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『セイジ』伊勢谷友介監督インタビュー 前作から8年を経て芽生えた「使命感」

「良いとか間違っているとかをジャッジするのではなく、ただそこにあるものを理解しようとすること——」。それこそがアーティストである前に“人間”伊勢谷友介を貫く哲学であり、2作目の監督作となる映画『セイジ−陸の魚−』の主人公・セイジ(西島秀俊)に背負わせた生き方でもある。昨年公開された『あしたのジョー』ではおよそ10キロの減量を敢行し、文字通り身を削って力石徹に変身した伊勢谷さん。「今回は監督だけだったので全くもって楽でしたよ」と飄々と語るが、完成した作品を観ればひとつひとつのセリフ、そして沈黙に至るまで、まさに彼が“心血を注いで”を作り上げていったことが分かるはずだ。前作『カクト』から8年。俳優としての活動に加え、己の生き方を形にするべく数年前より自らが代表となって始めた「リバースプロジェクト」の活動を経て、彼はこの映画で何を表現しようとしたのか?

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『セイジ−陸の魚−』伊勢谷友介監督 photo:Naoki Kurozu
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「良いとか間違っているとかをジャッジするのではなく、ただそこにあるものを理解しようとすること——」。それこそがアーティストである前に“人間”伊勢谷友介を貫く哲学であり、2作目の監督作となる映画『セイジ−陸の魚−』の主人公・セイジ(西島秀俊)に背負わせた生き方でもある。昨年公開された『あしたのジョー』ではおよそ10キロの減量を敢行し、文字通り身を削って力石徹に変身した伊勢谷さん。「今回は監督だけだったので全くもって楽でしたよ」と飄々と語るが、完成した作品を観ればひとつひとつのセリフ、そして沈黙に至るまで、まさに彼が“心血を注いで”を作り上げていったことが分かるはずだ。前作『カクト』から8年。俳優としての活動に加え、己の生き方を形にするべく数年前より自らが代表となって始めた「リバースプロジェクト」の活動を経て、彼はこの映画で何を表現しようとしたのか?

舞台は寂れた山奥のドライブインという、ほぼワンシチュエーション。ひょんなことから自転車旅のさなかに旧道沿いに立つドライブイン“HOUSE475”に立ち寄った僕(森山未來)と雇われ店主のセイジ、そこに集う人々の交流が静かに描き出される。前作がオリジナル脚本だったのに対して、今回は辻内智貴の小説(「セイジ」光文社文庫刊)を原作としているが、伊勢谷さんは原作小説が内包するテーマに惹かれ、5年越しで映画化を実現させた。
「地球上で人間が生きているということを考えること。個人として我々に何ができるのか? 人が困っているときに何をすべきなのか? それは僕がその頃考えていたことでもあるんですけど、そうしたテーマを全てこの小説は内包していました」。

それを映画として表現する上で「テーマを前面に押し出したり、説明過多の物語にすることはしたくありませんでした。映画の中にもいろんな立場の人が出てきますが、観る人の経験や感覚によって理解や解釈が変わってくる作品にしたかった」と明かす。この言葉にもあるように“観客”の存在を念頭に置いて作品に対峙するようになったことが8年前との大きな違いだという。
「8年前は『映画監督になりたい』という自分のための意識が強かったと思います。監督になるということがどこかで目的になってたんです。それが今回、映画を作ろうってなったときに、絶対的に観る人の存在が中心にあったんです。お客さんに何を持って帰ってもらうのか? という点を考えた上でデザインしているというのはものすごく変わった部分です。ここ5年の間にセイジという人間に関わり、彼について咀嚼したことで僕自身がいつの間にか成長できたんだと思います」。

伊勢谷さんをそれほどまでに変えたセイジという男。いったいどんな人物なのか? 映画の中では決して多くを語ろうとしないが、たまに口を開くと心を捉える言葉を持つ男として不思議な魅力を放つ。「地球を遠くから見つめている男」とは伊勢谷さんの表現。さらに自身と「近いところがある」と認めつつこんな思いも…。
「実は、この原作を映画にしようと動き始めた時点では“アンチ・セイジ”というのが僕自身の彼に対するスタンスでした。セイジは全てを感じ、理解しているけど自分からは決して行動しないと決めている。僕は最初、それは間違いなんじゃないかと思ったんです。感じることができるなら、そのために行動することが現代に生きる人にとって光になるんじゃないかって思いの方が強かった」。

だが5年の歳月をかけて脚本を練り直し、30稿を超える書き換えを積み重ねていく過程で伊勢谷さんの思いは徐々にセイジに寄り添い、重なっていく。
「原作ではセイジはある種の“神”として描かれています。だからこそ余計な説明なしに彼の生き方というのが成立している。だけど、僕は人間としてセイジを描きたかった。彼に人間味を持たせたかったし、人間だからこそできるというのを伝えたかったから、原作にはないセイジがHOUSE475に至るまでの物語を描きました。最後にセイジが取る行動に関しても、彼がそうするに至る衝動や彼の中での道理というのを観る人に感じてもらいたいです。正直、そこは西島さんなくして成立し得なかったところなんですが…。『もしかしたら、そうしちゃうかもしれない』というところまで感じてもらうことができたら、何をもってして“人を助ける”と言えるのか? ということを考えるきっかけになると思います」。

西島さんの話が出たが、かつて『CASSHERN』でわずかに共演経験のある西島さんに対する伊勢谷さんのスタンスは“信頼”の一言に尽きる。先述のラストシーン近くでセイジが取るある行動についても「30稿書いて誰からも『納得できる』とは言ってもらえなかったけど、西島さん自身はそのシーンに全く疑問を持たず『できるでしょ?』と言ってくれました。それは本当に心強かったです」と感慨深げにふり返る。本作の撮影前にアミール・ナデリ監督の『CUT』に出演していた西島さんは体脂肪をギリギリまで落とした状態だったが「俳優の状況も含めて映画はナマモノなので」(伊勢谷さん)、ほとんどそのままのコンディションで本作の撮影に臨んでいる。
「実は僕自身、西島さんに演出したという記憶がほとんどないんです。唯一、覚えてるのが“僕”がセイジのフィルムを盗み見たシーンについて。『イスに座ってほしい』とお願いしたら西島さんが『それはできないと思う』と言われて、話し合ったことぐらいかな。ただ、こないだ西島さんと話したんですが、僕は相当細かいタイプの監督らしいです…自分ではいまいち分かんないんですけど(笑)。僕から見て、西島さんがすごいと思うのは精神的な意味での立ち位置。隣に人が並んで立っていても、全く違うところにいるような不思議な感覚を与えてくれる。西島さんがそうした部分を意識しているのかどうかは知りませんが、少なくとも『持とう』と思って持てるものじゃないです。それはまさにセイジが持っているのと同じものでした」。

一方でこれほど難しく、そして魅力的な役を自分以外の人間が演じることに対し、“俳優”伊勢谷友介として葛藤はなかったのだろうか? そう尋ねるとわずかに口元に笑みを浮かべ「監督をやらないのであれば、もし自分に来たら嬉しい役でしたね」と本音をチラリ。だがすぐに“監督”の顔になって、自身の中にあるモチベーションを語る。
「それなりに年を取って(苦笑)、感じるのは昔のように『楽しいからやる』という以上にある種の使命感をもって表現に臨んでいるということ。そう言うと大げさで偉そうに受け取られるかもしれないけど、良い人間か悪い人間かどちらになりたいかと言われたら良い人間になりたいって思えるようになったんです。そのために現実の中で活動し、どうレベルアップしていくか? と考えるようになって、それがリバースプロジェクトにも繋がっていきました。俳優との違い? 役を演じるときは与えられた環境の中で感情を全開にして爆発させようとしてます。でも、監督してるときは爆発しちゃヤバいですからね。そういう意味で精神的に使っている部分が全然違います」。

伊勢谷友介が“大人”になった? いやいや案ずるなかれ。映画のあちこちで俳優のときとはまた一味違った“尖った”表現をしっかりと見せてくれている。インタビューの最後には、意味ありげな笑みを浮かべてこんな言葉を…。
「こうあってほしいという理想を描くだけでなく、“アンチテーゼ”として描くこともまた重要な表現だと思ってます」。

監督として俳優として、今後もスクリーンの中で大きな“爆発”を見せてほしい。

《photo / text:Naoki Kurozu》

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