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バブルへの怒りが生んだ『ラピュタ』『トトロ』…冷戦後の混沌で『紅の豚』が誕生

『風の谷のナウシカ』が公開されたのが1984年。翌1985年に宮崎駿は高畑勲らと共に「スタジオジブリ」を設立。その後、約30年にわたって邦画史上に残る名作アニメーションを作り続け、このほど長編アニメーションからの引退を表明した。

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『天空の城ラピュタ』&『となりのトトロ』&『紅の豚』
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  • 『天空の城ラピュタ』&『となりのトトロ』&『紅の豚』
  • スタジオジブリ・宮崎駿監督/引退会見
  • 『風立ちぬ』 -(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK
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『風の谷のナウシカ』が公開されたのが1984年。翌1985年に宮崎駿は高畑勲らと共に「スタジオジブリ」を設立。その後、約30年にわたって邦画史上に残る名作アニメーションを作り続け、このほど長編アニメーションからの引退を表明した。

9月6日(金)に行なわれた宮崎監督の引退会見では、これまで送り出してきた作品に対する思いや時代背景についての言及も見られた。

ジブリ設立と同年9月、アメリカ・ニューヨーク市のプラザホテルでのG5(先進5か国財務大臣・中央銀行総裁会議)における為替レート安定化の合意、いわゆる“プラザ合意”を引き金に、日本はバブル景気へと突入していく。

ちなみに大人気のドラマ「半沢直樹」の半沢らが銀行へと入社したのも、数年の隔たりはあるものの、バブル景気の中の大量採用時期のこと。同ドラマでは、バブルの崩壊により入社当時の理想とはかけ離れた世相の中で苦闘するバブル入社組の姿を描いているが、初期のジブリ作品はまさに浮かれた世の中への怒りの“弾丸”であった。

会見で宮崎監督は「ジブリを作った頃を思い出すと、浮かれ騒いでた時代だったと思います。『経済大国になって日本はすごいんだ』、『ジャパン・イズ・No.1』とかね。それについて僕は頭に来てました。頭に来てないと『ナウシカ』なんか作りません。『ナウシカ』『ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』というのは、基本的に経済は勝手に賑やかだけど、心の方はどうなんだ? とそういうことを巡って作ったんです」と明かした。当時と変わらず、いや当時以上に株価や経済効果が声高に叫ばれる現代において、30年を経てもなお初期の作品が愛され続ける理由が分かる気がする。

その後、「ソ連が崩壊して、日本のバブルも弾けていき、その過程でもう戦争は起こらないと勝手に思っていたら、ユーゴスラビアが内戦状態になるなど歴史が動き始めた。いままで自分たちがやって来た作品の延長上では作れない時期が来た」と述懐。その結果、「体をかわすようにブタを主人公にしたり(『紅の豚』)、高畑監督はタヌキを主人公にしたりして(『平成狸合戦ぽんぽこ』)切り抜けたんです」。

『魔女の宅急便』、『紅の豚』に登場する街のモデルがアドリア海に面するクロアチアの街であるというのはファンの間でもよく言及されるが、美しい自然を持つ街が戦火に巻き込まれていくことへの哀しみが、作中の美しい街の描写に込められていると言えるのかもしれない。

時代をつぶさに見つめ、作品を作り上げてきた宮崎監督とスタジオジブリ。宮崎監督は「抽象的な言い方で申し訳ない」と断りつつ、「僕らのスタジオは、経済が上り調子になっているところでバブルが崩壊する、そこのところで引っかかっていたんです。それがジブリのイメージを作ったんです。その後、ジタバタしながら『もののけ姫』を作ったりいろいろやってきましたけど、僕の『風立ちぬ』までズルズルと下がりながら、これはどこに行くんだろう? と思いつつ作った作品だと思います。ただ、このズルズルが長くなり過ぎると、最初に引っかかっていた引っかかりが持ち堪えられなって、ドロっといく可能性があるところまできてるんじゃないか」とこの30年の軌跡を分析する。

『風立ちぬ』に関しては韓国人の記者から、ゼロ戦を題材にしたことによる論争について質問が出たが「映画を観ていただければ分かると思っている。色々な言葉に騙されないで、今度の映画も観ていただけたら。モチーフそのものが、軍国主義が破滅に向かっていく時代を舞台にしていますので、色々な疑問が私の家族からも、自分自身からも、スタッフからも出ました。それにどういう風に答えるかということで映画を作りました。ですから、映画を観ていただければ分かると思います」と語った。

また、最も思い入れのある作品を問われると『ハウルの動く城』を挙げ、「一番自分の中にトゲのように残っている。ゲームの世界なんですが、それをゲームではなくドラマにしようとした結果、本当に格闘しました。スタートが間違っていたんだと思うんですが…」と煩悶を覗かせた。

会見中、たびたびその名を口に出した作家で「文藝春秋」の元編集長でもある半藤一利の言葉を借り、「(バブル崩壊による)失われた10年は失われた20年になり、半藤一利さんは失われた45年になるだろうと予言していますが、多分そうなるのではないか」と諦観とも取れる言葉を漏らした宮崎監督。

一方で「基本的に子どもたちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それはいまも変わっていません」とも。

今後、アニメーションに携わるのであれ、それ以外の仕事に注力するのであれ、その仕事を通じて宮崎監督がどのように時代と向き合い、次世代の子どもたちに向け、どんなメッセージを発信していくのか? 次なる一手を楽しみに待ちたい。
《シネマカフェ編集部》

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