【MOVIEブログ】2015 コンペ作品紹介(1/5)

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9月29日に今年の東京国際映画祭の作品が発表になりました。公式HPに作品が掲載されていますが、このブログでも、僕が選定に関わった作品を紹介していきたいと思います。一応個人ブログのつもりなので(微妙なところですが)、筆も滑るかもしれませんが、そこはご容赦を!

さて、まずは5回に渡ってコンペの作品について書きます。世界の秋シーズンの新作を中心に、傑出した才能を集めて紹介し、賞を競ってもらうのがコンペです。もっとも、決め方には様々な変数が介在して、どうやってコンペを決めるかということは、本当に一言で書くのが難しいです。

ひとつの理想として、誰でも知っている有名監督の新作のワールドプレミアをずらりと並べる、というラインアップのあり方があるでしょう。カンヌを筆頭に、映画祭と作家主義とは深い関係にあり、重要なのは監督のネームであるというスタンスです。監督の出身国や作品のタイプは、重視をしないとまではいかないまでも、プライオリティーとしては劣後します。

トーキョーでは、有名監督の新作ワールドプレミアがずらりと揃う、というところに到達するには、もう少し時間がかかりそうです。しかしやはり監督の個性を重視するという点においては、映画祭のワールドスタンダードに沿いたいと思っています。監督の個性と作品のクオリティーをまずは一番に重視する。そして、プレミアかどうかということも、ある程度は意識する。

その上で、僕は極力世界の広い地域をカバーしたいと考えています。せっかく国際コンペティションという看板を掲げていて、そして世界各地に才能が溢れていることを考えると、なるべく多くの地域から映画を招きたい。もちろん、「映画は世界に開かれた窓」なのであるから、映画を見る喜びが世界を知る喜びへと繋がる体験を用意したい。

僕は自分を観客に設定しているので、コンペを全作見るとしたら(他の映画祭に出かけると、やはりコンペ中心に見てしまう)、色々な国の作品や作家を知りたいと思ってしまいます。そして、出来れば色々なタイプの作品が揃っていてほしい。シリアスな人間ドラマはもちろんいいけれど、コメディやサスペンスも入っていてほしい。いまや、アート映画を16本並べて、ハイどうぞ、という時代でもないだろう、とも思ったりしています。

結果として、監督の個性を重視した上で、16本という限られた上映本数の中に、可能な限り世界の広い地域から、そして様々なジャンルが揃うことになりました。そして、監督のキャリアとしては、充実の実力派中堅層が中核をなしています。次代の巨匠・名匠の座を窺う位置にいる監督たち、そしてその後に続きそうな若手監督たち、という頼もしい面々が揃いました。

あとは会期が始まってから、観客の反応を待つばかり…。自分のことのように緊張しますが、どうぞお楽しみに!

さて、ブログでの紹介順は、色々考えた結果、今年は地域別に行うことにしました。(1)西欧、(2)東欧/北欧、(3)北米/中米/南米、(4)中東/西アジア/東アジア、(5)日本、という順番で行きます。ということで、まずは西欧からスタートです。

『スリー・オブ・アス』(フランス)

『スリー・オブ・アス』は、フランス映画です。監督はケイロンという芸名(?)を持つスタンダップ・コメディアンを本職とする男性で、本作が映画監督第一作。フランス映画ではありますが、出演者のほとんどがイラン人、あるいはイラン出身のフランス人、という設定です。

『最強のふたり』(11)以来、コメディ要素を含む感動の実話という路線がフランス映画にあるような気がしているのですが、『スリー・オブ・アス』もその路線に位置づけられる作品かもしれません。もっとも、物語はかなり特殊です。映画は、60年代のイランからスタート。大家族のひとりとして生まれた少年の生い立ちがコミカルなタッチで描かれますが、青年期になり、少年は反政府活動に関心を示し、政府の弾圧を受け、投獄されてしまう。ここから映画は本格的に動き出します。

青年は不屈の闘志を発揮して時代を生き延びていくのですが、この青年こそがケイロン監督の父親なのでした。その父親の役を、ケイロン本人が演じています。分かりにくいですね。つまり、父親の物語を、息子であるケイロンが映画化し、自ら監督と主演をこなしている、というわけです。父親だけでなく、父と共闘する母親も強い人物で、ケイロンは彼らから大いに影響を受けて成長します。

イランではイスラム革命が起き、両親はいよいよ国を脱出する決心をするわけですが、その後の展開も実に波瀾万丈で面白い。実際のケイロンは、ネガティブな事柄もブラックなユーモアで笑い飛ばすことをコメディアンとしての芸風にしているようですが、両親の物語は複雑すぎてステージではネタに出来なかった、と語っています。しかし、いつか映画を作る機会が巡ってきたら、これほど映画向きなストーリーは無いだろう、つまり、多くの人と共有するに値する物語なのだ、とも。

しんどい状況を、ユーモアを交えて描く姿勢が素晴らしいし、やはり実話は強い! ことを痛感する感動作です。そして、移民問題が世界を揺るがす中、このようなポジティビティーを備えた移民映画が誕生することを喜びたいし、そして移民側から描かれた映画であるという意味においても、画期的な作品ではないかと思っています。

主人公の妻(=現実におけるケイロンの母)に扮するのは、レイラ・ベクティ。アラブ系の女優としていまフランス映画界に欠くことの出来ない存在であり、今作でも見事なハマリ役。妻の父役のジェラール・ダルモンが、これまた素晴らしい。そして、このケイロンという才能。フランス本国の公開が11月ということで、東京国際映画祭の直後。このパターンも『最強のふたり』と一緒。つまり、フランスでの反応がまだ分からない。日本の観客がケイロンをどう受け止めるか、本当に楽しみです。

ところで、先日、公式パンフレットのコンペティション部門の前文を書いていて気付いたのですが、コンペ全体を貫く傾向として、いまをどう生きるか、というテーマが底流しているということが指摘できるかもしれません。意識的な作家は、時代と向き合った結果を作品に投影してくるだろうし、となると、この混沌たる時代をいかにサバイブするか、というテーマが共通のものとして浮かび上がってきても不思議ではない。コンペの16本、国もスタイルも違えども、「困難な時代を生き抜くために必要なものは何かを探求する作品群である」と言いたくなります。そして、その共通テーマにおけるキーワードは、「タフネス」と「寛容」であろうと思われるのですが、いや、この辺でやめておきましょう。

んー、映画の紹介はやはり難しい。僕は映画を見る前に事前情報をなるべく入れないようにしたい体質なので、どこまで書いていいのかいつも迷ってしまいます。『スリー・オブ・アス』はある程度内容を知っていても、楽しむことに全く支障の無い作品なのだけれど、中には全く知らないで臨んだ方がいい作品もある。でも何も書かないと誰も見てくれないかもしれず、このサジ加減がなかなかに難しい。コンペの作品であれば何も知らなくてもとにかく見てやろう、という方が増えるように頑張らなくてはいけないのですが、頑張ります。

『フル・コンタクト』(オランダ/クロアチア)

で、中身をあまり書きたくない作品の1本が、次の『フル・コンタクト』です。オランダとクロアチアの合作ですが、監督はオランダ人、そして映画の中身は実に無国籍。ダビッド・フェルベーク監督は、本作が長編6本目で、ロッテルダム映画祭をはじめ、いままでに多くの国際映画祭に出品歴がある実力派です。

主演に、フランス人のグレゴワール・コラン。クレール・ドゥニ監督作品に多く出演していることで知られ、『ネネットとボニ』(96)以来彼のファンという人もいるでしょう(僕もそのひとりです)。彼が空軍のパイロットを演じているのですが、その仕事は、砂漠の中にポツンと建てられた小屋にこもり、モニターの前に座り、遠隔操作でドローンを操縦し、爆撃をする、というもの。自分の身を危険にさらすことなく、爆撃行為をしていることのストレスやトラウマが徐々に彼の心身をむしばみ、やがて映画は全く意外な展開を見せていきます。

セリフの量を抑え、フェルベーク監督の独自の美意識で貫かれた映像が、主人公の心象風景を描き出していく。ヴァーチャルとリアルの、残酷で不条理で、そしてとても美しい混迷。こう書いてしまうと、ドラッグ映画のインナートリップ系の雰囲気を想像してしまうかもしれませんが、かなり違います。もっと端正でスタイリッシュ。得体の知れない、静かな迫力に満ちている。

設定は、米軍のようであり、どこかそうではない無国籍感も漂いますが、ただ、「ドローン」というものの存在が日本人にも幸か不幸か身近になった昨今、本作の現代性への扉は大きく開かれおり、ここでも時代との向き合い方が描かれていると言っていいと思います。

僕がここで少し思い出すのが、クレール・ドゥニ監督の『美しき仕事(Beau travail)』(99)です。この作品は日本で劇場未公開なので、あまり書くのが憚られるのですが、砂漠と軍とグレゴワール・コラン主演という共通点に加え、人間の肉体の実存性に迫るという点でも共通しています。心と肉体の崩壊したバランスをいかに取り戻すか、フェルベークのアプローチはコロンブスの卵的に痛快で、映画的な快楽を存分にもたらしてくれます。

ああ、上記を読んでも、全く何が何だか分からないですね! 内容を書きたくないが故に筆先でごまかしている印象ですね。ごめんなさい。書きたくとも書きようのない、とにかく全身で感じるしかない作品なのです。本作の不気味な迫力は圧倒的で、多様な解釈が可能でありつつ、ある確かな実感が鑑賞後に残ります。その確かな実感とは何なのか、もちろんここでは書きません。見たあとに観客の方々と語り合うのが、とても楽しみです。

『神様の思し召し』(イタリア)

さて、がらりと雰囲気は変わり、お次はイタリアからフィールグッドなコメディ、『神様の思し召し』です。これほどストレートなコメディがトーキョーのコンペに入るのは、かなり久し振りかもしれません。本作は今年の春にイタリアで公開されている作品なのですが、イタリア国外ではまだ紹介が進んでいないのがあまりにもったいないと、今回トーキョーのコンペで取りあげることにしました。冒頭からあれよあれよと引きこまれ、ゲラゲラ笑っているうちに感動してしまうという、とても鮮やかで楽しく、そして実はとても重要なメッセージを備えたドラマです。

監督のエドアルド・ファルコーネは、本作が長編デビュー作ではあるのですが、脚本家としての実績は重ねている人です。もともとがコメディを得意にしており、特に伝統的なイタリア・コメディが好きだとのことなのですが、見事に国境を越える笑いを実現させています。同意してくれる人も多いと思いますが、笑いはなかなか国境を越えづらい。普遍的なユーモア、というものはもちろん存在しますが、ある国の国民を爆笑させるコメディが他国も爆笑させるというケースは、むしろ珍しいと言っていいと思います。昔から指摘されるように、泣かせるより笑わせる方が難しい。

主人公の中年男は腕の立つ外科医なのだけれど、自分の腕をひけらかす傲慢な正確の持ち主。病院でもエバっている。しかし、というか、だから、というか、家の中はあまりうまくいっていない。表面上は平穏を保っているものの、妻も娘も水面下で問題を抱えている。そして、自分の後を継がせるべく医大に通わせている息子が重大な告白があると言ってくることで、ついに主人公の人生の歯車が狂い始めてしまう…。その告白とは!?

とまあ、こんな導入部です。やはり脚本が上手くて、気持ちよく展開に騙されます。役者陣も達者で、脇役まで丁寧に描かれ、それぞれが笑いどころのツボを押さえてくれる。エンディングも秀逸です。コメディのスタイルを取ってはいますが、本作も極めて現代的なテーマを扱っていることが実感できるはずです。それは、コンペに共通のテーマとして底流する「現代を生き抜くために必要なものの探究」だと僕は思っています。

イタリアのコメディがどのくらい日本でウケるか、とても楽しみなところです。あまり映画や映画祭のコンペティションに馴染みの無い人であれば、是非本作から入ってもらいたいし、一方で屈強なシネフィルにもファルコーネ監督の作家性には納得してもらえるはずです。

ハードコアな『フル・コンタクト』に、ナイスコメディの『神様の思し召し』。あまりにも異なる2作品、比べるのは酷だ! ということだとは思うのですが、そこはブライアン・シンガーさんに悩んでいただきましょう。
《矢田部吉彦》

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