【MOVIEブログ】2016東京国際映画祭作品紹介 「コンペ」(西アジア・東南アジア編)

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【MOVIEブログ】2016東京国際映画祭作品紹介 「コンペ」(西アジア・東南アジア編)
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  • 『誕生のゆくえ』
  • 『ダイ・ビューティフル』(c) The IdeaFirst Company Octobertrain Films
東京国際映画祭「コンペティション」部門の作品紹介第4弾、いよいよアジアに行きます。まずは西アジア、トルコからです。

トルコも良い作品が多くて(と全ての国に同じことを言っているけれども、本当にそうなのだからしょうがない)、毎年頭を抱えてしまう国です。今年も悩みつつ選考を進めてきましたが、TIFFでお馴染みの監督が、コンペでの招待に迷うことの無い傑作を仕上げてきたので、最後の決断は迅速でした。

レハ・エルデム監督の 『ビッグ・ビッグ・ワールド』。レハ・エルデム監督は、2010年に特集を組んだこともあり、過去作全作をTIFFで上映してきています。2013年には『歌う女たち』がコンペ、『Jin』が「ワールドフォーカス」部門で上映されていて、前者が形而上的な表現も含んだスピリチュアルな作品、後者がゲリラの少女のサバイバルドラマでありましたが、新作『ビッグ・ビッグ・ワールド』は、そのふたつを兼ね合わせたような内容になっています。

映像美という点で、今年コンペの16本中、屈指の作品と言っていいと思います。とにかく、映像に溺れて、五感で見てほしい、という以上のことが書けない…。

これで終わりにするわけにもいかないのでもう少し書くと、まず若い兄妹が孤児院から出て、別れて暮らしているらしいという背景があります。兄は妹に会いたいのだけれど、妹が引き取られた家族が会わせてくれない。兄は食い下がるけれど、門前払いをくらってしまう。そこで兄は極端な手段に出て、妹を奪還するが…、というのが映画のイントロ部分です。

作品の解釈は観客に委ねられている作品ですが、解釈云々よりも、映像が細胞に入ってくる感覚といったらいいかな。「アジア映画の森」(作品社)という書籍が出版されたほど、アジア映画と森との関係は深いものがありますが、本作でも主役となるのは森です。いや、アジア映画に限らず、森は映画全般と関係が深く、それは森という存在が神話を始めとする「物語」と密接に関係しているからでもあるわけですが、そこは実に刺激的な領域です。

森の奥は未知=恐怖、という図式がまずはあるとして、本作はそこに触れつつ、スピリチュアルな世界に踏み込んでいきます。僕が覚えたのは、もはやそこでは、人間と動物そして植物との間に垣根はなく、昼と夜は一体化し、そして生と死は地続きである…、というような、一種幸福な感覚でした。しかし、観る人によって、感じ方は様々なはず。過度な解読は野暮になりそうです。映画祭後に語り合いましょう。

レハ・エルデムは1960年生まれで、パリで映画を学んだ後、88年に『月よ』で長編監督デビューしています。90年代は舞台演出とTVCM撮影を主戦場にしていましたが、99年の『ラン・フォー・マネー』から映画をコンスタントに撮り続け、本作が9本目の長編作品です。TIFFのアジア部門の石坂健治ディレクターは「エルデム作品の大きな特徴はその寓話性と、それを展開させる際の荒唐無稽な想像力にある」と書いていますが、まさに本作でもこの特徴がそのまま当てはまります。才能の宝庫トルコでも、ひときわ個性的な輝きを増すレハ・エルデムの世界、堪能していただきたいです。

西アジアからもう1本は、これまたトルコと並んでコンペに欠かせない国、イランから、『誕生のゆくえ』という作品です。

『ルールを曲げろ』(13)、『メルボルン』(14)、『ガールズハウス』(15)と、TIFFのコンペでは現在のイラン社会が見えてくる作品を続けて招聘していますが、これはイラン映画界においてこのような都会の現代劇がとても増えているという状況を反映した結果でもあります(ちなみに、『ルールを曲げろ』のベーナム・ベーザディ監督は、テヘランで暮らす家族のトラブルを描いた新作が、今年のカンヌ「ある視点」に選ばれています)。

ファルハディ以降、と呼んで構わないかと思うのですが、現代の都会と家族をモチーフとし、怒涛の会話の応酬が物語を引っ張るスタイルが、現在のイラン映画の完全に主流になっています。キアロスタミ的な「風景」を持つ作品は隅に追いやられ、都会の家族の会話劇が、もはやひとつのジャンルを形成しているのではないかと思いたくなるほど多く作られています。その流れの中の、今年の最上の1本が、『誕生のゆくえ』です。

夫婦がいて、妻が第二子を妊娠する。互いに仕事があるし、2人目は予定していなかったので、夫婦は中絶することに同意する。しかし、やがて妻は悩み始める…。

イラン人でなくても、西側(という言い方も古いですが)の人間であれば、理解しやすい背景設定のはずです。入口が入りやすいのは、馴染みの低い国の映画作品である場合は助かります。一回入ってしまえば、あとは、現在のイランで中絶手術が認められているのかどうか、あるいは我々の考える「人権」がどのように扱われているのか、という疑問に対する答えを探すことが、すなわちサスペンスに直結してきます。この構造は面白い。

要所に、激しい会話の応酬がありますが、それぞれがドラマのターニングポイントになっていく。いまやイラン映画のトレードマークと言いたくなるような演出です。もちろん、ただ会話があるわけではなく、激しい会話を交わさざるを得ない状況に人物たちを追い込んでいく脚本が上手い。事態が自分の手に余ることを自覚したとき、主人公たちは必死の抗弁に活路を求めます。

夫婦の葛藤の物語として見ても十分に面白いですが、イラン映画(に限らずですが)を見るときに意識したいのは、隠れたメッセージを読み取ろうとすることです。前述の『ルールを曲げろ』は、若い女性の役者が海外公演に行くことを父親が頑として許さないという物語でしたが、そこには芸術家の自由を高位の存在が抑圧している、というイランの体制に対する批判が読み取れました。

『誕生のゆくえ』は、夫がドキュメンタリー映画監督、妻が舞台女優という設定なので、イランの表現者の置かれた状況を描くことがサブテーマかもしれません。もっとも、妻の出演する演劇の台本が検閲を通るのを待つ、というようなエピソードが赤裸々に出てくるので、行間を読むどころではないのですが。妊娠中絶を扱うこともあり、実は本作はイランではかなり突っ込んだ作品なのかもしれない? 監督が来日したら聞いてみましょう。

モーセン・アブドルワハブ監督は、1957年生まれで、80年代から映画業界でキャリアを積み、主にドキュメンタリー映画の編集に携わり、多くの短編映画のプロデュースもしている人です。長編監督作としては本作が4本目ですが、さすが安定した映画作りを見せてくれます。本作のこのもさることながら、現在のイラン映画界の話をじっくりお伺いするのが楽しみです。

さて、西アジアから、東南アジアに飛びます。フィリピンから、『ダイ・ビューティフル』という作品で、ジュン・ロブレス・ラナ監督の新作です。

ラナ監督は、2013年のTIFFコンペに出品された『ある理髪師の物語』の監督で、同作で見事主演のユージン・ドミンゴに主演女優賞をもたらしています。現在のフィリピン映画界で最も才能のある監督のひとりで、こうやってTIFFのコンペにワールド・プレミアで戻ってきてくれて、本当にこれ以上嬉しいことはないくらいです。

というのも、今年のTIFFコンペでも屈指の感動作と呼べるかもしれないです。いや、あまり期待値を上げ過ぎるとよくないのだけれど、それほど「あおりたい」気分にさせる作品です。こんな映画、いままで見たことないし、役者に輝きを与えるラナ監督の才能には脱帽するしかないし、いやはやまったく、参った、ってな感じなのです。

冷静に書きましょう。トリシャと名乗るドラッグクイーンがいて、ビューティー・コンテストに出場することを生業にしているのですが、彼女が亡くなるところから映画は始まります。映画は、彼女がどのような人生を歩んで来たかを描くことと並行して、彼女の「遺言」を友人たちがいかに叶えようとするかを描いていきます。その遺言とは、死後も美しくありたいということ…。

ああ、ここまでにします。何を書いても余計なことになってしまいそうで、筆が止まってしまいます。変化球に見えて、実はド直球のヒューマン・ドラマ。笑いの要素もふんだんですが、コメディ・ドラマと呼ぶにはためらってしまう。あまり前例のないタイプの作品なので、ジャンル分けが難しいというか、無意味かもしれません。

ヒロインの存在感が圧倒的で、どんな人だろうと調べてみたら、本国フィリピンではTVなどで活躍する有名人のようですね。いや、ヒロインの親友役もいいし、役者すべてが生き生きと輝いている。物語を上手く活かすラナ監督の演出と構成は実に鮮やかで、40代前半にして(実際の本人は30代にしか見えないけど)ラナ監督は、もはや名匠と呼べる風格を身に着けているように感じられます。

ともかく見て驚いてもらいたいので、もう騙されたと思って駆けつけてもらいたいのですが、きっと騙されません。本当に。笑いと悲哀が同居し、生への肯定で溢れている。心底ポジティブな力を与えてくれる映画には、そうそう巡り合えるものではありません。この思いをひとりでも多くの人と共有したい、いまはそんな気持ちでいっぱいです。
《矢田部吉彦》

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