【インタビュー】クライミング界の若き天才に“あの質問”を訊いてみた 「なぜ山に登るのか?」

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2008年のW杯チャンピオンのダヴィッド・ラマ/映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』
  • 2008年のW杯チャンピオンのダヴィッド・ラマ/映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』
  • 『クライマー パタゴニアの彼方へ』ティーザービジュアル/(C)2013 Red Bull Media House GmbH
  • 2008年のW杯チャンピオンのダヴィッド・ラマ/映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』
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――なぜ山に登るのか?

「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われて、「そこにエベレストがあるからだ」と答えたというイギリスの登山家ジョージ・マロリーの逸話は有名だが、彼にも「そこに山があるからだ」的な、いかにも登山家然とした答えを期待しつつ聞いてみる。20代そこそこの登山家がどんなものを抱えながら、命の綱渡りをしつつ山を登るのか気になったからだ。

2008年のW杯チャンピオンにして“クライミング界の若き天才”と称えられる、世界のトップクライマー、ダヴィッド・ラマ。自身の3年間の挑戦を追ったドキュメンタリー映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』を携えて、来日した際に都内のクライミングジムでインタビューを敢行。俳優でも、監督でも、音楽家でもない…しかし彼は“アーティスト”である。

本作の舞台は、有名アウトドア・ブランドもその名を冠した南米“パタゴニア”に聳える、標高3,128mの難攻不落の山セロ・トーレ。この南東稜に位置する花崗岩からなる尖塔を、フリークライミングで登頂した者は未だかつて誰も存在しない。



その最高難易度の過酷なルートに挑んだのがダヴィッドと、そのパートナーのペーター・オルトナー。本作では、セロトーレに挑むダヴィッドの挑戦と苦悩を3年間にわたって追ったものだ。

冒頭の質問に話を戻そう、彼はこう答えた。

「まず、『登るのが、好きだから』っていうのはあるね。もっというと、山が自分を一番表現できるものであるということ、あるいは自分の夢を生きることができる場所だからかな。そしてクライマー・登山家というものは、こういう山(セロトーレ)の前に立ったときに、自分がどういうふうなライン(※頂上までの道のり)で登りたいのか分かってしまう、見えてしまうんだ。自分が想像していたラインを登りきると、それはある意味で、自分の夢を実現させた、思い描いた想像を現実で表現できたっていうことだからね」。

「登山」と聞くと、極寒の猛吹雪の中を歩いて登るイメージを持つ人が多いかもしれないが、彼の「登山」はそうではない。フリークライミングと呼ばれる、命綱一本だけで3,000mを越える断崖絶壁を素手で登っていく。途中、少し動けば落ちてしまいそうな崖の上で寝袋にくるまって座りながら夜を明かすこともあり、ダヴィッド自身も「ロマンティックな思いをする暇もないくらい苦しいんだ」と苦笑を浮かべる。

「居心地が悪い、不快なことも多いし、でも苦しむということはすなわち、自分の何かを与えるということであり、それによって、自分にとっても何らかの価値が生まれることだと思っているんだ。それをやり通すことができれば、やっぱりその満足感や充足感は何者にも代え難い。それからやっぱり、極限状態で苦しむことによって多くのことを学ぶことができるよ」。

究極のドM…いやいや、命を懸けた“想像の具現化”だ。ダヴィッドは続けて、こんな話もしてくれた。

「やっぱり山って、クライミングって、哲学に密に関わっているように思うんだ。山、あるいはクライミングというものは、スポーツというよりもアートに近いんじゃないか、と思っているんだ。哲学とはすなわち“生き方”だ。僕にとってクライミングをすることは、より『人生とは何か?』『生き方とは何か?』ということが、明らかになっていくものなんだ」。

もはや禅僧のような言葉だが、それを20代の青年から聞くことになるとは…。ダヴィッドはエベレスト無酸素初登頂者にわずか5歳で見出された、紛れもなく天才であり、体力的にも相当タフだ。しかし、それ以上に精神的なタフさとその成長力に驚かされる。劇中で彼が語る言葉にハッとされるものがある。例えば「決定権を握るのは、ルールじゃなくて自分自身だ」という、この言葉。彼は10代に数多くの大会に参加し、賞を総なめにしてきたが、それは“競技”としての評価であり、ストップウォッチも審判もいない場所で山と相対したときに先の言葉と共にそれを痛感したそうだ。

「大会の時は、応援してくれる何千人っていう観客、そして審査員たちに見守られながらやるし、ルールもある。だけどセルトーレは、とても人里離れていて、近くの町まで何十kmっていう場所で、見守ってくれているような人たちは誰もいないんだ。外での登山というのは、本当に自由で、逆にルールがないからこそ何でもできる。だけど逆に、自由があるということは、逆に難しいところもあって。その中で、何でもできるからこそ、自分だけのやり方っていうのを見つけていかなきゃいけないし、それをブレずに、最後までやり通さなければいけない、ということでもある。

それは決して簡単なことではなく、障害もたくさんある。例えば何か問題が起きた時に、ルートを変えるのは簡単なんだ。でもね、それをしてしまったら、最初に最高のイマジネーションで想像したビジョンからブレることになってしまう。それが問題の解決方法として良いと思うなら、それはその人で良いと思うんだけれど、僕自身の意見としては、最初に最高のイマジネーションを働かせたパーフェクトな想像通りに形にすることが、一番充足感を感じるんだ」。

まさに妥協のない表現者の言葉。ここまでの揺るがぬ精神を持つ彼に、もうひとつ聞いてみたい。難攻不落の山をフリークライミングで登る、というのはクライミング界に大きな影響を呼んだ。その際に、「売名行為だ」といった心ない言葉と共に「不可能だ!」という多くの声が彼に襲いかかったそうだ。そんな状況の中で、どんな思いだったのか?

「僕は『不可能』という言葉を信じていないんだ。つまり、『不可能』という言葉はすべての人にいつも当てはまるわけではない、って思っているんだ。大体スポーツやアスリートって、どんな競技を見ても、日々、昨日の限界より先に行こうとしているものだよね。僕らもまた、このセロトーレの挑戦で同じことをしただけなんだ。

『不可能』と言われることが実は何よりのモチベーションでもあって、『不可能』って言い換えれば『誰もやったことがない』、あるいは『トライすらしたことがない』ということだからね(笑)。僕がそれにチャレンジすれば、当然情報量もとても少ないし、いろんなことについて自分が答えを見つけていかなければいけない、という作業になると思うんだ。初めてってなると、すべての答えは自分が見つけていかなければならない、そういった道の領域に僕は踏み込みたいから『不可能』にあえてチャレンジしていきたいんだ」。
《text:cinemacafe.net》

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