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キャリー・フィッシャー、自身の“死期”を予感していた?

大ヒット曲「ユア・ビューティフル」で知られるイギリスの歌手ジェームス・ブラントが、“アメリカの母”と慕っていたキャリー・フィッシャーとの思い出を披露し、キャリーを偲んだ。

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キャリー・フィッシャー-(C)Getty Images
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  • デビー・レイノルズ&キャリー・フィッシャー(C)Getty Images
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大ヒット曲「ユア・ビューティフル」で知られるイギリスの歌手ジェームス・ブラントが、“アメリカの母”と慕っていたキャリー・フィッシャーとの思い出を披露し、キャリーを偲んだ。

ジェームスは、「The Sunday Times」紙のインタビューで、キャリーにデビューアルバムの製作時から世話になっていたことを明かした。「デビューアルバムをロサンゼルスで製作する」とキャリーに話したところ、キャリーは自宅への滞在をオファー。アルバムの中の1曲「グッバイ・マイ・ラヴァー」のレコーディングは、キャリーの家のピアノを使って行われたそうだ。「キャリーは僕にとっての“アメリカの母”であり、素晴らしいインスピレーションを与えてくれた女性だ」とジェームスは言う。

キャリーの家に滞在中、キャリーはジェームスの部屋のドアの外側に、段ボールをカットして作ったレイラ姫の自分を飾ったというが、「レイラ姫のおでこのところに、キャリーが自分の誕生日と“命日”を書いたんだよね。それが、正確な日付は思い出せないんだけど、ちょうど本当にキャリーが亡くなった頃だったと思うんだ」とまるでキャリーが自身の死を予想していたかのような過去を語った。

また、ジェームスは「ものすごく残念なのは、キャリーに息子のゴッドマザーになってもらったのに、2人が知り合う機会を作れなかったことだよ」とキャリーの死を嘆いた。
《賀来比呂美》

休日は猫とお酒と海外ドラマ♪ 賀来比呂美

大学で映画学を専攻、卒論のテーマに『ガタカ』を取り上げる。卒業後は映画やドラマのロケ地で有名なバンクーバーに留学し、街中に溶け込むベニチオ・デル・トロやアイス・キューブを見かけて大興奮。映画三昧の生活を送る。帰国後、数社を経て雑誌編集者として出版社に勤務。シニアの愛猫と過ごす時間を増やすべく、2016年からフリーランスライターに。執筆ジャンルは映画、音楽、ペットなど。人の話を聞くのが大好きで、俳優、ピアニスト、医師など数百名への取材経験あり。

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