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May 31, 2013(Fri) 18:25

INTERVIEW

新海誠監督インタビュー 「万葉集」と“雨”の歌から生まれた、「これは雨宿りの映画」

新海誠監督『言の葉の庭』/Photo:Naoki Kurozu
  • 新海誠監督『言の葉の庭』/Photo:Naoki Kurozu
  • 新海誠監督『言の葉の庭』/Photo:Naoki Kurozu
  • 新海誠監督・最新作『言の葉の庭』-(C) Makoto Shinkai/CoMix Wave Films
  • 新海誠監督・最新作『言の葉の庭』-(C) Makoto Shinkai/CoMix Wave Films
  • 新海誠監督・最新作『言の葉の庭』-(C) Makoto Shinkai/CoMix Wave Films
  • 新海誠監督・最新作『言の葉の庭』-(C) Makoto Shinkai/CoMix Wave Films
  • 『言の葉の庭』 -(C)  Makoto Shinkai/CoMix Wave Films

言の葉の庭

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鳴る神の 少し響みて(とよみて) さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ   

「雷が少しだけ鳴り響き、曇り空が広がり雨が降ってくれたら、帰ろうとするあなたを引き留められるのに」――。恋に焦がれ、そして恋に少しだけ臆病な女性の心情を詠み、「万葉集」に収められた一篇の和歌と6月の雨に導かれ、現代の東京を舞台にした切ない恋物語が誕生した。まもなく列島を覆う梅雨前線をおそらく多くの人がうっとうしいと感じているだろうが、この『言の葉の庭』を観たら、雨の路地を静かに歩いてみたくなるのではないだろうか。

監督を務めたのは『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』などアニメーションにして“文学”とも称される独特の詩的な心理描写、映像世界で熱烈な支持を集める新海誠。常に「最新作こそが自分にとって最高傑作」と語る彼のアニメーション作りについて話を聞いた。

靴職人を目指す高校生のタカオと謎めいた年上の女性・ユキノ。約束もないままに雨の日の午前中だけ、雨宿りをしながら庭園で逢瀬を重ねるようになった2人のそれぞれに打ち明けることのできない思いが静かに綴られていく。

最初に監督の脳裏に浮かんだのが、「少し年の離れた男女が雨宿りで出会う物語」。そこに、大学時代からずっと心に残っていたという2つの要素が自然と加わっていった。ひとつが「万葉集」。そしてもうひとつが、本作で秦基博がエンディング曲としてカバーしている大江千里の作詞・作曲による楽曲「Rain」だった。
「大江さんが好きな女の子がいて、その子に貸してもらったカセットに『Rain』があってずっと好きな曲でした。『万葉集』も同じ時期に、僕は国文学専攻だったので基礎教養として学んだんですが、千年以上も昔の和歌なのに、男女の想い合う気持ちって連続してるんだなと感じてました。この2つは種のように僕の中にずっとあって、それが最初のイメージと繋がって組み合わさっていきました」。

「タカオとユキノが出会うきっかけとなる直接的な意味ではもちろん、彼らの人生の中で立ち止まっている時期という象徴的な意味でも、これは雨宿りの映画」と新海監督。当然と言うべきか本作における雨の描写は特別な意味を持って観客の心に染み込んでくる。
「例えば最初に2人が出会ったときに降っている雨は2人を隔てるカーテンのように降り注いでます。2人の関係が深まっていくにつれて雨も小降りになるし、タカオが初めてユキノの足に触れた日は、天が祝福するかのようにキラキラした天気雨が降り、土砂降りの雨は2人の背中を後押しする。強弱だけでなく、雨粒を光らせたり、地面の濡らし方、水たまりからはね返るしずくの大きさなど、単に降り注ぐだけでなく2人の感情に絡めながら雨を描き分けて、意味を持たせることは強く意識しました」。

雨だけではない。例えば、粉々にひび割れたユキノのファンデーション。セリフがなくとも彼女の心に積み重なった哀しみや疲れを、共感をもって観る者に感じさせる。正直、この描写ひとつとってみても人間(特に女性!)の心理に対する監督の深い洞察には驚かされる。ユキノ役の声優・花澤香菜はこの描写を目にした瞬間、涙が止まらなくなったと明かしている。だが当の監督は「あれは偶然と言うか…取材による聞き込みのたまものですね」と静かな笑みを浮かべるばかり。

「あそこはユキノの哀しみを観客に伝えるだけでなく、実感し共感してもらわないといけない。じゃあ哀しみにさらに追い打ちをかけるような、ヘコむ出来事って何か? と女性スタッフたちに聞いたら『ストッキングの伝線』『ヒールが溝に挟まる』という答えが出てきた。でも伝線はアニメでは表現しにくいし、靴作りの物語だからヒールだと直接的すぎて何か違う意味を持ってしまう。それで『他には?』とさらに聞いたらファンデーションの話が出てきたんです。当たり前ですが、最初に表現したい感情やシチュエーションがあって、それをどう描くかを考え、取材をしたり、一番しっくりと来る比喩やセリフを探したりしています」。

人物の表情から風景、セリフに至るまで、これほど情緒豊かに描きながらも、作っている当人は“論理”や“理屈”を重視する。自身の感情や共感を反映させ、人物に寄り添うことがないわけではないが、一方で時に登場人物の感情の起伏をグラフにし、パズルのように組み立てていくこともあるとか。こうした姿勢の理由のひとつは、彼が生粋のアニメーターの道を経ずに“監督”となったことにあると言えそうだ。

「そうかもしれません。宮崎駿さんのようにご自身が優秀なアニメーターである監督もいらっしゃいますが僕はどうやってもそうはなれない。ならば違う部分――自分で考えて、言葉でそれをスタッフに伝える必要があるんです。やっぱり、自分の中に理屈のないあやふやな状態で、スタッフに説得力をもって描かせることはできないですから」。

論理を武器とした“非アニメーター監督”の矜持。そんな彼が、ファンの間で“新海節”とも称される、文学的な感性にあふれた自身の作品の世界観を特徴づける要素として重視していることが3つある。
「ひとつは会話やモノローグで使用する『言葉』の選択。2つ目が『色彩』――僕が自分で色彩設計と撮影監督を兼任してるんですが、キャラクターの動きを描くことはできないけど、色彩に関しては自分が全てコントロールしてます。そして3つ目が『時間軸』。この音楽は何秒で、このカットはコンマ何秒、音楽が途切れた瞬間に足音が…といった部分のコントロールは全て僕がイメージし、作り上げている。それが自分にしかできない強みになればと思ってます」。

何より、新海監督が自身の作品に込めるのは「誰かを励ましたいという思い」だという。「その誰かにはきっと20代の頃の僕、いや、いまの僕自身も含まれている」と続ける。
「20代で自主制作を始めたとき、とにかくつらい自分の現状を何とかしたいって思ってたんですよね。それこそタカオが『靴を作ることがおれを違う場所へ連れてってくれる』と考えるように。自分の置かれている状況を誰かに肯定してもらえたら、ずいぶん楽になるのに…と大げさかもしれないけど、切実に救いを求めていたんですね。だから自分が求めていたちょっとした救い――『会社に行きたくないな』と思ってた人が『行ってみるか』とか『逆に会社に行かなくても生きていける』って思ってもらえたり――そういう少しでもポジティブな影響を与えることができたら。それが何より20代の僕がほしかったものだから」。

アニメーターではないからこそ、スタッフを指揮して実写で映画を撮ってみたい気持ちは? 最後にそう尋ねると「そういう気持ちは正直、ないんです」とつれない答え…。その真意は?
「僕の作品に対して『実写のようですね』という感想はよくいただきますし、たまにそういうオファーをボンヤリといただくことはあります。でも僕の作品はアニメーションだからこそ表現できることを描いていると思ってます。現実の世界を物語の舞台にしているのも、決して現実を描きたいからではなく、そうすることで実写でそのまま撮る以上の大きな力をもって受け取ってもらえると思うから。絵の持ってる力ですね。もし誰か別の方が僕の作品を原作に実写で撮りたいと仰るなら、それはウエルカムですよ(笑)」。

46分に込められた、物語の深みと情景の美しさをじっくりと堪能してほしい。

(photo / text:Naoki Kurozu)

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