『脳男』太田莉菜、出産・子育てを経て芽生えた「演じる」ことへの“熱”

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『脳男』太田莉菜/Photo:Naoki Kurozu
  • 『脳男』太田莉菜/Photo:Naoki Kurozu
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「生活の中に真実というか、全ての答えがあるんですよね」。SF映画から抜け出てきたようなシュールな佇まいと、彼女が発する「生活」という言葉のギャップに何とも不思議な気持ちになるが、その口調は確かな“熱”を内包している。

まもなく公開となる『脳男』で久々の長編映画出演を果たした太田莉菜。人気モデルが映画やドラマに出演すること自体、目新しいことではないし、彼女自身10代の頃から女優として活動してきている。だが彼女が本当の意味で「演じる」ことの魅力と欲求に目覚めたのは出産後の休養と子育ての最中だったという。鍵となるのは冒頭の言葉。日常の中に彼女は何を探し、何を見つけたのか――?

映画は並外れた知識と肉体を備えつつも感情を持たない青年の存在を軸に、一連の爆弾テロ事件が描き出される。マネージャーから説明を受けるも、何ともイメージが沸かぬまま脚本を手にしたが「自分の役を中心に読んだんですが、意外にも共感する部分が多くて、すごく魅力的に感じました」とふり返る。

彼女が演じた水沢ゆりあは、一連の事件の主犯である相棒の緑川(二階堂ふみ)に盲目的なまでに心酔する一方、標的となる市民の命など一顧だにせずにサディスティックに犯行を重ねていく。いったいこの非道な犯罪者のどこに魅力を感じ、共感さえ抱いたのか?

「彼女はやることは酷いけど、実は弱い人間で主体性を持ってないんですよね。緑川への心酔も宗教にハマるような感覚で、絶対的な何かがないと自分を保てないから。中身がないからこそ見た目を派手にすることで自分を主張してるんです。そう捉えたときに思ったのは、人はそれぞれ常識や自分なりの正義を持って日常を生きているけど、一歩外に出たときに自分にとっての普通が周りに受け入れられないことがあるということ。ゆりあは、そうやって広い世界に接する中でねじれて破滅的な方向に堕ちていった存在なんじゃないか? そう考えると拒否反応よりはボタンの掛け違いで誰にでも起こり得るという思いが沸いてきました。緑川を追いかけ、求め続けるけどふり向いてもらえない、そういう部分も魅力に感じましたね」。

瀧本智行監督曰く、太田さんは「現場で最も成長を遂げた存在」。太田さんは「そう仰っていただけて嬉しい反面、本来はそれじゃいけないという思いもあります」と複雑そうに語る。撮影は頭の中で「理解」することと現場で「表現」することの差に愕然としつつ、もがき続ける日々だった。

「正直、いまの私は女優としては赤ちゃんのような状態。やはり経験が必要なんだなと感じました。経験なしでは自分の身体の感覚すら自由にすることができない。いざカメラの前に立つと、声の出し方も動き方も自分の中のイメージに身体が追いつかないんです。最初の撮影は隠れ家のソファで緑川ににじり寄っていくシーンだったんですが、まず自分のテンションをコントロールできないし、『ねぇ』と呼びかけてから『よいしょ』と体を動かすような感じで、『あれ? 全然スムーズにいかないぞ』って(笑)。スタッフさんにも最後のシーンが終わって『これでようやく君は女優になったね』と…お褒めの言葉と受け取ってますが(苦笑)。経験を積んで鍛え上げていくしかないんだと改めて感じました」。

昨年、太田さんは渋谷慶一郎プロデュースの下、「サクリファイス」という曲でヴォーカリストとしても活躍している。その際、たびたび彼女が口にしていたのは「自分の声は“素材”」という言葉。

「音楽活動は本業ではないし、『歌が上手いわけでもないのに失礼なんじゃないか?』とどうしても迷いが生じるんです。それでも渋谷さんが私の声を必要と言ってくださるなら、何かがあるんだろうという思いで引き受けました。“素材”と言ったのは、私の主観など関係なく、私を楽曲のために『好きに使っていいよ』という意味なんです」。

一方で、女優としての活動については「そこに立つ以上、主体性を持って『何をすべきか?』を自分で考えなくてはいけない」と語るように、音楽活動とは明確に線引きをして臨む。「自分を客観視すらできない私が、主体性うんぬんと言うのはおこがましいですが…」と前置きしつつ、これまでキャリアを積んできたモデルとして活動との違いを踏まえこう続ける。

「モデルというのは一瞬を切り取る作業で、ある意味で勝手に自分の中でストーリーを作り上げて被写体になればいい。でもお芝居ではすでに脚本があって、それに沿って本当に多くの人が関わり絡み合っていく。単に私の一つの動作を撮るにせよ、そこに『何故そうするのか?』という理由があるんです。例えば日常で『リンゴを食べたい』と思っても、『何でリンゴを食べたいのか?』なんて考えないですよね。でも何となく思ったことをきちんと具現化することが、表現をしていく上ですごく大切なんだって気づきました。同時に『これは本当に大変なことだぞ』とも思いました(苦笑)。自分を出すということは自分を理解してないといけないけど案外、自分のことを分かってないなと思い知らされましたね」。

それはまさに冒頭の言葉へと繋がる。「何をしたいのか?」、「何故したいのか?」それは出産後の日常生活の中で彼女が自らに問い続けたことだった。

「生活って地味なものですよね。朝起きて食べて、掃除して…何かを主張する部分でもないし、もしかしたら何もしないで終わる日もあったり。でも子供を産んだら一気に自分の時間がなくなって、『何をするのか?』と常に選択を迫られるようになったんです。とはいえ私自身、ドレスアップしてパーティや華やかな場所に出るのはあまり好きではなくて、どちらかというと家で映画を観たりして地味に過ごしてる方が好き(笑)。そうやって映画を観続けていると、映画が生活と表裏一体の存在になるというか…すごく大きな影響を受けて自分の中にいろんな感情が積もっていくのが感じられて、『私、これをどうすればいいの?』って(笑)。それをアウトプットしたいという欲求が出てきたんです。そこでふり返ったときに数少ないながらもこれまで経験させていただいたお芝居というのは、すごく魅力的なことだったんだなと改めて感じたんです」。

コツコツと自分の中に積み上げてきた感情、迷いや葛藤、選択を自らのフィルターを通して表現する。そこに何よりやりがいと快感を感じる。

「もちろん、主人(=松田龍平)が俳優をしているというのも大きかったですし、傍らで見ながら『こんな役やれて羨ましいな』と変なライバル意識を持つこともありましたよ(笑)。ただ彼を見ても、周りの女優さんたちを見ても、みんな深い葛藤を抱えてて、それをアウトプットするときの喜びようといったらすごいんですよ。『今日も大変だった』なんて嬉しそうに言うのを見ると自分もやりたくなりますよ! 生活で起きていること――幸せなこともトラブルも――当然ですが全てが私のメンタルに影響する。それをおおっぴらにして『私はこういう人間』、『こう思ってる』なんて言いたくないけど、何か一つ挟んでそれを表現するってすごく面白いことだなと感じてます」。
《photo / text:Naoki Kurozu》

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