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【インタビュー】<後篇>野田洋次郎 命に向き合い「迷いや躊躇がなくなってきた」

“いかした”を意味する俗語「rad」と“いくじなし”“腑抜け”という意味を持つ「wimp」という言葉を組み合わせた「RADWIMPS」というバンド名。柔らかい高音に乗せて…

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野田洋次郎『トイレのピエタ』/photo:Naoki Kurozu
野田洋次郎『トイレのピエタ』/photo:Naoki Kurozu
  • 野田洋次郎『トイレのピエタ』/photo:Naoki Kurozu
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  • 野田洋次郎『トイレのピエタ』/photo:Naoki Kurozu
  • 野田洋次郎(RADWIMPS)/(C) 2015「トイレのピエタ」製作委員会
  • 野田洋次郎『トイレのピエタ』/photo:Naoki Kurozu
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  • 野田洋次郎(RADWIMPS)&杉咲花/(C) 2015「トイレのピエタ」製作委員会
  • 野田洋次郎『トイレのピエタ』/photo:Naoki Kurozu
“いかした”を意味する俗語「rad」と“いくじなし”“腑抜け”という意味を持つ「wimp」という言葉を組み合わせた「RADWIMPS」というバンド名。柔らかい高音に乗せて、この男の口から発せられる、生々しく、時に卑猥でそれでいてどこか純粋で、人間の強さも弱さも、美しさも醜さも表現する詞の数々――。

それらは、余命を宣告され、否応なく死と向き合い、人生の最後の最後でこれまでにない生の輝きを手にするこの映画の主人公の姿と重なり合う。映画『トイレのピエタ』において、松永大司監督が、主演を務める野田洋次郎に“芝居をすること”を禁止し、ただそのままでいることを求めたのもうなずける。

音楽シーンで唯一無二の存在感を放ち、熱烈な支持を集めるカリスマは、初めて踏み入れた映画の世界で何を感じ、何を表現したのか? 映画初出演にして主演を飾り、主題歌「ピクニック」を書き下ろした「RADWIMPS」野田洋次郎インタビュー後篇!

漫画家・手塚治虫の日記の最後のページに記されていた“トイレのピエタ”という言葉をモチーフに製作された本作。野田さんは、かつては画家を目指すも挫折し、清掃員のバイトをしながら日々を漫然と過ごしていたが、体調を崩して運ばれた病院で思いもよらぬ余命宣告を受ける主人公・宏を演じている。宏に、そして物語に強い共感を持って、出演を決めた野田さんだったが、当然のように不安はあった。

「まず単純に、大根だったらどうしよう? という心配はありました(笑)。監督にも『一度、何かセリフを読ませてから決めたら?』と言ったんですが、監督は終始『大丈夫』って。出演を決めてから撮影までは、少し時間が空いたんですけど、監督からはその期間も撮影中も一貫して『練習はするな』『芝居をしようとするな』と言われ続けていました。おれじゃない他の何かになろうとした瞬間、全てが嘘になってしまう――だから、おれも撮影中は絶対にモニターで演技をチェックすることもしなかったし、監督を信じて監督がいいと言ったものが宏なんだと思っていたので、自分からは『もう一回やらせてください』とも言わないということも決めていました」。

とはいえ、演技をせずにそのままの自分でいることも決して簡単ではない。「ありのままで」と言われて、何の疑問もなく自分を出せるのなんて、どこぞのプリンセスだけである。多くの人が「ありのままの自分とは何か?」と考えてしまうのではないか? 撮影までの時間が長ければなおさらである。

「そこはもう本当にその通りで、ぐるっと一周しましたね(笑)。演技をすることとは何で、しないこととは何なのか? 生きていく中で人は演技をするものでしょ。実は演技というのは日常にあるんですよね。じゃあカメラの前で演技しないことってどういうことなんだ? カメラを意識するのか? しないのか…? 延々と考えて、おそらくは全ての役者さんが一度は通るだろう道を通りました。友人の俳優に『演じている時は何を考えてるの?』と聞いたりもしたんですが、みんな言うことが違って(笑)、それはそれですごく面白かったんですけど…。出した答えは結局、答えになってないかもしれないけど、何かを意識することなくおれでいること。おれの中で宏と響き合うものを引き出してもらうしかないなと。『よーいスタート』が掛かった時も、楽屋にいる時も、共演者の方と話をしている時も、おれでいればいいんだなと思うようになりました」。

だが宏として映画の中で生きるということは、アーティストとしての側面に加え、当然、余命3か月の宣告を受けた男の苦しみや葛藤をも表現しなくてはならなかった。

「そこでも『演じる』ということについてすごく考えさせられました。もし僕がたった一人でひとつの箱の中にいて、カメラを前に『あなたは余命3か月の男ですよ。はい、よーいスタート!』と言われたら、そこですることは演技でしかないと思います。でも実際には、共演者の方が周りにいて、本当に不思議なんですが、周りの人たちがこの状況を理解した上で、こちらに言葉を発し、反応し、行動してくれるので、それが僕にとっても真実の世界になって、脳が勝手にこれが本物だと受け入れてスイッチが入って、余命3か月であることを理解していくんです。それはすごく面白い経験でした。普段、僕が一人で嘘をついても、周りがそれに合わせて何かしてくれることはないけど、ここでは『よーいスタート』でみんなで一つの嘘をつく。それは嘘を真実にする作業であり、脳を変化させていくことなんだと気づきました。だから意図的に『おれは余命3か月で…』と言い聞かせるようなことはしなかったのに、撮影が終盤に進むにつれて、周りが僕を見る目、費やした時間や言葉が完全に“死”に向かっていくのが分かるし、何の違和感もなく絶望的な気持ちになっていきました。そこにいるだけで哀しくて仕方なくて、大変でした」。

そして当然のように、ミュージシャンとして、もしもこの状況に置かれたら――? と考えた。

「元々、僕は他の人よりも死を引き合いに物事を考えがちな部分はあったと思います。残りの人生がこのくらいなら何を選ぶか? と考えたり、生きる喜びというのを死を引き合いにすることでしか実感できないところがあったり…。でも、いままでそう考えてきたのも所詮は絵空事でしかなかったし、この作品を通して感じたのは、こういう状況で最後に何を作るか? そこでものを作る人間の真価が問われるんだなということ。もちろん、最初は苦しんで、のたうち回ると思いますが、最後に自分は何を発するのか? それは、その人がどう生きたかでもあると思う。やはり、自分は曲を作るでしょうね。宏として映画の中の世界で生きて、改めてすごい経験だったし、単純ですが『おれはこのまま生きてていいのか?』とも考えたし、生きる喜びにも触れることができました。もう宏はこの先ずっと、僕の中にい続けるだろうし、だからこそ、まだまだできることをやりたいとも思う。そういう意味ですごく思考がクリアになって、迷いや躊躇がなくなってきたのかなと感じています」。

フィクションの世界で死を受け止めたことで手にした生への思いを胸に、野田洋次郎はさらなる一歩を踏み出す。

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《photo / text:Naoki Kurozu》

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