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『TAJOMARU』小栗旬「女の人の気持ち? 一生わかんないと思うな…(笑)」

小栗旬は“時代”や“空気”など信じない。悲観するでも自嘲するでもなく、自らについて「いまは、たまたま注目を浴びているだけで、本来あまり面白い芝居ができるタイプだとは思わない」と語り、うつろいやすいブームなどではなく、ただ己を信じて役柄をクールに演じ上げていく。冷静なこの男が「役者人生が終わってもいいと思えた」とまでの思いを抱いて演じたという最新作『TAJOMARU』のタイトルロール、多襄丸(=畠山直光)という男もまた、激しく移り変わる時代の中で己の信念、愛を貫き通した男である。果たしてこの作品は俳優・小栗旬に何をもたらし、この役を経て彼はどのような風景を見たのか——?

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『TAJOMARU』 小栗旬 -(C) 石川拓也
『TAJOMARU』 小栗旬 -(C) 石川拓也
  • 『TAJOMARU』 小栗旬 -(C) 石川拓也
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小栗旬は“時代”や“空気”など信じない。悲観するでも自嘲するでもなく、自らについて「いまは、たまたま注目を浴びているだけで、本来あまり面白い芝居ができるタイプだとは思わない」と語り、うつろいやすいブームなどではなく、ただ己を信じて役柄をクールに演じ上げていく。冷静なこの男が「役者人生が終わってもいいと思えた」とまでの思いを抱いて演じたという最新作『TAJOMARU』のタイトルロール、多襄丸(=畠山直光)という男もまた、激しく移り変わる時代の中で己の信念、愛を貫き通した男である。果たしてこの作品は俳優・小栗旬に何をもたらし、この役を経て彼はどのような風景を見たのか——?

盟友・山田孝之への憧れ、そのワケは…?

「自分は頭で考えて演じるタイプの俳優。演じている自分をわりと冷静に見ている」。普段の役柄へのアプローチについて小栗さんはそう語る。
「役に没頭したくても、どうしても自分からブレーキを掛けてしまうところがあるんです。だから、爆発的な集中力とエネルギーを持っているタイプの俳優さん——同世代で言うと山田孝之なんかそうですが——に憧れてて…。『スタート!』って声が掛かった瞬間の集中力のレベルが違うんですよ。孝之の芝居を見てるとゾクゾクしてきて、楽しくてしょうがない。こういう役者になりたいな、という思いがずっとありました」。

そんな彼が、今回の撮影では、憧れの境地に近づけたと感じた瞬間があったという。
「撮影中に『よーい、スタート!』って声が掛かって、体を動かしたということは覚えてるんですが、気がついたら次の瞬間、『あれ? おれ何で風呂入ってるの?』ということがあって。実は、(完成した作品では)そのシーンは全部カットされちゃってたんですけど…(苦笑)。そこは、自分の中でいままで越えられなかった壁を飛べたのかなって思えた瞬間でした」。

800年も昔の時代の人間を演じることについて「誰も見たことのない世界を作るということには夢がある」という言葉で、その面白さを語る。
「もちろん、時代考証について気にされる方はいるとは思います。ただ、僕らが信じてきた過去の歴史が覆されることが最近、多いじゃないですか。『うそ! 教科書で習ったことと全然違うじゃん』って(笑)。やっぱり誰も見てない世界を演じるってある意味ファンタジーですよ。いまの時代をリアルに切り取ろうとすれば、うそが見えてきてしまう。それよりもやれることはずっと多いな、と思います」。

「台本読むと、『この役、ほかの人にやらせたくない』って思っちゃう(笑)」

一方で、劇中で描かれる人々の感情や愛は、時代を超えた普遍性を持っている、とも考えられるが…。
「そうですね。でも、それももしかしたら、いまの時代に生きる僕たちがそう思いたくて、勝手に自分たちの思いを置き換えているだけなのかも知れない、とも思います。ただ、今回は自分で演じながら、(直光は)阿古という女性をなぜここまで愛せたんだろう? という疑問は持ちましたね。阿古の気持ちですか? わかんないですよ、女の人って。…一生わかんないと思うな(笑)」。

舞台に映画、TVドラマと活躍の場を広げ続ける小栗さん。自らの仕事のスタンスについて「基本的に舞台が大好きなので、演劇を中心にやっていきたいという思いはあります」と語る一方で「(オファーをもらって)台本を読むと、『この役、ほかの人にやらせたくないな』って思っちゃうんです」とも。
「そうやって結局、(忙しくなって)自分の首を絞めちゃうわけですね(苦笑)。最近はちゃんと見極める目を持とうと思ってるんですが、とはいえ常に共演者も監督も違うから、似たような役だと思ってても、実際にやってみたら、また全然違ったものになる。だからお話をいただくと全部やりたくなっちゃうんですよ」。

さらに、自身で監督を務めるという野望も。すでに企画は進行しているとのことだが、冒頭にも挙げた「自分は面白い芝居ができるタイプの俳優ではない」という言葉に続けてこう語る。
「だからこそ、もっと面白い芝居をできる俳優さんたちに面白い環境を提供して、それをカメラに収めるのが自分だったら最高だなって思うんですよ。四十か五十を迎えたときに『あの監督の作品に出たい』って言われるようになりたいですね」。

俳優か監督か? 舞台か映画かなどという枠はこの男には関係ない。多襄丸のごとく、自由に向けて、さらなる高みに向けて、小栗旬はどこまでも駆け抜ける——。

© 石川拓也
《シネマカフェ編集部》

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