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【MOVIEブログ】2015 コンペ作品紹介(4/5)

10月22日から開幕する東京国際映画祭のコンペティション部門の作品を地域別に紹介していますが、その第4弾は、中東・西アジアと、東アジア編です。

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10月22日から開幕する東京国際映画祭のコンペティション部門の作品を地域別に紹介していますが、その第4弾は、中東・西アジアと、東アジア編です。

『カランダールの雪』(トルコ)

今年の大きな発見と叫びたいのが、このトルコの『カランダールの雪』です。監督のムスタファ・カラは1980年生まれの35歳。ドキュメンタリー映画を数本手がけた後、準備に数年を費やして完成させたのが『カランダールの雪』です。構想段階から考えるとかなりの長期に渡った念願のプロジェクトであり、そのような大事な作品をトーキョーがワールドプレミアでお迎えできるのは、本当に光栄なことです。

トルコの険しい山麓で暮らす家族の姿を描く物語で、電気も水道もないあばら家に暮らし、わずかな家畜と農業で前近代的な生活を送っている。これは一体いつの時代だ? と思わずつぶやいてしまうのですが、ドキュメンタリー出身という特性を生かして、実際に山に住み込んでこのような極貧の村を取材したのではないかと思わされます。

本作はフィクションではあるけれども、土地に密着し、じっくりと時間をかけて対象を撮影していくという、優れたドキュメンタリー監督の粘り腰がいかんなく発揮されています。荒涼として、厳しく、そして荘厳なまでに美しい大自然の迫力に、文字通り圧倒されます。

そして、この作品をより魅力的なものにしているのは、厳しい生活と大自然のリアリズムに惹きつけられる一方で、とても素敵な物語が展開することです。一家の主は、家の仕事を手伝わず、山肌にへばりついては、岩を採取してばかりいる。鉱脈を発見して一獲千金を夢見る夫に、妻は呆れていて、そろそろ冬がやってくるから冬支度を手伝ってちょうだい! と怒るものの、夫はわかったわかったと言いながらもまた山に入ってしまう。

こんな、どこの家庭でも見慣れた光景が、とてつもなく愛しくておかしい。夫が次に目をつけたものに家族が振り回されていく様子が映画のメインになっていくのですが、厳しいリアリズムと、ほのかに温かい物語の絶妙なギャップが、本作を並の大自然ものとは全く違う次元の面白さへと引き上げています。

トルコ映画は、本当に豊かだなあとつくづく思います。東京でも特集が開催されたばかりのヌリ・ビルゲ・ジェイランを筆頭に、レハ・エルデム、セミフ・カプランオールらのトップランナーに加えて、3年前のトーキョーに来てくれた『天と地の間のどこか』(主演女優賞受賞)のイェシム・ウスタオール、劇場公開が10月24日(土)に迫る『シーヴァス』のカアン・ミュジデジなど、各世代に優れた監督が溢れていて、今年の「アジアの未来」部門の『父のタラップ車』のハサン・トルガ・プラットもそのひとりですが、新人も続々登場する。この土壌の豊かさの理由を探して掘り下げねばならないとの思いは、年々深まるばかりです。

過去30年あまりの間に、表現の自由の浸透とジェイランの国際舞台での活躍が映画作家を後押しし、近年の国の経済の好調が映画産業を支えたという環境はあるでしょう。元々、東西を結ぶ要地として蓄積された文化の豊かさは世界有数であるし、芸術が栄える条件が整っている。

一方で、トルコが誇る圧倒的な大自然と、経済発展が続く都市部との格差ギャップや、同じく経済優先が導く自然破壊が、映画作家の表現意欲をモチベートしているようにも見受けられます。また、EU加盟を申請し、サッカーでは欧州選手権に参加する一方で、イスラム国家であり、まぎれもない西アジアの国であるという、国家的アイデンティティーの揺れも、表現活動にとっては重要なモチーフになり得ると想像します。もちろん、クルド人問題という極めてシリアスな問題も抱えており、不謹慎な言い方ですが、状況を外部へ伝える手段として映画が果たし得る役割はとても大きい。

大事な話を生半可な知識で単純化するのは危険なのでやめますが、とにかくトルコには注目ということは繰り返し訴えたいところです。上記のような動機を多少なりとも内包しつつ、近年のトルコ映画では、自然に対して独自のアプローチを試みる映画が目立つ印象も受けます。ムスタファ・カラ監督と『カランダールの雪』の登場は、その系譜に連なる作品と言えます。しかし、その独自性は全く驚くべきものであり、まさにトルコ映画の充実ぶりを世界に証明することになるはずです。

『ガールズ・ハウス』(イラン)

イランからは、『ガールズ・ハウス』を招待します。1昨年の『ルールを曲げろ』、昨年の『メルボルン』に続き、現代の都会を舞台にしたドラマです。3作に製作上の関連は全くありませんが(たぶん)、僕は勝手に「現代イラン若者三部作」と呼んでいます。いまのイランの若者が直面している現実を、サスペンスフルなリアリズムで描く点で共通しており、内容の面白さで引っ張りながら深いメッセージを送ってくる脚本が巧みで、それを映像化する演出にも唸る作品群です。

映画の冒頭で、2人の女性が、翌日に迫った友人の結婚式に履いていく靴のショッピングをしている。楽しそうに翌日の話をしながら別れると、一方の女性の携帯が鳴り、新婦に悲劇が起きたことを知らされる…。

いったい友人の女性に何があったのか。青春ドラマの変形であり、社会派ドラマであり、そして謎解きドラマの要素もある。やがて見えてくるのは、イランとイスラムの一般社会の影。若い2人の女性が事件モノを引っ張ること、そして社会問題に踏み込むことなどから、新しいタイプのイラン映画であると呼んでいいのだと思います。

『ルールを曲げろ』は、権力が芸術家から表現の自由を奪っている状況を、娘が父親から渡航の自由を奪われる物語に置き換えて表現したものであり、そして『メルボルン』は、国外移住が成功への唯一の道であることが強調されるが故に、大きな罪を隠ぺいしてしまうドラマでした。

これら2作が、表面上の物語の裏に巧妙にメッセージを潜ませていたのに対し、『ガールズ・ハウス』はより直接的に訴えてきます。しかしその語り方には演出上の工夫が凝らされており、ストーリーテリングの妙を楽しむことが出来ます。いや、楽しむ、というのはドラマの性格上あまり的確ではないのですが、状況に胸を痛めつつ、やはり映画的な快楽を楽しむことが出来るのが、優れた映画たるゆえんでしょう。

シャーラム・シャーホセイニ監督は、73年生まれの42歳。バフマン・ゴバディ監督などに助監督として付いたのちに製作した短編が国内で評価され、その後監督した3本の長編がいずれもイランでヒット作となっています。長編4本目となる『ガールズ・ハウス』は、監督のキャリアでも異色の1本になるはずで、イラン国内の反応などを是非聞いてみたいところです。

また、俳優陣も充実していて、アスガー・ファルハディ監督の『彼女が消えた浜辺』('09)に出演していたラーナ・アザディワルが消えた新婦を演じ、同監督の『別離』('11)で共演者とともにベルリン映画祭の男優賞を受賞したババク・カリミが新婦の父親で存在感を発揮しています。新郎役のハメッド・ベーダッドもイランのトップスターのひとり。新婦の友人役のペガー・アハンガラニもとても美しく、出演作が相次いでいる状態。是非、現代イラン映画の最前線を目撃して下さい。

『スナップ』(タイ)

東アジアへと移動し、タイから『スナップ』です。監督のコンデート・ジャトランラッサミーは、いまや現在のタイ映画を代表する国際派監督のひとりと呼んでも過言では無い存在で、近作の多くが日本でも上映されています。『手あつく、ハグして』('08)、『P-047』('11)は大阪アジアン映画祭、『タン・ウォン~願掛けのダンス』('13)は昨年の東京国際映画祭で上映され、これらはベルリン映画祭を始めとした海外の有力映画祭を賑わせてもいます。

僕がコンデート作品を初めて見たのは『P-047』で、比較的遅かったのですが、形而上的な世界観が非常に刺激的で、すかさずベルリン映画祭でプロデューサーのソロスさん(本当に素晴らしい人)に話しかけ、コンデート監督も紹介してもらい、以来トーキョーのコンペにお招きすることを楽しみにしていたのでした。なので、今回ひとつ夢が叶った思いです。

もっとも、コンデート監督は作品毎にスタイルを変えてきます。『P-047』の形而上的ファンタジー風味から一転して、『タン・ウォン』は伝統舞踊に挑む少年ダンサーたちのストレートなドラマだったし、脚本を手がけた『ラスト・サマー』はホラーでした。この振り幅の広さは痛快です。

そして、新作『スナップ』は、胸をしめつけられるように切なく美しい青春恋愛ドラマだった!

高校を卒業して8年。26歳になったプーンは、軍人の恋人との結婚を意識する時期に入ってきている。そんな時、同級生が母校で結婚式を挙げることになり、プーンは久しぶりに故郷に帰る。結婚式には、プロのカメラマンになったボーイが撮影係で手伝っていた。思い出の校舎を訪れながら、プーンは、ボーイとの過去を思い出す。どうしてあのときうまくいかなかったのか…。

いいですね。王道ですね。メランコリックで、センチメンタル。でも、感情はとても抑えられているので、決して「ベタ」にならず、美しい。映像がポップな味わいであったり、時に抒情的にしっとりしていたり、場面ごとに工夫が行き届いていて、静かに感情の盛り上がりを演出してくれる。これは本当に上手い。そして、とても美しい。

いささか脱線しますが、ちまたでは「男性の恋はフォルダー保存で、女性の恋は上書き保存だ」ということを言うそうですね。僕はあまりに無粋でそういう男女の機微に全く理解が及ばんのですが、どうやらそういうことらしいですな。しかし、プーンの恋は上書き保存されてなかった。婚約を前にして、過去の恋が蘇ってきてしまった…。なるほど、その動揺は分かります。

表面的には青春物語であり、青春の終りの物語です。誰もが通過する時期を、楽しくそして美しく描く作品ですが、それだけではないのが重要なところです。いや、青春映画として楽しむだけでも全く問題ないし、そもそもそのように作られています。しかし、クーデターの余波でバンコクに戒厳令が発せられているという物語の背景が、やはり重要です。コンデート監督は、社会情勢に対する彼なりのスタンスを作品の細部に反映させていきます。不穏な情勢下でも人は恋愛しながら人生を生きるしかない、と受け取るか、戒厳令の現実にいかに超然としていられるかを描いた、と受け取るか、様々な解釈が可能でしょう。ともかく、この背景の存在が、映画をより深いものにしていることは間違いありません。

プーン役の女優さんは、もとアイドルグループに所属していたこともあるとのことですが、現在は大学生で、今後は歌手デビューの予定もあるようです。スチール写真でも伝わるかもしれませんが、とても美しくてかわいいです。来日が期待されますね!

で、上述したトルコもそうですが、タイもまた才能の宝庫でわくわくします。昨年の東京国際映画祭でタイを特集しましたが、良質なエンタメを手掛けるノンスィーやニティワット、名エディターとしてアジアの監督たちを支えるリー・チャータメーティクン、若手のアート派ナワポンがいて、そしてもちろん先行するペンエークやアピチャッポンの大物がいて、さらにジャンルを行き来する多彩で多才なコンデートがいて、ああ、書いているだけで興奮します。

『ぼくの桃色の夢』(中国)

中国からは、ハオ・ジエ監督の新作で『ぼくの桃色の夢』を招待します。ハオ・ジエ監督は、東京フィルメックスが処女長編の『独身男』('10)と2本目の『ティエダンのラブソング』('12)をコンペティションで上映してきており、前者は同映画祭の審査員特別賞を受賞しています。フィルメックスが育てた才能をお預かりするような気分ですが、大事に応援しなければと身が引き締まります。

『ぼくの桃色の夢』は、80年代中頃からスタートする少年の成長記です。中国が経済大国への飛躍に向かう助走期と少年の成長期が重なっていきますが、それは時代の背景として確実に意識すべきとして、映画は少年の日々に焦点を集中します。基本的にコメディードラマなのですが、今年のコンペの他の作品と同じように、この作品も途中から徐々に意外な展開を迎え、その姿を変えていきます。

少年は全寮制の学校に入るのですが、まあその実体がリアルでびっくりというか、笑えます。子どもたちが寝返りの隙間もないくらい狭い場所で並んで寝かされていたりして、ああ、こんなんだったのだろうなあと、驚きながらも納得してしまう面白さ。少年は、入学早々美少女に一目ぼれをして、彼女に対する想いが映画全編の原動力となります。

大人になってからの意外な展開が素晴らしいのですが、ここでは書きません。女性に対する長年の想いに、どのような形で決着を付けるのか、ジエ監督の鮮やかな演出を堪能して頂きたい。

処女長編の『独身男』では老年の独身男性の性への欲望が、そして『ティエダンのラブソング』では農村の性生活が、いずれもユーモアを交えておおらかに描かれていましたが、本作でも少年の性への目覚めが明るく描かれます。ハオ監督は、性への欲望は日常の一部なのだからそれを普通に描くというスタンスでいるようで、その「普通さ加減」がなかなか絶妙です。

実は、この作品の中国語の原題が『我的春梦』で、調べてみると、「私のはかない夢」という意味だということで当初は『僕のはかない夢』という邦題を付けようと思っていました。すると、ジエ監督本人から、ここでの「春梦」には少しエッチなイメージもあるので、「桃色の夢」にしないかい、と提案があり、即採用としたのでした。なるほど、「春画」のように、春には少しエロティックな意味もありますからね。そんなことを念頭に置きながら本作を見るのも楽しいです。

『ティエダンのラブソング』で来日したときのフィルメックスのインタビューで、ハオ監督は次のように語っています(HPより抜粋):「自分の撮る映画は、自分の人生と密接に関係している。(1980年以降に生まれた)『八十後』の若者として、自分の歩いてきた道―農村に生まれ、都会に出て、恋をして、仕事をしてきた経験を描いていきたい」。『ぼくの桃色の夢』にも、監督の自伝的要素が含まれています。しかし、自伝映画ではないとのことなので、どのように脚本が執筆されたかを来日時に伺うのが楽しみです。

ハオ・ジエ監督は81年生まれの34歳。中国市場は商業映画が席巻していますが、農村出身であるという自分のルーツを大事にしながらスケール感のある作品をコンスタントに発表するハオ監督は、作家映画の領域で確実に次代を担う存在になっている感があります。つまり、要注目です。
《矢田部吉彦》

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