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ロバート・デ・ニーロ、亡き父と性的指向について話すべきだったと告白

ロバート・デ・ニーロ(70)はいまは亡きゲイの父親ともっと腹を割って話すべきだったと感じているそうだ。1943年にロバート生まれて間もなく、ゲイとして生きるために母の…

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ロバート・デ・ニーロ-(C) Getty Images
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ロバート・デ・ニーロ(70)はいまは亡きゲイの父親ともっと腹を割って話すべきだったと感じているそうだ。1943年にロバート生まれて間もなく、ゲイとして生きるために母のヴァージニア・アドミラルの元を去った画家のロバート・デ・ニーロ=シニアだが、デ・ニーロはその亡き父ともっと心を開いてコミュニケーションを取るべきだったと「OUT」誌に語っている。

「僕にとって父はいつも偉大な画家だよ。まぁ、父は(ゲイであることの葛藤を)たぶんしていただろうね。あの世代にとっては、ましてや(ニューヨークの)北部の(シラキュースという)小さな町の出身だからね」「僕はあまり気にしていなかったんだ。もっとそのことについて一緒に話していればよかったと思うよ。母は基本的にあまり話したがらなかったし、あまり物事を気にしない年頃だったんだよ」。

HBO局に向けて1993年に他界した父を描いた新作のドキュメンタリー「リメンバリング・ジ・アーティスト:ロバート・デ・ニーロ=シニア」を監督したデ・ニーロは、自分と父親が典型的な父子の関係ではなかったものの、親しかったと続けている。「お分かりの通り、野球を一緒にやるような父子ではなかったよ。でもつながりはあったんだ」「父と母は離婚していたから、父と多くの時間を過ごしたわけではなかったよ。ドキュメンタリーの中でも言っているけど、父のことはある点において尊敬していたんだ」「父はあまり存在感がないこともあったよ。でも父はとても愛情深くで、僕のことも子どもたちのこともとても大好きだったんだ」。

また、デ・ニーロはこのドキュメンタリーの製作が、自分が好きでやったことだとしている。「やらなきゃいけない気がしたんだ。義務のように感じたよ。父についてのドキュメンタリーを作ることは僕の責任だったんだよ。HBOで放送するためにやったことではなく、自分がただ作りたかっただけなんだ」。

(C) BANG Media International
《シネマカフェ編集部》

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