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【MOVIEブログ】2016東京国際映画祭 総括のようなもの

東京国際映画祭が11月3日に閉幕し、6日が経ちました。ゲストの見送りが終わり、自分の本番業務が本格的に終わったのは11月5日の土曜日で、そのまま週末は眠り続けたのですが、まだまだ眠いですね。映画を見に行きたかったのだけど、体が動かなかった…。

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(c)2016 TIFF
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東京国際映画祭が11月3日に閉幕し、6日が経ちました。ゲストの見送りが終わり、自分の本番業務が本格的に終わったのは11月5日の土曜日で、そのまま週末は眠り続けたのですが、まだまだ眠いですね。映画を見に行きたかったのだけど、体が動かなかった…。

で、眠い以外は、肉体的に全く問題なく元気なのがありがたいですが、今年の映画祭の内容に手ごたえが感じられたことも、精神的に嬉しいです。各新聞の総評はこれからなので、またそれで一喜一憂してしまうわけですが、ゲストや観客の近くにいることのできた僕なりの総括、というか思いを、ほとぼりが冷めないうちに少し書いてみます。

とにかく、コンペ作品には全てゲストが来場し、どの作品も観客から一定の評価を得たようで、何よりもそれが嬉しいです。スプラッシュ部門もとても盛り上がり、各回満席続きで、日本のインディペンデント部門への注目度の高さが伺えて興奮しました。

会期前にワールドフォーカスの作品紹介ブログを書けなかったことが僕の今年の痛恨事でしたが、チケットの売れ行きも良く、そして作品の評価も高かったようで、安堵しています。ワールドフォーカス部門の作品なら、(おすすめ解説が無くとも)面白いはずだと思ってもらえる、信頼のある部門と捉えてもらっているようで、心強いです。

今年の春ごろ、とあるパーティーで、ある評論家の人から「コンペなんてどうでもいいんです。ワールドを充実させて下さい」と面と向かって言われ、答えに窮したことがあったのですが、どうもその人はコンペを昨年1本も見ていないらしく、僕は内心、腸が煮えくり返っていたものの、これもひとつの世間の評価だと謙虚に受け止めようとしたということがありました。

「情報量は少ないけど、コンペの作品なら面白いに違いない」と思ってもらえることが僕の目標のひとつであり、ここ数年、(評論家はさておき)そう思って映画祭に足を運んでくれるお客さんが増えている実感があります。コンペも、ワールドフォーカス並みの信頼を得つつあるとしたら、これは、本当に本当に、本当に嬉しいです。でも、それだけ緊張もするし、少しつまらなければ信頼が失墜するのはあっという間だし、あまり観客のことばかり考えすぎるのもよくないしで、つまりは悶々としながら選定を続けるしかないのですが、それでも手ごたえがあるということは、精神衛生上、とてもありがたいです。

トーキョーのコンペに、誰もが知っている監督の新作をワールド・プレミアで招聘することが簡単でないとしたら、それを目標にはしつつも、現実的に何をしていくべきか。それを考えていく中で、(1)世界の秋の新作であること、(2)監督の個性が際立っていること、(3)世界を広く網羅していること、の3点を選定の基準に据えるようになり、クオリティー作品を揃えていくことに腐心してきたつもりです。

その結果として、実績のあるクリス・クラウス監督による、ワールド・プレミアで招聘した『ブルーム・オヴ・イエスタディ』がグランプリを受賞したことは、コンペの選定方針の意に沿った結果を審査員が下してくれた、というような気がしています。「世界を広く網羅していること」という上述した3番目の基準は、映画を通じて世界を知ることができるという側面を重視するのはもちろん、映画としてのクオリティーをクリアした果てに、社会性が垣間見える作品であってほしい、という願いを反映しています。そういう点でも、娯楽性と社会性を備えた『ブルーム・オブ・イエスタディ』の受賞は、近年のコンペを象徴していると言えるかもしれません。

また、ワールド・プレミアの『ダイ・ビューティフル』が観客賞と男優賞、同じくワールド・プレミアの『ミスター・ノー・プロブレム』が芸術貢献賞を受賞したことも、高いクオリティーとプレミア性が受賞という結果に繋がったことになり、素直に嬉しいです。ワールド・プレミア作品が受賞すると、出品者に(ほかの映画祭ではなく)東京を選んでよかったと思ってもらえるので、とても報われた気になります。

しかし、プレミア作品にこだわる一方で、「秋の映画祭シーズンを賑わす新作」をしっかりと紹介していくことも重要だと考えています。従って、『サーミ・ブラッド』や『私に構わないで』といった、ベネチアからトロントを経て東京にやってきた作品群が高い評価を得ることも、これまた必然であり、ワールド・プレミア作品に比べて何ら遜色のないものと僕は思います。「トーキョー発」でないことを問題視する向きがいることは僕も理解しますが、そもそも観客にとってはプレミアはほとんど関係ないことなので、つまらないワールド・プレミアを揃えるくらいだったら、僕は刺激的なアジアン・プレミアを選びたいし、そこはぶれないつもりです(プレミア度とクオリティーを巡るジレンマは、作品選定業務に永遠に付きまとう難題です)。

一方で、賞に絡まなかった作品群も、お客さんに大いに愛され、その交流の場を僕もQ&Aの司会という立場で、心の底から楽しみました。

今年、大きく感じたことが、外国人の観客が増えたことです。映画祭の海外広報担当の努力も大きくて、在京外国人に対する各種英字媒体を通じたアピールが功を奏したようです。客席に外国人の姿が目立ち、そして自国の作品で盛り上がるだけでなく、どうやら自国以外の国の映画も見ている(例えば、ルーマニア映画でポーランド人が質問していた)。これは、国際映画祭らしくて、とても嬉しい傾向です。

とはいえやはり自国の作品への来場が多く、『天才バレエダンサーの皮肉な運命』の大ロシアン・フィーバーはその最たるものですが(これは本当に歴史的にすごかった!)、『誕生のゆくえ』のイラン人観客、『ダイ・ビューティフル』のフィリピン人、『ミスター・ノー・プロブレム』の中国人、などなど、彼らの熱量の大きさが、会場をグングン盛り上げてくれました。

2大スターが揃って登壇した『シェッド・スキン・パパ』の場合は、熱狂的な香港映画ファン(の日本人)と、中華系観客が入り混じって、もはやどっちがどっちだか壇上からは区別がつかないのですが、コンペ史上、最も熱量の高いQ&Aのひとつであったことは間違いないところです。

また、全体としては硬派な作品が多かったかもしれない今年のコンペですが、まったく普通に(と言ったら変ですが)お客さんがついてきてくれたことには、猛烈に勇気づけられました。

『7分間』の濃密なドラマは映画祭の序盤を盛り上げてくれましたが、初日の上映にもかかわらず「これでグランプリ決定」と評する方もいたほどでした。社会性と娯楽性の融合が高度の次元で達成されている『7分間』は、映画祭をスタートさせるにふさわしい作品であり、今年のコンペの傾向を象徴する作品だったかもしれません。オッタビア・ピッコロさんの凛とした佇まいが忘れられません。Q&Aも最高でした。

スリリングなドラマの中に、社会と個人との関係を深いレベルで描いていく『フィクサー』や『パリ、ピガール広場』も好評だったことは、映画の面白さはもちろんのこと、現在のヨーロッパの状況に観客が関心を抱いていることを証明しているとも言えるはずです。受賞はありませんでしたが、アドリアン・シタル監督、そしてアメとエクエ監督コンビが、今後どのように世界を見て、切り取っていくのか、彼らの将来に対して大いなる興味を抱いた観客は多いはずです。

コンペの中で特に難解かと思えた『ビッグ・ビッグ・ワールド』には、レハ・エルデム監督の作品を追っているファンが確実に足を運んでくれて、そして多くの観客が作品の美しさと神秘の世界を堪能してくれました。Q&Aのときの観客の前のめりの姿勢は印象的です(そしてファンの深読みをはぐらかすエルデム監督も面白かった)。

難解さというよりは内容のヘヴィーさにおいて反応が気になった『空の沈黙』も、見事に玄人ファンの支持を受けた印象があります。心理サスペンスの演出術に興奮できる1本であり、僕もQ&Aのあまりの面白さにはしゃいでしまいましたが、客席には同好の士が多かったように思います。そして、『空の沈黙』とは対極をなすような軽さを備えた『浮き草たち』も、コンペの中の清涼剤となって広い層の観客に支持されたようでした。

『アズミハルコは行方不明』と『雪女』という全く異なるタイプの2本の日本映画がコンペにあったことで、審査員にも日本映画の多様性を印象付けられたはずです。前者は現在の日本社会を戯画的に再現し、後者は古来の日本文化を現代的に再現しようとしています。前者は女性という「弱者」の逆襲の物語であり、後者は雪女という「よそ者」を巡る異物受容の物語です。いずれも単なるエンターテイメントに留まらず、現代日本社会を投影する鏡の役割を果たしています。僕は改めて、この2本をコンペにお迎え出来たことを、光栄に思っています。

杉野希妃監督と松居大悟監督は、受賞に絡めず相当悔しい思いをされたはずですが、次作への覚悟を固めていることでしょう。今回の映画祭参加が何らかの刺激になってくれたらと願うばかりです。

ことほどさように、世界の諸相を反映したコンペでしたが、多くの観客から歓迎の声を頂けた上に、前述のとおり、審査員も選定の意を理解してくれたことが、僕には特別なことでした。

僕は審査会議に参加していないので、実際の議論内容はわかりませんが、審査員長のジャン=ジャック・ベネックス監督が、クロージング・セレモニーの場において、適格な総評コメントを残してくれました。僕はコンペの審査員長のコメントで、これほど嬉しかったことはありません。もちろん、ベネックス監督が、コンペにおけるこの作品選定傾向を「良し」としてくれているわけではありません(否定もしていませんが)。僕としては、良し悪しは別にして、とにかく選定の意図を感じ取ってくれて、それをきちんと言葉にしてくれたという事実に深い感謝の念を抱かざるを得ません。こんなことは、過去のどの審査員にもなかったことでした。

以下、ベネックス監督(写真)が語った総評の日本語訳です:

「みなさま、今回私は名誉ある審査員長を務めることになりました。我々審査員の前に差し出された16本の作品は、いずれも映画全体を代表するものではありませんが、映画の鋭い視点を提示するものでありました。これらの作品からは、グローバリゼーションが加速する時代における、映画作家の熱い視点を見出すことができます。

映画作家は、時代の証人であり、警鐘を鳴らす存在です。
彼らが我々の世界に対する理解を広げてくれることを、いまほど必要とする時代はありません。
グローバリゼーションは実際に起こっていることですが、しばしば誤った考え方をもたらします。それは、我々がみな同一の存在であり、同じ目標を有していることをイメージさせ、そして最終的には消費社会が善であるというメッセージを普遍的に届けようとしています。

この16本を通じて我々が感じたのは、恐怖、排除されることの不安、人種差別、ペシミズム、孤独、正義の希求、そして差異への受容です。

そう、我々はみな似ているわけではなく、同一でもありません。我々がみな異なることが素晴らしいのであり、それこそが共有の富なのです。数多くの視点から、映画は、互いへの尊重や、より寛大な世界への欲求、そして個々の習慣や、特異性に対する尊敬の念を教えてくれるのです。
普遍的な映画というものは存在しません。その多様性によって、映画は我々の意識の拡大に大いに貢献してくれます。そして、人間性の美しさを表現してくれます。映画は、よりよい世界の夢を垣間見せ、そして希望の笛を吹き鳴らしてくれるのです。

ありがとうございます」。


お礼を言うのはこちらです、ベネックス監督。さらに、各作品の監督はじめ関係者のみなさま、そして何よりも、会場を盛り上げて下さった観客のみなさま(特に僕のQ&Aの拙い司会を応援して下さったみなさま!)に、心の奥底から、深く、深く御礼申し上げます。ありがとうございました!
《矢田部吉彦》

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