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『つやのよる』忽那汐里インタビュー 「すごく大きな歴史に関わっているよう」

つい先日、20歳の誕生日を迎えた。これまで等身大の高校生の役を演じることが多く、またアニメーション映画『グスコーブドリの伝記』では幼い…

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つい先日、20歳の誕生日を迎えた。これまで等身大の高校生の役を演じることが多く、またアニメーション映画『グスコーブドリの伝記』では幼い女の子の声を演じており、あどけない少女のようなイメージがあるが、目の前で作品や自らについて考えを巡らせ、思いを言葉にする忽那汐里からは凛とした強さが漂う。物語、役柄、そして自分自身に対してさえも微妙な距離をとり冷静に見つめる。「うちの母がすごく論理的で、子供に対してもそういう話し方をするんです。その影響かな? でも私はもう少し野性的というか、本能で動く部分もあると思いますよ」と笑う。

まもなく公開となる『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』では、艶という女の存在に翻弄される6人の女たちのひとりを演じたが「なかなか論理で理解できない部分が多かったですね(苦笑)」とも。そんな状況で彼女はどのように答えを見出していったのか――?

忽那さんが演じたのは女子大生の麻千子。父(阿部寛)が自分と母(大竹しのぶ)を捨てて艶と逃げたことで、当然のごとく父と艶への憎しみを抱いているが、一方で母が彼らを憎むでもなく、艶の危篤を聞いてもなお心配するかのようなそぶりを見せることが理解できず、苛立ちさえ感じている。

“愛を問いかける女”というコピーが麻千子には付けられているが、役を作りあげていく上で意識したのは、麻千子が父や母、そして艶を理解しようとする「好奇心」と「ひたむきさ」だった。

「なかなか私自身で想像できない部分が多くて今回は特に監督(=行定勲)とよく話し合いました。彼女は『なぜ?』という思いで(父と艶の逃避行の行き先である)大島まで行っちゃう。元々、いまの自分が置かれている境遇は、父を彼女と母親から奪った艶のせいだという憎しみを持って日々を生きてるし、そういう感情が人を動かす原動力になると思う。でも、そこまでするのは真面目でひたむきだからでしょうね。その一方で同じ憎しみを共有してるはずの母が自分とは正反対の感情を持っていて、それが彼女にとっては理解不能で…。疑問と好奇心とひたむきさから彼女の旅が始まるんだなと思いました」。

そして脚本を読んだ段階から本作における着地点と考えていたのが父・松生との再会シーン。
「ずっと離れ離れの父と娘が再会したとき、どんな会話になるのか? それは脚本を読み進めながらずっと気になってましたけど、唐突さとあの反応については意外と自分でも『そうなるだろうな』と思いました。『そう選択せざるを得ないんだろうな』と受け止めている自分がいて、少し複雑な思いを感じてましたね」。

麻千子は大島に行くことで、自分なりの“答え”を見つけ出すが、当の忽那さんは演じ終え、そして映画が完成したいまなお、父や母や艶の気持ちについては「全然分からない」という。吹っ切れたようにあっけらかんと語る。
「作品の中での自分の立場や役割については考えますが、それ以外の物語全体を解釈したりしようとすることは普段からあまりないですね。演じるときも自分と共通の部分を探したり、『もしも私だったら?』と考えることはできるだけ排除するようにしてます。もちろん、それでも意識していないどこかに自分がにじみ出てしまうものなのかもしれませんが…。役に対する思い入れも、終わってしまうとさほど残らないんですよ」。

演技に入る前もその後も、なるべく冷静に役を見つめ、やるべきことや出来について客観的に考えようとするが、一方でカメラが回り始めると、論理を忘れて本能や直感がムクムクとわき上がってくるという。

「というか、まず何より仕事になると私、すごく緊張するんです(苦笑)! カメラの前に立つと、いつもアウェーな気持ちで、論理的に考えようとしても課題はいつだって巨大すぎて手に負えない大きさになってるんです。本当に直感や本能に身を任せることができる俳優さんは天才肌の方なんだなと思いますが、私は論理から少し外れつつも、本能に全てを任せられるほどそこに信頼を置けないというか…。流れや相手の俳優さんに引き出していただいて、予想外のことが起きたりすることはあるんですけどね(笑)」。

「いつまでたっても女優でいることに慣れることがない」と言いつつも「女優でいられることが幸せだと感じるようになった」とも。
「表現できること、表に立って発信することができるってすごく幸せなことなんだなと思います。本当にいろんな人に支えられながらですが、何か小さなものであっても残し、伝える側の人間でいたいって最近、特に思います。そういう意味で映画に携われるって一番幸せです。言葉ではうまく言い表せないけど、すごく大きな歴史に関わっているようで…もしかしたらいま生まれていない子たちがいつか自分の出た作品を目にするかもしれないってすごいことですよね」。

「成長? 芝居については変わってきているのかよく分からないです(笑)。でも少しずつ等身大ではない役、私自身の“経験”が求められているわけではない役もいただけるようになってきたのかな?」と自分のことになるとどこか他人事のようだ。“ミタ長女”として彼女の名を全国に知らしめたドラマ「家政婦のミタ」を巡る当時の喧騒、過熱ぶりに話題が及んだときも「正直、撮影に入ってから終わるまで本当に何にも変わらなかったんですよ。あ、食事のグレードは少しアップしたのかな(笑)? でも数字を聞いても私、視聴率ってよく分かってなくて『なんだか多くの人に見てもらえてるらしいぞ』くらいの認識で。あのドラマを経験して、逆に『数字だけが全てじゃない』という思いも強く感じています」とその口調は最後まで冷静そのものだった。

論理と本能を融合させて彼女はどんな20代を歩んでいくのか? こちらの想像を裏切るような姿を見せてほしい。
《シネマカフェ編集部》

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