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【MOVIEブログ】2017東京国際映画祭<総括のようなもの>

東京国際映画祭終了から1週間。まだまだ余韻に浸っていたい時期ですが、記憶が薄れないうちに総括的な文章を残しておくのも必要かと思い、少し書いてみます。

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東京国際映画祭終了から1週間。まだまだ余韻に浸っていたい時期ですが、記憶が薄れないうちに総括的な文章を残しておくのも必要かと思い、少し書いてみます。

とはいえ、夏の作品選定から会期中のゲスト対応まで、あまりにもどっぷりと関わっている中で客観的な考察はなかなか難しいです。無事に終わっただけでももう大成功と呼んでしまいたいですが、それでは進歩がないので、何とか所感を絞り出してみます。

映画祭の評価は何で決まるのか。一般の映画興行のようにヒットという数字の指標がないので判断が難しいところです。見に来てくれた観客、見に来なかった映画ファン、映画業界、スポンサー、作品ゲスト、マスコミ、官公庁、スタッフなど、それぞれの立場から見た成功/失敗があるでしょう。映画祭は誰に向けて行っているのかという命題に関わる問題で、誰の意見を重視するかで成功/失敗の捉え方も変わってきます。

僕の立場は理想論的なもので、「みんな相手にする」です。映画を見る人(観客)、映画を作る人(監督や役者、プロデューサーたち)、映画を見せる人(劇場、配給宣伝、マスコミ)のいずれも映画祭には欠かせない存在であり、軽重は付けられないと思っています。この人々の満足度を向上させることが映画の活性化につながり、それこそが映画祭の目指すところであると考えます。理想論的ですが、活性化には3者のいずれも欠かせないのは現実でもあるので、(言い方は変ですが)リアルな理想だと思っています、

果たして参加者の満足度はどうだったのか。僕がQ&Aの司会の立場で監督と観客の間に立ち続けて感じたのは、双方ともにとても楽しんでくれているという空気でした。僕が携わった範囲は映画祭の一局面にしか過ぎませんが、そこにはつねに緊張と充実と喜びが満ち溢れていました。

僕は観客とともに、『グレイン』では脳をフル回転させ、『シップ・イン・ア・ルーム』では行間を読み取り、『スヴェタ』でコミュニケーションについて考え、『迫り来る嵐』では中国ファンの熱狂を浴び、『ペット安楽死請負人』では渋い男たちのパイプ姿に爆笑し、『アケラット』では現状に胸を痛めつつ可憐なヒロインにため息をつく、といった体験を共有してきました。今年も本当に幸せな旅でした。

実際に、会期中多くの方から「面白かった」と声をかけてもらい、大いに励みになりました。「昨年からコンペにはまり、今年は友人を連れて見まくっています」と女性を伴った男性に最終日に話しかけられたりして、こういう時は天にも昇る気持ちです。ただ、「つまんなかったよ」と直接言ってくる人は(滅多に)いないわけで、喜び過ぎも禁物です。

実際に、SNSを見れば満足していない人の書き込みは普通に存在していますし、「ヤタベ氏は好き勝手に選んでいて似た作品が多い」という意見があることも承知しています。好き勝手に選べたらあんなに苦しい夏は過ごさなくて済むのですが、まあそこは結果が全て。そう見えてしまうなら反省しなければいけないし、謙虚に受け止める覚悟はあります。

作品がつまらなければプログラマーの責任であり、映画祭はプログラマーに作品の選び方を変えさせるのではなく、プログラマー自身を交代することで新陳代謝を図るべきだとも思います。ですので、僕も毎年、今年が最後になるかもしれないとの覚悟で臨んでいます。従って来年のことは分かりませんが、少なくとも今年の選定の過程とその結果は楽しいものでしたので、悔いはありません(妙なトーンになってますが、別に辞任するわけではありません)。

もっとも、「似た作品」と「傾向」の間にある境界はとても細い線です。取材を受ける度に「今年の傾向は?」と聞かれますが、「世界中で作られている映画にひとつの傾向などありません」と答えると、相手はひどく困惑するか、悲しむか、怒った顔を浮かべる。なので数年前から僕も「傾向」を捻り出すようになりましたが、今年はその「傾向」が自然なものに感じられたし、選定にも反映されました。

しかし今度はそれを物足りないと思う向きもあるのが面白いところで、人は「傾向」があることを好みますが、「似た作品」があることは好まないことを再認識させられます。「傾向」は理解を助けるけれど、「似た作品」は選定者の偏った見方を反映するものであるからでしょう。

僕はそれこそ似た作品が多くならないように気を付けていて、多彩なタイプの作品が並ぶように心がけているつもりです。映画祭のコンペというと、とかくアート寄りの人間ドラマが揃いがちなので、スリラーやコメディーも入れたいと思っています。それは、自分が客で15本のコンペを見るとしたら、なるべくいろんなタイプの作品が見たいと思うからです。自分が行きたいと思える映画祭にしたいというのが、僕がいまの仕事をしている動機のひとつです。

結果、『ペット安楽死請負人』と『グッドランド』にスリラーとしての共通点はあるかもしれませんが、『グレイン』と『スパーリング・パートナー』が似ていると思われたらあまりどうしていいか分かりません。あるいは強い個性の女性が描かれるという意味で『マリリンヌ』と『スヴェタ』が似ているとの指摘があるとしたら、それは甘んじて受け入れますが、でもそれが理由でどちらかを落とすとしたらあまりにももったいないと、この2本を見た方であれば同意してくれるだろうと思っています。

個人の生きざまに映画が向かっていると昨年から今年にかけて僕が感じた「傾向」を、世界の秋の新作の秀作の中からも感じ取り、地域やジャンルのバランスをも考慮しながら集めて行った結果がコンペの15本でした。

もうひとつ指摘されるのが「アートとエンタメのバランス」でしょう。僕は世界の映画祭のコンペ部門でどのようなテイストの作品が上映されているか、かなりの程度において知っているつもりですが、それをそのままトーキョーに導入してもあまり意味がないだろうと思っています。もちろん、大物監督新作がワールド・プレミアで上映されまくるというカンヌのようなラインアップは、真似しようにもなかなか真似できないのが現実ではあります。それはともかくとして、アート寄りの作家映画を15本並べて悦に入っている余裕は日本に無いというのが僕の考えです。

いや、広義の「作家映画志向」が監督の個性を重視するという意味であるとしたら、それは完全に重視しています。その上で、芸術としての映画も(例えば『泉の少女ナーメ』)や、エンタメとしての映画も(例えば『勝手にふるえてろ』)、高レベルで楽しむことが出来るのがトーキョーのコンペであったらいいですし、コンペを見ることで映画の様々な面白さを味わってもらえたら、というのが僕の思い描く理想です。

それを踏まえたうえで、ワールド・プレミアが多い方がいいですし、地域の多様性も実現できているといい。バランスを考慮するのはおかしいと指摘されたこともあり、従ってバランス第一主義ではないとしても(だから今年はアメリカ大陸がコンペに入らなかった)、バランスは取っても取らなくても何か言う人は言うので、だったら僕はどちらかといえば「バランス取る派」の立場でいます。優れた世界の映画を通じて、世界そのものを知ることができる喜びを重視したいからです。

(1)内外の良質な映画を1本でも多くスクリーンで上映したい。そして、(2)そのような映画を見るお客さんが増えてほしい。僕が考えるのは究極的にはこの2点に尽きます。この2点から少しだけ劣後して、(3)東京国際映画祭の発信力の高まりも目指したい。この3点が究極の目標です。

最初の2点が実現するなら、それこそコンペを廃止して(プレミアの関係ない)「ワールドフォーカス」を50本とかにするという案もあり得ます。これはとても甘美な案で、僕も飛びついてしまいそうです。しかし、やがては映画村内部のお祭りとして、内向きに閉塞していく予感もあります。甘美であるが故に危険な案です。

賞の行方をみんなで予想し合うコンペティションは各映画祭の華であり、世界的な一般論として製作者は(ワールドフォーカス的な)いわゆる「ショーケース部門」よりも、「コンペティション」部門への出品を望みがちです。なので、映画祭としてコンペティション部門を備えていることは重要です。そして、コンペティション部門に良い作品が集まるためには、映画祭のステイタスが高まる必要があり、その映画祭のステイタスを客観的に図る指標のひとつとして「ワールド・プレミアの作品数」が挙げられるため、選定者もプレミア度の高い作品を重視することになります。

なぜ「ワールド・プレミアの作品数」が映画祭のステイタスに関係するかと言えば、世界初お目見えの作品が多いほど、世界のマスコミは注目し、ビジネス面でも商談がそこから立ち上がるためにバイヤーなどの関係者が多く集まるからです。マスコミが注目し、バイヤーが多く集まる映画祭であれば、映画製作者はそのような場所に自分の映画を出品したがるはずです。かくしてその映画祭の重要性が増し、つまりはステイタスが上がっていくというわけです。

ではトーキョーのステイタスは現在どのあたりにあるのかといえば、僕はまだまだだと素直に思っています。それでも、コンペのプレミア作品の数は増えていますし、最初からトーキョーを目指して製作を進める監督も増えていることはここ数年実感しています。もちろん、たとえワールドプレミアであっても、つまらなければ選びませんし、上述したような「バランス」やらいろんな変数やらを延々と勘案し続けます。そのような過程を経て決定したラインアップは、世界の映画祭の中でも堂々と胸を張れる水準にあると本気で思っています。

映画祭のメインになるのがコンペティション部門であるとするならば、コンペの作品の魅力を広く一般の方も含めた観客にアピールし、そこから映画ファンのすそ野を広めようとすることが映画祭の目指すところであるはずです。そうやって映画祭がオープンな形で盛り上がることで、上記(1)や(2)もついてくるのだと思っています。

今年とても嬉しかったのが、見る人を選ぶであろうことを承知して選定した『シップ・イン・ア・ルーム』が、届く人にはちゃんと届いたこと、そしてたくさんの人の心を揺さぶるであろうと思った『スパーリング・パートナー』を多くの方が楽しんでくれたことです。

このように全くタイプの違う作品が、それぞれが指向する観客に届いたことが素直に嬉しいです。主要紙が行った星取り表を、僕は怖くてまだあまりちゃんと見ていませんが、評価が割れているようです。多様な作品を揃えようと意識したので、評者によって評価が分かれるのは狙い通りであるとも言えます。なので、コンペの審査員が「満場一致」を強調していたのはホントかな?と思いますが(僕は審査会議に同席しないので分かりません)、果たして「似ている」作品が多い印象を与えたのか、多様な作品が並んで比べにくかったのか、気になるところではあります。

ぐだぐだと書いてしまいました。『マリリンヌ』、『スヴェタ』、『泉の少女ナーメ』、『最低。』、『勝手にふるえてろ』、『さようなら、ニック』、『ザ・ホーム』、『アケラット』のヒロインたちと出会えたことは今年の映画祭の大きな喜びとなりました。様々な環境における彼女たちの生きざまがそのまま現在の「傾向」であり、映画のいまを形作っているのです。

そして、『ナポリ、輝きの陰で』、『ペット安楽死請負人』、『グッドランド』、『グレイン』、『迫り来る嵐』、『スパーリング・パートナー』、『シップ・イン・ア・ルーム』の、あまりに魅力的なおっさん達にも心からの敬意を表したい。彼らはいずれも自らの住む世界の変革を目指し、あるいは世界の崩壊を防ごうとして戦い、その姿は我々の胸を撃ち抜きました。

存在感の際立つヒロインと、戦うおっさんたちが今年のコンペを彩り、世界を旅する案内人となってくれました。ともに旅をし、そして彼らを最高の環境で迎えてくれた観客のみなさんに心の底から感謝します。

さて、「日本映画スプラッシュ」部門に目を転じれば、ほぼ全ての上映が売り切れとなり、平日の午前中でも満席という嬉しい事態が続きました。監督間の交流も進み、それぞれ個性的な作品であるにもかかわらず部門の中に一体感が生まれ、これから先に進んでいこうとする手ごたえのようなものが感じられた年でした。

『うろんなところ』の池田監督の圧倒的な個性、『アイスと雨音』の松居監督による画期的なワンショット映画とフレッシュな役者陣、『おじいちゃん、死んじゃったって』の森ガキ監督の処女作とは思えない堅実な演出術、『神と人の間』で見せた内田監督と渋川清彦さんのそれぞれの新境地、『地球はお祭り騒ぎ』の渡辺監督のこれまでとこれからを見据えた取り組み、『飢えたライオン』の緒方監督の鋭利で果敢な創作意欲、『二十六夜待ち』の越川監督の粘りの作術(しかし本作だけQ&Aでお付き合いできず無念!)、『ひかりの歌』の杉田監督の繊細で胸を撃つストーリーテリング。これらすべてが現代日本映画の刺激的なうねりを構成しているのであり、波となったそのうねりを我々は全身で浴びたのでした。

そして部門の作品賞を受賞した『Of Love and Law』。唯一のドキュメンタリー作品ということで審査員泣かせだったかもしれませんが、アクチュアリティー(現代性)とエモーション(感情)の総量で抜きん出ていたとの評価を得ました。海外生活の長かった戸田監督の客観的な視点が、閉塞日本に新たな風穴を開けたような画期的な作品だと僕も思います。トーキョーにお迎えできて光栄でしたし、映画祭参加が作品の今後の更なる飛躍の後押しにならんことを願うばかりです。

「スプラッシュ」の監督たちと話をするのがとにかく楽しくて、Q&Aの時間が終わらなければいいのに、と毎回思っていました。とても幸せな時間をくれた監督、キャスト、スタッフ、そして観客のみなさんのおかげです。そして司会の僕ばかりが質問をしてしまった回もあったかもしれず、この場を借りてお詫びせねばなりません。でも毎回会場は熱く盛り上がったのでよかったのではないかと勝手に思っているのですが…。ああ、本当に楽しかった!

「ワールドフォーカス」部門では、何といっても『サッドヒルを掘り返せ!』が好評であったことが嬉しいです。見た方の満足度は100%に近かったのではないかな?もうこれはなんとしても公開されますように!

いささかフランス映画が多くなってしまった今年のWFですが、クレール・ドゥニ監督作やグザヴィエ・ボーヴォア監督作も大好評だったようなので安堵です。彼らを招聘できなかったことがとにかく心残りで、特にグザヴィエ・ボーヴォアは監督作が1本、出演作が2本上映されただけに残念無念です(トライはしたけどスケジュールがNGでした)。しかしアルノー・デプレシャン監督の来日は僥倖で、スクリーン7に登場した時の客席のどよめきは確実に今年の映画祭序盤のハイライトになりました。

そして、僕はほとんど立ち会えませんでしたが、「アジアの未来」部門、「Japan Now」部門、特別招待作品や特別上映部門、「TIFFユース」部門(TIFFティーンズ映画教室は最高だった!)、原恵一監督特集、クラシック部門、マスタークラス、などなど、それぞれが活況を呈して盛り上がっていたようです。打ち上げの席で現場の様子を聞くにつれ、参加できなかったことが悔やまれてなりません!

長文になってしまいました。豊富な品揃えが実現した30回目の映画祭、事故も無く終えられ、なによりも楽しく推移できたことの幸運をかみしめつつ、少しずつ来年のことを考えていこうと思っています。

ありがとうございました!
《矢田部吉彦》

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