【MOVIEブログ】フランス映画祭(上)

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-(C) Annee Zero - Nonon Films - Emmanuelle Michaka
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今年のフランス映画祭は、来日ゲストも豪華でラインアップも良く、そして銀座での開催がようやく定着してきた感もあって、かなりの成功だという印象を受けます。というわけで、僕が参加した局面を少しだけご報告(といいつつとても長いです)。

【19日(水)】
フランス映画祭と東京国際映画祭に関わって10年以上が経つ中で、いまだかつて本番で体調を崩したことがないというのが僕の密かな自慢だったのだけれど(知恵の無さを体力で補っていたのだ)、夜になって鼻の奥がヒリヒリし始めた。ヤバイ、これは風邪のサイン。

夜は、フランス映画祭とともに来日している映画会社のセールス担当の方々を囲むミニパーティーがあり、少しだけ参加。どうにも風邪の予感がヤバそうなので早々に退散。

【20日(木)】
自分は風邪はもう一生ひかないんじゃないかと思っていたくらい、何年も風邪と無縁で過ごしてきたので、過信を戒めるという意味でいい教訓になるはずだ! 朝から、鼻水が止まらず。気分もどことなくボーっとしてしまう。

午前中は、フランスの映画会社の人たちと連続でミーティング。カンヌで会ったばかりの人々なので、数週間前に話したことの確認、というレベルかな。

昼には東京国際映画祭の事務局に戻ったものの、風邪のせいばかりでなく、やはりフランス映画祭がらみで「本番モード」に入ってしまっているからか、どうにも他の仕事に身が入らない。しょうがないので、夕方のイベントの質問表を何度も見直して、書き加えたり、削除したり、こねくり回して、シミュレーションしつつ、トーク中に鼻水が垂れてきませんように、とちょっとお祈り。

17時過ぎに銀座のアップルストアに行き、会場で少し打ち合わせ。マイクチェックや進行の確認をしているうちに、フランソワ・オゾン監督到着!思えば、短編『サマードレス』を観て、(ほぼ)同年代からついにすごい監督が出てきたなあと興奮したのが96年。以来全く出会う機会はなく、17年越しでようやくお話が出来るのかと、僕としては感慨もひとしおといったところです。

オゾンを良く知る人から「バカには厳しいけど、大抵はいい人だよ」とのコメントをもらって、では大抵はバカな自分は一体どうすればいいのかと数日前からビビッていたのだけれど、予定の時間より早く突然現れたオゾン監督は最初の握手からにこやかで、こちらの不安が杞憂となる優しい物腰でありました。

ということで、18時から1時間のトーク。考えてみると、現役バリバリの中堅どころでこれだけ知名度があって、10本を超えるフィルモグラフィーがあり、しかもデビューからコンスタントに作品が日本でも劇場公開されている監督というのは、なかなかいない。キャリアの中のどの作品の話をしても、お客さんが反応してくれる、という場が外国映画で持てるというのは、実はかなり稀有で貴重なことだったのかもしれません。

内容については、せっかくだからキャリアを網羅したようなものにしたいなあと思い、子供時代の話から聞き始め、徐々に映画学校時代から長編デビューの時期を経て、初期の重要作である『まぼろし』や『8人の女たち』へと展開していき、ここまではまずまず順調。

ただ、1本1本話していくと時間が足りなくなり、かと言って『まぼろし』と『8人の女たち』の話のボリュームが大きくなってしまったため、その後の作品を飛ばし過ぎるのもバランスが悪くなってしまう。25分を過ぎたあたりで、話の導き方に迷ってしまった。やはり、打ち合わせなしで1時間のトークを上手く進行するのはなかなかに難しい…。

とにかく、オゾン監督は、頭がいい話し方をする。短すぎず、長すぎず、こちらの質問に対して的確にカチっとした返答が戻ってくる。で、回答そのものが完結しているため、その回答にさらに質問を被せるということがしづらい。一問終わると、さあ次の質問、というペースで続いていく。なので、会話というよりは一問一答、という形になってしまう。これも、取材だったらいいのだろうけど、お客さんに話しを聞いてもらうトークショーとしては果たして大丈夫なのだろうかと、少し焦る…。

徐々に、個々の作品の話から、全般的な映画作りの話へとシフトさせることにする。情熱を持続させることの重要性、コンスタントな映画作りの秘訣や、編集の重要性、作家性と商業性のバランスをいかに保つか、などについて語ってもらい、かなり凝縮されたいい話が聞けたのではないかな?ちょっと「広く浅く」になってしまい、箇所によってはもっと深く入った方がよかったという反省もあるのだけれど、まあ、一応ギリギリ合格ということで許してもらえるだろうか?

お客さんとの質疑応答も活発で、嬉しいですね。オゾン作品の中で多用される「水」の意味について質問が出ると、「この質問は日本だけで聞かれるのですよね。不思議です」とのこと。実は、僕の同僚も「水」が気になると言っていた。

ひとしきりきちんと説明をした後で、「でも海辺やプールが出てくると女の人や男の人を水着姿にしたり、裸にしたりできるから好きなんです」とも冗談顔でお答え。「男女の裸を撮るのが好きなのです。ヘンタイなんです、ふふふ」だって。

いや、でも冗談に喜んでいる場合ではなくて、本当はオゾン作品を語るのであればここに一番踏み込まなければいけないはずなのだ。彼の作品における女性の扱いや男性のポジションについて、オゾン本人のセクシャリティーと絡めて論じて初めてオゾンの作品論となり得るわけで、さあここで突っ込むかっ、と0.1秒躊躇したものの、アップルストアという公のトークの場であることを言い訳にして、笑いのままで場を終わらせてしまった。ああ、ヘタレだ。空気を読むことの退屈さよ!

といってもまあ無理ですけどね。僕としては、映画は自由でいいのだということをロッセリーニの『ドイツ零年』から教わったということを聞けたことで十分スリリングだったし、ファズビンダーを通じてダグラス・サークも好きだと言うことも確認できて嬉しかった(具体的なタイトル名を聞けなかったのが後悔)。「夢を現実のように撮り、現実を夢のように撮る」というブニュエルの言葉を常に意識しているそうで、なるほど、これも、さもありなん。

ということで、懸念された鼻水も垂れず、無事にトーク終了。オゾン監督もご機嫌のようだったし、まずはよかったよかった。

【21日(金)】
午前中は昨日と同様、映画会社各位をミーティング。フランス映画祭を主催するフランスの映画普及機関である「ユニフランス」の新しいヘッドとなった(映画監督でもある)ジャン=ポール・サロメ氏とも、ご挨拶を兼ねて30分ほどお話し。

いったん東京国際映画祭の職場に戻り、2時間ほどパソコンいじってから、フランス映画祭の会場となる銀座のマリオンビルへ。

17時40分から、マリオン11階の有楽町朝日ホールにて、オープニングセレモニー。僕は通路脇でちょっと鑑賞させてもらった。本当に、ナタリー・バイとジャック・ドワイヨンとフランソワ・オゾンがいるという場はすごい。今年は豪華だなあ。セレモニーはほぼオンタイムで終了。素晴らしい。

19時くらいから、フランス映画祭と阪急メンズ館とのコラボレーションイベントがあるので、その司会のお手伝いをすべくビルの1Fへ。

特設ステージが出来ていて、ゲストはリュディヴィーヌ・サニエ嬢(2児のママだけど)と、新人俳優のエルンスト・ウンハウワー君。かつてフランス映画祭業務でリュディヴィーヌ嬢のアテンドをしたことがあったのだけれど、あれからもう何年も経つというのに、なんと彼女は僕を覚えていた。なんと。これは泣くぜ…。

20時15分から、オープニング作品である『In the house(英題)』の上映後Q&Aの司会で登壇。監督のフランソワ・オゾンとは昨日じっくり話したので、もはや緊張もなくスムーズ。やはり慣れというのは重要ですな。僕の認識に間違いがなければ、オゾンは日本に数回プロモーション来日はしているものの、フランス映画祭は初めてのはずで、つまり観客を前にしたQ&Aを日本でやるのは初めてではないか?

まさにこの時を待っていたかのように、質問者の手が次から次へと挙がるのが気持ちいい。「本当に来日して下さってありがとう」と誰もが強調するので、いかに観客から待ち望まれていた監督なのかが分かる。熱い会場!

僕はここでチョンボ。原題と邦題の差についての質問が出て(「前作『Potiche』が『しあわせの雨傘』になったことをどう思うか?」的な)、オゾン監督は「日本の配給会社を信頼しています」という答えだったのだけど、僕がそこで「ちなみに、今作の『イン・ザ・ハウス』は原題の『Dans la maison』の直訳なので分かりやすいですね」とコメントしてしまった。

『In the House』は(英題)と断っている通り、あくまで今回のフランス映画祭で用いる仮タイトルだった! Q&A後、配給会社さんに深くお詫び。

『In the House(英題)』は、ここ数年のオゾン監督の中でも会心の出来栄えであり、全キャリアを通じても最高の1本にあげたいくらい、面白いです。秋公開なので、是非楽しみにしてもらいたのだけれども、『In the House』というタイトルではないかもしれないのでご注意を! ごめんなさい!

さて、「マイクを通してめちゃくちゃ鼻声でしたね」と知人から指摘されてしまった。そう、実は鼻水は昨日より悪化していた…。身体も熱い気がしたので(登壇してアドレナリン出ているというのはあるけど)、今日はこのまま帰ろうかと思ったけど、やはりせっかくだからと思い直し、フランス映画祭のプログラムの1本を見ることにして、階下の劇場へ移動。

21時15分から、『遭難者(仮)』と『女っ気なし(仮)』の2本。いずれもギヨーム・ブラックという監督による短編と中編で、合計で83分。2年の間隔を空けて製作されており、『遭難者(仮)』の中心人物のひとりを、監督がどうしても再び登場させたいと思い、彼の後の人生の一場面を描いたのが『女っ気なし(仮)』であるとのこと。

で、これが本当に素晴らしかった。本当に、たかが風邪気味程度なことに負けないでよかった。極上の素晴らしい映画の瞬間。これぞ映画というショットと空間にうっとり。

この2作品、まとめて日本公開が決まっているので、内容はなるべく書きたくない。僕も予備知識ほぼゼロで観て、これだけの陶酔を味わったので、同じ思いを他の人にもしてほしい。なので、書きたくない。でも宣伝したい。どうしよう。

小さな小さな物語の、大きな大きな映画。ディテールの積み重ねや、細かい人間の感情の動きを繊細に丁寧に拾っていくことで、これだけ大きな映画を生み出せるのだという、奇跡のようでもあり、教科書のようでもある作品。こんな監督がいてくれるのであれば、今後も映画を見続けてもいいなと思う。斬新なものを作り出す革命的才覚ということではなく、過去の美しいものをきちんと未来に繋いでくれるアルチザン的創造者として、ギヨーム・ブラックという名前を深く脳裏に刻んでおきたい。

映画祭を業務にしていると、会期中の上映作品を見る時間などないのが常なのだけれど、このフランス映画祭では司会として舞台裏に参加しながら、こうやって観客として作品も見られてしまうので、とても不思議な気分。なので、ちょっと分裂気味になりつつ、映画(祭)の喜びをかみしめながら帰路へ。
《text:Yoshihiko Yatabe》

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