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【インタビュー】浅野忠信 運命に導かれ、世界を彷徨する男

「『忠臣蔵』って知ってる?」

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浅野忠信『47RONIN』/Photo:Naoki Kurozu
浅野忠信『47RONIN』/Photo:Naoki Kurozu
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  • キアヌ・リーブス/『47RONIN』 (C)Universal Pictures
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  • 真田広之/『47RONIN』 (C)Universal Pictures
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「『忠臣蔵』って知ってる?」

「もちろん、日本人なら誰でも知ってるよ。というか、オレは浅野だよ!」

後から聞くと、まるでコントのようなやりとりだが、初めて顔を合わせた際に浅野忠信とカール・リンシュ監督との間で実際に交わされた会話である。そして、この日の話し合いをきっかけに浅野さんは、「忠臣蔵」をハリウッドで新たな世界観によって描いた『47RONIN』で、よりによって浅野家の宿敵・吉良を演じることになる。

「浅野が吉良役ってとんでもないことになったな…(笑)」。これが正式に吉良役としてオファーを受けた際の浅野さんの第一印象。「でも、面白い。きっと僕にしかできない吉良があるぞ、と思いましたね」。浅野さんは楽しそうにふり返る。

そもそもの始まりは、浅野さんにとってハリウッド進出1作目となった『マイティ・ソー』のために、L.A.に足を運んだとき。L.A.で顔を合わせたある関係者から、「忠臣蔵」のハリウッドでの映画化の話を耳にした。

「そのときは『機会があればお前もな』という感じで話してたんです。その後で(ハリウッド2作目の)『バトルシップ』が入ったんですが、『47RONIN』は同じユニバーサルで、プロデューサーも同じ人物。つまり、僕のことを継続的に見てくれていたんです。『バトルシップ』の撮影の段階で、彼が『次、何をやるのか分かってるよな?』と話をしてくれたんです。僕の方も『もちろん行きます。何でもやるよ!』と即答してました」。

最終的に監督から「いま、キャリアの中で、お前はヒーローをやりたいか? それとも悪役をやりたいか?」と尋ねられた。

「僕は日本でのキャリアで90年代にさんざん、ヘンテコな役をやって来た。その後、30代でいままでやらなかったような役もやったけど、それを経て、もう一度自分はデビュー当時からやっていた、クセのある役にフォーカスしたいという思いが強くなった。やはり、そういう人間を演じるのが向いてるんじゃないかと。だから『悪役がやりたい』と伝えたんです。そうして吉良の役をいただいたので、この役にいま、自分がやりたいことの全てがぶつけられるという思いでした」。

では、具体的に“浅野版・吉良”をどのように作り上げていったのか? 浅野さんは吉良を単なる悪役ではなく「哀しい男」として捉えた。

「吉良を含め、自分がこれまで演じてきたこのタイプの男というのは、何故こんな風に他人から憎まれるのか? 彼らはどうやって生きようとしてるのか? と考えると、いや、こいつらもよくなろうと思いながら生きてるんだって思った。それでも何かが欠けてたり、自分さえも気づかないトラウマを抱えていて自分をコントロールできなかったりしてるんだと。そうやって脚本を読んでいくと、吉良にすごく奥行きを感じましたね。現場でも『オレはワルだぜ』というのではなく、『オレはよく生きようと思ってるし、頑張ってるんだよ』というのが過剰で、裏目に出てしまう男として演じました」。

祖母から冗談交じりに「うちの話だよ」と子どもの頃から聞かされていたという「忠臣蔵」をベースにした本作で吉良を演じたことを含め、これまでのハリウッドでの3作に、浅野さん自身、目に見えない運命のようなものを感じているという。

浅野さんの祖父がアメリカ人であることは、広く知られているが『マイティ・ソー』出演を機に、浅野さんはアメリカで自らのルーツを辿った。その模様はNHKの番組でも取り上げられたが、浅野さん自身も知らなかった事実を知ることになった。

「アメリカでチャンスをもらえることになり、おじいちゃんの墓参りに行き、アメリカの『先祖.com』的なところでもルーツを調べたりしていったんですが、僕にはオランダとノルウェーの民族の血が入ってるんですね。ノルウェーを始め、北欧はバイキングの誕生の地ですが、『マイティ・ソー』はまさにバイキングたちの北欧神話を基にした作品。『バトルシップ』も日米の軍人が協力して戦う物語だけど、おじいちゃんはコックでしたが軍人で日本にやって来た人でしたし、『あぁ、これはおじいちゃんが僕のアメリカでの挑戦を導いてくれてるんだな』と感謝しました」。

アメリカでの挑戦に関しては、オファーが来るのを待つというスタンスでやっていける世界では当然ない。日本の作品にも出演しつつではあるが、長いスパンで挑んでいくという覚悟の基で飛び込んでいる。

「いままでもアジアの作品で海外に飛び込むことはしてきたけど、それはその作品ごとの一時的なものだった。アメリカに関しては、粘り強く挑んでいきたいという気持ちが以前からありました。簡単に済む世界じゃないし、済ませたくない。3年、4年で結果が出るものではないので、長い目で見ていこうとエージェントにも伝えてあります。諦めずにじっくりとやっていきたいですね」。

自らも言及しているように、90年代からとがった作品に出演をする機会の多かった浅野さんが、ハリウッド大作にというのは意外にも思えるが、ハリウッドへの視線というのは若い頃から持ち続けていたという。

「やはり、おじいちゃんの国でどうやって映画を作っているのか? という興味はこの仕事を始めた頃からありましたね。若い頃は生意気でとんがってたので、『ハリウッドなんて興味ない』くらいのことインタビューでも言ってたみたいです(笑)。こないだ、海外のジャーナリストにも突っ込まれました(苦笑)。それでも、やっぱりやりたかったですよ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大好きだったんで、それこそユニバーサルのスタジオでポスターを見たときは、『あんなに繰り返し観て、オレを楽しませてくれた映画を撮ったスタジオでオレも仕事ができるのか!』って感動しました」。

本作で共演を果たした真田広之や、渡辺謙といった日本のトップ俳優たちが『ラストサムライ』でハリウッドの扉を開いたのがちょうど10年ほど前。浅野さんが『マイティ・ソー』に出演するまでそこから約8年がある。この間にアメリカにおける日本人俳優の存在の大きさは劇的な変化を遂げた。浅野さん自身、この年月をどのように見ているのか? いや、もっと直接的に、先人たちが彼の地で活躍する姿に焦燥や羨望を感じることはなかったのだろうか?

「実は、『ラストサムライ』のオーディションは僕も受けたんです。でも、そのときの自分の姿勢はあまりに生意気だったし、落ちても全く気にしてなかったんです。でも完成した作品を観たら、あまりに素晴らしくて…。そこに自分が参加できなかったこと以上に、自分の取り組み方が気に入らなかった。真剣にやって落ちたならしょうがないけど、あまりにも生意気な態度で受けた自分が許せなかった。

あの作品で、みなさんが懸命に力を注いで、あれだけの結果を出したというのはいわば当然ですし、その一方で自分がすごくダサく思えた。そこから、一つ一つの仕事にすごく真剣に取り組むようになりましたね。

そのときに『モンゴル』との出会いがあった。僕はこれまでほかの方々と違う道を歩いてきたという自負もあるし、これからもそうありたい。その意味で、『モンゴル』という作品で結果を出してアメリカに呼んでいただけるようになったのは、自分にふさわしい回り道だったのかなと思うし、真剣にやればチャンスが来るということに感謝もしています」。

もう一つ、突っ込んで聞きたいのは先に述べた、求められる役柄の変化について。20代でとがった役柄を数多く演じてきたが、30代でそこから方向転換を図り、そしていま、浅野さん自身が「原点回帰」と語るクセのある役柄への再転換。何がこうした変化をもたらしたのか?

「20代でいろんな役をやって来たけど、ふと立ち止まったときに思ったんです。『これだけじゃないはずだ』って。正直、自分のやり方に自分で飽きてきたところもあったんです。だからこそ、30代でこれまでやらなかったことをどんどん試してみたんですが、そうすることで逆に限界も感じました。

当然ですが『向いてないもの、できないこと、オレがやるべきではないものもあるんだ』と。そこでもう一度、立ち返りたいって思えたんですよね。もちろん、若いときにやらせてもらったような役はもう来ないし、いまの年齢でしかできない役、いまだからこそやりたい役もある。いまの年齢になったからこそ、ぽっかりと空いたところが見えたりするんです。

『そこ、何でオレにやらせてみないの? 何で日本でこういう映画を撮らないの?』と思うようなことがたくさんあるんです。『いまならそこ、オレにやらせたらかなりイケるよ』と(笑)。自分にしかできないものを出す――自分で答えを明確にしていく作業というのが、これから非常に重要になると思ってます。そこに向き合っていくことがモチベ―ションですね」。
《photo / text:Naoki Kurozu》

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