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【MOVIEブログ】映画としてのドキュメンタリー

このブログでも前に触れたドキュメンタリー映画の傑作『阿賀に生きる』(92年/佐藤真監督)のリバイバル上映が好評で、この度アンコール上映が決まりました。リバイバルのアンコール。1月19日からユーロスペースで2週間の予定です。前回見逃した方、今回こそ是非!

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『阿賀の記憶』
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このブログでも前に触れたドキュメンタリー映画の傑作『阿賀に生きる』(92年/佐藤真監督)のリバイバル上映が好評で、この度アンコール上映が決まりました。リバイバルのアンコール。1月19日からユーロスペースで2週間の予定です。前回見逃した方、今回こそ是非!

で、今回は『阿賀に生きる』に加えて、その10年後を描いた『阿賀の記憶』(04年/佐藤真監督)もリバイバル上映されます。こちらは、1月26日から。新潟県の阿賀野川に寄り添って生きる人々の暮らしを3年間かけて撮影した『阿賀に生きる』と、『阿賀に生きる』に登場した人物が次々と世を去った10年後に再びかの地にキャメラを向けた『阿賀の記憶』。

続編と位置付けることが可能ではありますが、『阿賀の記憶』は『阿賀に生きる』とは全く違ったテイストを持った作品です。「生きる」が「動」なら、「記憶」は「静」。記憶の映画化、不在の映像化に取り組んだ、野心的で実験的で大胆な美しさに満ちた作品が『阿賀の記憶』です。

ただ、現在の分かりやすいドキュメタリー映画に慣れている観客には、いささかハードに映るかもしれません。できれば『阿賀に生きる』を見た上で、自らの感性を全開にして臨む必要があります。観客を一つの方向に誘導するような、ナレーションやテロップ説明は一切ありません。「作家性」という言葉を敢えて使いますが、『阿賀の記憶』は純粋に佐藤真監督の作家性が凝縮された芸術作品であり、アート系ドキュメンタリー映画として独自の地位を築いていると言っていいでしょう。

ところで、最近、ドキュメンタリー映画に対する世間の「鈍さ」のようなものを意識させられることが多く、気になってしまいます。例えば、キネ旬の星取り表のベテランレビュアーが、若手監督の意欲的なドキュメンタリー作品に対して素人レベルのコメントをしている様にはかなりがっくりきましたが、それも現実なのだと受け止めねばならないのかもしれません。

あるいは、最近あるアメリカのドキュメンタリー映画を日本の劇場で見ていたら、状況説明のテロップ字幕が、日本語しか出てないことが気になってしまい、映画に集中出来なくなってしまいました。どういうことかというと、例えば「3年後」とか「ところ変わってどこどこの前」とかを説明する字幕が、日本語しか出ない。

もとが外国映画なわけで、英語でそのテロップがもともと入っていたとしたら、それを削除して日本語訳だけを加えるのは、たとえ監督の許可を得ていたとしても、乱暴だと思ってしまいます(許可を出す監督もいかがなものかととても思う)。逆に、もともと英語のテロップが入っていないところに、日本語のテロップを追加で入れたとしたら、なおさら違和感は増します。

そして、別の日本のドキュメンタリー映画のケースですが、その作品には有名役者のナレーションが入っており、僕はそのナレーションが映画を傷つけている印象を受けました。例えば、ある劇場の客席が映るシーンがあったとして、そこに「満席だ」とナレーションが入る。満席の劇場が映っている画面に、「満席だ」とのナレーションは、映画では不要です。それが必要なのは、洗い物で台所に立っても話の筋を追うことが出来るテレビの場においてでしょう。

『阿賀の記憶』を佐藤監督と作っている時、字幕を入れるか、ナレーションを入れるか、徹底的に議論しました(僕はプロデューサーで参加していました)。字幕を入れるのも、ナレーションを入れるのも、監督にとって極めて重要な演出(の選択)の一部です。

結果、『阿賀の記憶』の場合は、状況説明を加えたり、新潟の強い方言で話されている内容が分かるような手段を取ったりするよりも、「声の記憶」や「土地の記憶」の追及にこだわろうということになり、字幕やナレーションを入れないことになりました。結果、「分かりやすさ」は後退したものの、映像作品としての純度は高まったと思っています。

もちろん、字幕やナレーションを入れないことがドキュメンタリーとして上位であるということを言いたいわけでは、決してありません。入れるのも入れないのも、監督が徹底してこだわった選択なのだ、ということです。映画の場合は。

映画であるか、映画でないか、もうどうでもいいじゃないかという人もいるかもしれません。でも、僕はまだどうでもよくない。どっしり構えた、ナレーションも字幕もたっぷりの堂々たる『阿賀に生きる』と、繊細で詩情に溢れ、ナレーションと字幕を排除した前衛的な『阿賀の記憶』。「映画」としか呼びえない、ドキュメンタリー映画のふたつの神髄の形が、ここにはあるのです。

さらに、蛇足めいてしまいますが、テレビを出発点として映画へと至り、しかしテレビや映画やドキュメンタリーやフィクションの枠を軽々と超越し、突出した傑作して君臨する『フラッシュバックメモリーズ3D』(松江哲明監督)が、いよいよ1月19日から公開されます。『阿賀に生きる』から『フラッシュバックメモリーズ3D』へと至る流れを書きたいところですが、長くなるし、次の機会に譲ることにします。が、今の時代を生きるものとして、いずれも必見の映画であると、強く強く断言しておきましょう。
《text:Yoshihiko Yatabe》

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