『私の体はいつでもOKになっていた。でも、このとき心が、引く反応をした。…ばれてる。』どうしたら男性にこの言葉が書けるのだろう。なんでそんなこと分かるの。なんなんだろう女以上に女を書く男性たち。物心ついて、そう強く記憶に残ってるのはあと二人。三島由紀夫【夏子の冒険】夏子は情熱らしいものを宿している男が一人もいないことに絶望した。芸術家にそういう男がいるかと思えば画描きの青年はどれもこれも天才気取りで「芸術」という言葉をチューインガムのように濫用した。その上いわゆる芸術的野心という奴を、女の心を引くための装身具のように思っていた…彼女の知った若い音楽家はすこぶる気が変で…作品第一番、第二番という作品番号で女を呼んでいた。サラリーマンは退屈で何の話題もなかった。…男の人たちは二言目に時代が悪いの社会が悪いのとこぼしているけれど、自分の目の中に情熱を持たないことが一番悪いことだとは気付いていない。下田逸朗【ホームレスハート】誰にでも愛される女になればなるほど 駄目になってく私がいて誰からも嫌われる女になればなるほど 強くなってく私もいるあなたどっちが欲しいのか はっきりしてくれなきゃたまらない、って呟いて私泣くかもしれないこの世になびいて この世になじんで行くことを やらせで出来る私がいてあの世に呼ばれてあの世に出かけて行くことを 自然に出来る私もいるあなたがどっちが好きなのか 態度で示さなくちゃ助けてよって呟いて私泣くかもしれない。今年劇場で観て骨太だなあと感じた『共喰い』『戦争と一人の女』ともに荒井晴彦さんが脚本でした。その二本は男性の視点が中心だったけれどもヴァイブレータみたいに、女性の胸の内の言葉を語らせたら荒井晴彦さんの右に出る人はいないんじゃないか、と思うほど。主演は寺島しのぶさんと大森南朋さん。五十嵐食堂のシーンが好きです。見栄も嘘もとっぱらったら 男と女はこんなにも可愛らしいのに。「私の中の考える声がうるさいの。」あー。これも、すごく分かる言葉。長野での撮影も残り数日。スキージャンプ台とゴンドラと歩いて15分かかるところに、ローソン。何もない。私は東京で生まれて育ったけど離れてみて東京ってつくづくクレイジーなんだなあと思う。普通なんてあそこにはないから。玄里玄里OFFICIAL facebook