【インタビュー】市川海老蔵 vs 千利休<後篇> 息子に伝えたい、父・團十郎の偉大さ

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市川海老蔵『利休にたずねよ』/Photo:Naoki Kurozu
  • 市川海老蔵『利休にたずねよ』/Photo:Naoki Kurozu
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市川海老蔵とは何者なのか――?

ひたすらに“美”を追い求める利休の生き方に共感を示しつつ、「どんな衝撃にも耐えうるようにあろうと思えば、どんどんデカくならなきゃいけない。だから色々やりますよ」と笑い、「ブログもやるし、Facebookもやるし、歌舞伎もするし(笑)、映画にも出る。全部やった方がいいと思うんです、アーティストとして」と言い切る。

歌舞伎よりブログが先か(笑)! というツッコミはともかく、実際に彼はいまも全方位で全てを進行中だ。「ひと月の1日から25日まで舞台に立って、翌日にこうやって取材を受けて(笑)、また翌日から稽古が始まる」という過密スケジュールの中で、だ。もちろん、彼の生活の中には“家族”もいる。いま一度、問う。市川海老蔵とは何者なのか?


■ 映画を「旅している」 ■

――『利休にたずねよ』は海老蔵さんにとっては『出口のない海』、『一命』に続く3本目の映画出演作となる。海老蔵さんにとって、映画に出演するとはどういうこと?

「映画界に身を置いてるというわけじゃなくて、旅してるんですね、映画を。人生と同じで人との出会い。どんな監督と出会うか? 脚本家と出会うか? 共演者と出会うか? 作品の芸術性というのは結局、そいつ(=自分自身)の背中にかかってて、そこは努力すればいいけど、努力では買えない“運”というものがある。

でも、歌舞伎ばかりしてたら歌舞伎の人としか会わない。25日間公演があって、翌々日から次の公演の稽古。会ってもせいぜい300人でローテーションが変わるだけ。梨園(=歌舞伎界)と言ったってそこで狭く生きるだけが全てじゃない。もともと、傾(かぶ)いてるわけですから。

傾いてる者たちが狭いところで集まって『これが歌舞伎でござい』なんて言ってもダサい! そういう意味で、世の中をもっと知る上で映画というのは、芸術性が高いし、人々が身銭を切って観に来てくれるという意味で舞台に近いですからね」。


■ ひとつの役を掘り下げる楽しみ ■

「僕ら、歌舞伎役者は、多いときはひと月で15役やることもある。そうすると、ないものねだりで『2~3か月、ひとつの役だけに集中してみたい』とか思うわけです(笑)。やっぱり掘り下げ方が違ってくる。15もの人格があると、一人に対して5時間かけても75時間かかる。その75時間で、たったひとりのことを考えられたらそりゃ楽しいですよ。

それは足りないとか多いって問題ではなく、気づくことが多いということ。もっとその役の生き方まで考えられると思う。利休について先ほど言った(※<前篇>参照)『秀吉に服従していたら、いまのお茶の姿はないかも』とか『先々まで受け継がれていく未来を予見してたんじゃないか?』なんていう考察は、歌舞伎だったらそこまで掘り下げる必要もないかもしれない。そこまでの時間を必要ともしないし、子どもの頃からやって来て分かってもいるし限界もありますから」。


■ 「舞台上だけが本番」から「日常こそ本番」の境地へ ■

――近年、海老蔵さんの意識に訪れたという大きな変化。それは舞台上での演技と日常とを分ける壁が取り払われたことだという。

「僕が間違っていたことなんですが、若い頃、いや数年前までは歌舞伎の舞台の上だけが本番だと思っていた。そんな人生だから、あとのことはどうだっていいじゃないか。プライベートで何したっていいだろうって。

けど近年では『日常も本番』と思えるようになった。朝起きて、神棚に手を合わせて水を入れ替えたり、花を挿したりする。そんなところから本番で、そうした日常の延長に舞台があるんだなと思えるようになった。

そういう意味で、無駄な緊張がなくなってきて、それが実力を発揮するということだったりするんです。昔、思っていた『舞台が本番』なんてのは、いわば当たり前なんです。舞台のために生きてる――それじゃ小っちゃい。常に本番じゃなきゃいけないんだと。

父が亡くなったことも大きいかもしれない。朝起きて、太陽を見ると『今日もありがたい』と思う。父はもうこの太陽を見られないわけですから。それを見られる、家族がいるということに感謝の思いが沸いてくる。もちろん、人間だからバランスを崩すことはありますよ。でも、それを舞台の上で調整できるようになってきましたね。

昔は舞台の上で全てを注いでいたから調整なんてできなかったけど、いまは舞台の上で精神を安定させることができる。そうなるともう舞台上が日常ですよね。まあ、もはや舞台に立っている時間の方が長いくらいですからね」。


■ 父・團十郎との最後の共演 映画だからこそできたこと ■

――『利休にたずねよ』は、父であり師でもあった市川團十郎との最後の共演の機会となった。最後の最後の共演機会が、歌舞伎の舞台ではなく映画となったことに、海老蔵さんはある感慨を持っていた。

「中学や高校の頃、よく『お父様と共演していかがですか?』という質問されたけど、子どもの頃から共演してるから普通なんだよ! って思ってました(笑)。生意気だったもので。ですけど、やはり父との舞台でのやり合いは楽しかったです。

でも、舞台だと絶対に“答え”があるんですよね。本当は舞台に答えはないんだけど、実はある。父の中に。そのルールに違反すると怒られるんですが、でも映画には答えがない。その答えのない映画で最後に共演を果たして、間の取り方やちょっとした目のやりとりで、父にとって不満な部分はあったと思いますが、映画は自由なので、『(團十郎さんは)こう思ってるんだろうな』と思いつつも、そうした思いをかき消しながらやるというのは初めてでした。

それは、本当に幸せな時間を過ごさせていただきました。いまだに覚えてます。本当に…幸せだったな。でも、しょうがないですね。僕が生きている限りはそれを全て覚えてますからね」。

――そして、海老蔵さんは最後に、團十郎さんの死後に誕生した我が子への思いを口にした。

「まあ、倅(せがれ)なんてものは、大きくなると父親になんて興味は持たないで、ないものねだりで祖父に憧れるんだと思う。生きている祖父に会えなかったということは、想像するしかないわけで、僕自身がまさにそうでした。

(海老蔵さんにとっての祖父の)11代目團十郎は、若い頃は『海老さま』と呼ばれてすごい人だったと認識しているから、その存在は僕にとってはどデカいんですよ。父も大きいけど、現実に目の前にいたから反発心が先にきて、気付かずにいました。

でも、死なれてしまうとすごいですね。祖父に憧れるというのは目の前にいないからなので、僕の次の目標は生きている内に自分の孫の憧れになることなんです(笑)。そうなると長生きしないといけないけど(笑)。

倅には、いつか『おじいちゃんはどんな人だったの?』と聞きにきてほしい。『大きくておおらかで、舞台に出てきただけで、大輪の花が咲いたようなすごい人だったよ』と伝えたい。『お前がビデオで見たって分からないよ。肉眼で見ないと芝居は分からないんだよ』という話をいつかしてみたいですね」。

【インタビュー】市川海老蔵 VS 千利休 <前篇> 命懸けの美意識への共感と憧憬
http://www.cinemacafe.net/article/2013/12/05/20701.html
《photo / text:Naoki Kurozu》

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