一組の夫婦を通して考える。恋と愛の境界線、身体と心の“浮気”の境界線

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『恋と愛の測り方』 -(C)  2009 Last Night Productions, Inc.
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「恋と愛の違いとは?」。もし、そう尋ねられたら何と答えるでしょうか? 恋は奪うもの、愛は与えるもの。恋は経過で、愛は結果。恋は自分本位、愛は相手本位。恋は不安定で、愛は安定。恋には下に心(下心)があって、愛には中心に心があるとも。こんな風に、世間で言われている違いも様々。答えは人の数だけあるのかもしれません。フランスの文学者で「愛について—エロスとアガペ」を記したドニ・ド・ルージュモンは、愛と恋の違いについて、こう言っています。

「惚れるのは状態であり、愛するのは行為である」

深いですね。では、あなたがいま誰かを好きだとして、それは恋なのか愛なのか。その狭間で揺れている、それを測りかねているというのなら、観ておくべきは映画『恋と愛の測り方』。キーラ・ナイトレイとサム・ワーシントン演じる夫婦ジョアンナとマイケルが“3年目の危機”に直面しながら、自分たちの関係について、もう一度考え始めるという物語です。夫婦の危機となるのは、妻の元カレ(しかも、恋の国から来たフランス人!)と、妙にセクシーな夫の同僚(出張にも一緒に行く関係!)。妻も夫も、彼らの存在について内緒にしているあたりが、何やら意味深。そこには、潜在的な欲望が隠れているということなのです。

夫婦ともに、互いを愛し、いまの生活には満足しています。でも妻が、夫と参加したパーティで、夫に気になる同僚がいることを知ってしまうところから物語は動き始めます。たまたま夫とセクシー美女が楽しげに話しているのを発見。絡み合う視線に胸騒ぎを覚え、2人が「たぶんタイミングを狙っている」と感じ、これまでの出張でも何かあったのではないかと疑い始めるのです。疑念が生まれた以上、妻は冷静ではいられません。その後の夫婦の議論は、なかなかの見もの。夫は動揺し、「とんだ言いがかりだ」「ただの同僚だ、何もない」と言い続けるのですが、それがたとえ本当だとしても、夫の動揺は見過ごせません。肉体の関係がないとしても、夫が誰かに惹かれているというだけで、不快だし、不安なのが女心というもの。こうなると、肉体関係があったかどうか、自分の方が愛されているかどうかは、もう二の次なのです。女性の場合、自分が“一番”になるより、“唯一”であることの方が重要だと考える人も多いようです。反対に男性は一番になりたがる。ジョアンナとマイケルの議論がいつまでたっても平行線なのも、そのあたりに理由がありそうです。

そんな状況のまま、夫は問題のセクシーな同僚と出張へ。そんな日に限って、妻は偶然にも元カレ(いまも好き)と再会。どちらにとっても、間違いを犯すには格好の機会が訪れるのです。夫婦は、愛のために踏みとどまるのか。それとも、感情に流されてしまうのか。

もしかすると、妻が元カレに、夫が同僚に対して抱いている感情を、人は恋と呼ぶのかもしれません。でも、人はなぜ最愛の人がいるにも関わらず、ほかの人に惹かれるのでしょう。愛の方が崇高だと思われているけれど、人は恋する者の情熱を羨ましがるものです。愛を捨てるつもりはないけれど、恋もしたい。それが愛を脅かすかもしれなくても、です。それは、ジョアンナがマイケルに叫んだように「人は常に新しさを求める生き物だから」かもしれません。パートナーを傷つけると分かっているのに、自分本位にほかの誰かを求める気持ちこそ、恋ということなのでしょうか。たとえそれが、後に愛に変わったとしても。

では、もし別の人に恋心を抱いているとして、それでもパートナーのためにセックスはしないとしたら、それは自分を犠牲にして愛を貫いたことになるのでしょうか。それとも、別の誰かに恋心を抱いた時点で、もう裏切りなのか。実はこの作品では、観る者はこの問題にも突き当たります。それは“身体の浮気”と“心の浮気”なら、どちらがより酷い裏切りなのかということ。

この話題が出ると、メリル・ストリープとロバート・デ・ニーロ共演の恋愛映画『恋におちて』('84)を思い出します。既婚者同士が出合い強く惹かれあうのですが、身体の関係は結ばないまま、互いのパートナーに知られてしまうのです。そのとき男が自分の妻に、「体の関係はない」と告白すると、妻は余計に逆上し、「そのほうがよほど罪だ。本気だってことでしょ。肉体関係があったほうが許せるのに」と言うのです。好きだけど、しない。できるけど、しない。大人の男女は、そこに肉体関係以上の深い繋がりや、真剣な想いを見てしまいます。タイトルでは、2人は“恋におちた”ことになっていますが、実はこれは愛なのかもしれません。

身体の関係を結んだときよりも、愛する人以外に惹かれるという自分の気持ちに気づいたときこそ、パートナーへの裏切りを意識する人もいることでしょう。気持ちは自然発生的で抑えられないもの、そしてすべての行為の根源。でも、行為は意志で抑えることができる。どちらが厄介か、明白ですからね。

だから、ジョアンナは、夫がほかの女性に惹かれていることに気づき、とても傷つき不安になるのです。彼が自分を愛していると分かっていても、自分が彼にとって唯一無二ではない可能性を感じてしまうから。そんなときに、まだ好意を持っている元カレから連絡を受け、誘いに乗って出かけてしまう彼女の気持ちに、共感できる人も多いはず。不安定なときに、自分が特別だと感じさせてくれる男が現れたのですから、すがりつきたくもなるでしょう。もし、「私ならこの状況でも絶対に出かけたりしない」「こんな誘いに乗るなんてダメよ」と断言できる人がいるとしたら、なかなかの理性派。「私は行ってしまうかも」と考える女性と、そうでない女性との違いは、きっと恋愛経験の種類によるもの。現在、愛するパートナーがいるのに、まだ気になる相手がいる人と、いない人では、恋愛観は大きく違うはず。人のキモチとは割り切れないもので、自分ですらコントロールできないと知ってしまった人とそうでない人、ある人に恋をしながら別の人を愛せると気づいてしまった人とでは、ジョアンナへの共感にも大いに温度差が生まれるはずなのです。

それにしても、ジョアンナとマイケルを見ていると、結婚の意味がよくわかります。結婚とはいわば契約。“この人”と決めた時点で、残りの一生をともに過ごす誓いを立てます。それは、いわば覚悟の表明。でも、忠実な愛を信じるならば、人は結婚という契約で相手を、そして自分を縛る必要などないのです。つまり、結婚の前提には、人の心は揺れるもの、移ろいやすいという事実が見えてきます。約束事があるから、人はより慎重に行動し、自らの気持ちをコントロールしようとする。だからといって、自重は愛ゆえとは限りませんが。浮気をしていない夫婦が、必ずしも愛し合っているわけではないのですからね。

さて、ジョアンナとマイケルはどうなるのでしょう。あなたなら、ジョアンナとマイケルが互いに持つ感情は愛なのか、彼らが元カレや同僚に抱いている感情は恋なのか、はっきりと見分けがつくでしょうか。誰が誰を一番深く愛しているのか。エンディングを見ただけでは、単純に測りかねないのが、彼らの心理というもの。あなたならこの夫婦の抱く感情を、どう推し量るでしょうか。実は、映画をフィルターにして見えてくるのは、あなた自身の恋愛観なのかもしれませんよ。



特集:恋と愛のちがいって…
http://www.cinemacafe.net/ad/koitoai/
《text:June Makiguchi》

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