでもないのにオスカーの苦痛は和らいでいく。『地上5センチの恋心』のオレットと作家の関係も同じです。作家が抱える重い問題が、オレットとのやり取りを通じて軽くなっていく。それは、ローズやオレットが持っている率直さ、真っ直ぐな物の見方が作用してる。私は作家として同じようにありたいと思います。話題にされないことについて壁を打ち砕き、言葉でタブーを破るのが作家である、と。

富永:2人のようでありたいと憧れますが、一生、子供でいるには才能がいりそうですね(笑)。それから、ひと目見て魅了されてしまうオスカーくん。彼を演じた子役と接する上で、特に今回は難病を抱えた少年ですが、どんなことを大切にされたんですか?

シュミット:私と(オスカー役の)アミール、(ローズ役の)ミシェル・ラロックと3人で台本を繰り返し読んで練習しましたね。病気を抱えている、というところを表現するのが難しかったようですが、ミシェルも難しさを感じていたようです。というのも彼女はアミールに心から愛情を感じてかわいがっていたので、それが演技に出ると良くない。突き放す、あっさりした感じで表現しないといけません。堂々とさらっと演じてるようですが、カットが掛かってから外で泣いていたこともありました。

富永:自分だったらメロメロで正しい判断ができなくなると思います(笑)。毎回、編集室で「しまった!」と思うんです(苦笑)。最後に、映画からは離れてしまいますが、日本はいかがですか?

シュミット:日本を訪れるのは2回目です。来る前はどこかで先入観を持っていたのですが、着いたとたんに日本に魅了されてしまいました。『ロスト・イン・トランスレーション』のように、異国で自分を見失うような感覚を味わっています。ある意味で、日本に対する憧憬が強くなった感じもします。「太れない相撲取り」という短い小説を書いたのですが、今度はそれを日本で映画に撮りたいです。不思議と日本にいると、パリにいるより気持ちよくて違和感がないですよ。

富永:私は東京で毎日、違和感を持ってますけど…(苦笑)。

シュミット:ここで生活しているわけではないから居心地がいいんでしょう。きっとあなたはパリが気に入ると思いますよ。私の方はパリは大嫌いです(笑)!
《text:cinemacafe.net》

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