モダニズム華やかなりし1920年代、のちの近代建築の巨匠ル・コルビュジエは、気鋭の家具デザイナーとして活躍していたアイリーン・グレイに出会う。彼女は恋人である建築評論家のジャン・バドヴィッチとコンビを組み、建築デビュー作である海辺のヴィラ「E.1027」を手掛けていた。陽光煌めく南フランスのカップ=マルタンに完成したその家はコルビュジエが提唱してきた「近代建築の5原則」を具現化し、モダニズムの記念碑といえる完成度の高い傑作として生みだされた。当初はアイリーンに惹かれ絶賛していたコルビュジエだが、称賛の想いは徐々に嫉妬へと変化していく。そして1938年、事件は起こる。コルビュジエは、アイリーンの不在時に何の断わりもなく、邸内に卑猥なフレスコ画を描いてしまう。これを知った彼女はコルビジェの行為を「野蛮な行為」として糾弾し、彼らの亀裂は決定的なものになった。その後、大戦とともに、「E.1027」は人々から忘れられ、打ち捨てられてしまう。戦後、すっかり荒れ果てた物件は、競売にかけられる。海運王アリストテレス・オナシスも参加したこの物件を買い戻すために奔走したのは他でもない――ル・コルビュジエだった。
メアリー・マクガキアン