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【MOVIEブログ】2015 コンペ作品紹介(5/5)

今年の東京国際映画祭のコンペティション部門の作品を5回にわたって紹介していますが、欧州、南北アメリカ、アジアの紹介を経て、最後は日本映画です。

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(c) 2015 「さようなら」製作委員会
『さようなら』 (c) 2015 「さようなら」製作委員会
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今年の東京国際映画祭のコンペティション部門の作品を5回にわたって紹介していますが、欧州、南北アメリカ、アジアの紹介を経て、最後は日本映画です。

今年のコンペの日本映画は3本。昨年が『紙の月』の1本だけだったので、その反動? と聞かれることもあるのですが、反動が全くゼロではないものの、最初から3本ありきということではないです。複数本あったらいいと考えてはいましたが、「巨匠、ヒットメーカー、若手のホープ」の3監督による作品をお迎えできるかもしれないとなったときに、この組み合わせが実現するなら是非3本で行きたい、と思うに至りました。

コンペの本数は例年15本だったのですが、15本中3本が日本映画では多いなということから、全体の本数を16本にしました。映画祭の会期が今年から1日増えたことにも助けられましたが、コンペの本数を増やせるのはありがたいです。本当はコンペに18本くらい入れたいのですけどね、まあ贅沢は言えません。

『FOUJITA』

寡作の巨匠、小栗康平監督の『FOUJITA』をお迎えできるのは大きな喜びであり、光栄です。いや、光栄という言葉は軽過ぎて、むしろちょっと信じられないという方が正確かもしれません。『泥の河』が81年だから、34年間で6本目の作品であり、前作『埋もれ木』が2005年なので、10年振りの新作です。僕が映画祭の仕事をしている間に小栗監督作品に出会う確率はとても低かったわけで、幸運と、小栗監督と、FOUJITAの企画に長年取り組んでこられたプロデューサーに感謝します。

小栗監督が新作の題材として選んだのは、日本を代表する洋画家のひとり、藤田嗣治。藤田の生涯における重要な二つの時期、つまり20年代のパリ滞在時代と、戦時中の日本で暮らした時代を描いていく作品です。

画家藤田の浮き沈みの激しい人生は、多くの日本人の知るところでしょう。戦前のパリで時代の寵児とまで評され、乳白色という個性や、独自の風貌も手伝い、海外で最も有名な日本人画家かもしれません。パリがドイツ軍に占領される直前に帰国した藤田が、戦後、戦争協力者のレッテルを貼られたことに嫌気が差して日本を捨ててパリに戻り、その後死ぬまで日本に戻ることはなかったということはよく知られています。

しかし、小栗監督は、藤田の生涯のドラマチックな展開を追うのではなく、あくまで2つの時代における藤田の内面を描くことに専念します。あたかも藤田の絵画芸術に真っ向から勝負するかのように、小栗監督の映画芸術の世界が展開します。そして観客は、ふたつの芸術が化学反応を起こして互いに昇華していく様を目撃することになります。この感覚は滅多に得られるものではありません。

前半で描かれるパリでの享楽的な生活の断面もさることながら、後半の日本パートが実に素晴らしい。色味や空間や構図や配置が、まるで動く絵画のように目の前に広がる様には忽然となります。戦時中の藤田の内面を見つめ、その隠れた思いが表面に浮かび上がってくるまで待つかのように、じっくりと描写を重ねていく。小栗監督特有のゆったりとして静謐な進行は、10年振りの新作でも健在であり、もはやここまで自分の芸術世界を映画で追及できる監督というのは日本にはあまり存在しません。

オダギリジョーさんが藤田嗣治の特異な容貌を見事に再現していることにも注目が集まりますが、日本パートで妻を演じる中谷美紀さんの控えめな存在感も素晴らしい。メジャーな俳優を用いた芸術映画が、今後の日本に現れ得るでしょうか。小栗監督の妥協なき姿勢に最大限の畏敬の念を抱きつつ、本作の誕生を心から祝福します。

『残穢【ざんえ】 - 住んではいけない部屋 -』

一転します。ヒットメーカー、中村義洋監督の新作です。中村監督、長らくコンペでお迎えしたいと思っていましたが、なかなかタイミングが合わず、今回ようやく招待が実現してとても嬉しいです。

新作は、小野不由美さんの同名の小説を映画化した恐怖映画です。僕は怖がりなので、怖い映画を見るのが怖いのですが(バカみたいな日本語ですが)、あまりに怖そうだと逆に映画的好奇心が勝ってしまい、見てしまうことがあります。かつて、『呪怨』の予告編があまりに怖いので、本編はどれだけ怖いのだろうと好奇心に負けて見てしまったら、あまりに怖くて1週間くらい部屋の電気を付けたまま寝てました。怖くない恐怖映画については、どうして怖くないかを冷静に振り返ることが出来ますが、怖い恐怖映画がどうして怖いのかについては、出来れば他の人に任せたいです。

で、『残穢【ざんえ】』。怖いです。副題に「住んではいけない部屋」とあるように、部屋にまつわる怪談です。僕は未完成の段階で見せてもらったのですが、見た後に家に帰るのがイヤでした。ほんとうに。隣人がゾンビ化するとか、悪魔が降臨するとか、そういうのもまあ怖いは怖いけど、でも自分の部屋で妙な音がするとかは、本当に嫌だ。怖い。

ストーリー紹介は、そういうことで省略します。というわけにもいかないかな。ライター稼業のヒロインは、一般の人から恐怖体験の投書を集め、雑誌に特集としてまとめる仕事をしている。ある日、部屋で妙な音がするという投書を受け取り、取材に出かける…。あー、いやだ。やっぱりやめた。ここまで。ヒロインは、竹内結子さん。投書を出す共演者に、橋本愛さん。

中村監督がジャンルとしての怖い劇映画を撮るのはおそらく初めてではないかと思うのですが、『本当にあった! 呪いのビデオ』シリーズにとても長く関わっているので、恐怖映画も自家薬篭中の物でしょう。サスペンスから感動の実話まで、幅広くジャンルをまたいでヒット作を連発する中村義洋という才能が、恐怖映画に取り組んだらどうなるだろうということに興味がありました。僕は「十二国記シリーズ」の大ファンなので、小野不由美さんの原作であれば物語は絶対に面白いはずだと言う確信はありましたし(「残穢」は未読ですが山本周五郎賞受賞)、日本の怖い映画を改めて海外にアピールしたいという思いも強く、今回のコンペ参加実現は本当に画期的なことだと思っています。

主演の竹内結子さんも相当な怖がりであるらしく、中村監督の渡した脚本をなかなか読まなかったというエピソードを先日の記者会見で披露していましたが、分かります。チーム・バチスタシリーズなどで中村監督と組むことも多く、信頼関係が確立された中で怖い世界に身を置いています。僕は怖い映画の中で、竹内さんの美しさだけが頼りでした。恐怖と美女、映画における永遠にして無敵の法則が、ここでも輝きを放っています。

優れた恐怖映画には、映画の基本原則がたくさん込められているということを、我々はヒッチコック(とトリュフォー)から教えてもらったわけですが、『残穢』をコンペにお迎えしたいまとなっては、恐怖映画がラインアップに入っていない方が不自然である気がしてきました。ともかく、震え上がって下さい。

『さようなら』

そして、「巨匠」「ヒットメーカ」に続き、3本目の日本映画は、「若手のホープ」深田晃司監督の新作『さようなら』です。『歓待』('11)、『ほとりの朔子』('13)に続き、東京国際映画祭で深田監督とお付き合いするのは3度目となり、作品毎にスケールアップしていく深田監督と並走できることに、無類の興奮を覚えます。

物語の設定は近未来。原発事故が同時多発し、難民と化した日本人は、外国に受け入れてもらう手続きを待っている。白人女性のターニャは日本に残る。彼女の世話をする女性型アンドロイドとともに…。

非常に特異な設定ですが、SFと呼ぶにはあまりにリアルであり、原発事故の恐怖を描くものと呼ぶにはあまりにも美しい、あらゆる常識を打ち破る作品です。「こんな日本映画見たことない」が、一緒に試写を見た同僚の第一声でした。僕も深く同意します。

独創的な脚本に加え、終末感に導かれた詩情が支配するような、深田監督が作り出す全く独自の手触りを持つ映像世界が、作品に唯一無二の個性をもたらしています。ターニャのあまりにも深い孤独と、永遠の命を持つアンドロイドとの対比を描き、映画は人類の存在論へと踏み込んで行きます。本作の後半で待っているシークエンスの崇高さは、未だかつて日本映画が到達したことのないものです。比較できる対象が『2001年宇宙の旅』くらいしかないと書いてしまうと、ミスリードしてしまうでしょうか。

コンペを通じて、いまという時代を何らかの形で反映した作品が多いということを前に書きました。世界の各所で作家たちが時代と向き合った結果として映画を作っているのであり、優れた作品であれば現在が反映されるのは必然と言っていいはずです。ただ、『さようなら』は、原発事故をひとつのきっかけとして書かれてはいますが、反原発を声高に主張する作品ではありません。

むしろ、より現代性が強いと感じられるのは、難民に対する目線です。シリア内戦を原因として大量の難民が欧州に流入している状況が世界を揺るがす問題に発展していますが、日本では対岸の火事という印象が拭えません。そのような状況の中、日本人が難民として他国に避難する状況を描く本作は、タイムリーという意味ではほかの日本映画に並ぶものが無く、まさに世界標準のテーマを扱っていると言えます。ターニャや彼女の恋人にも、難民としての背景があり、移民問題の普遍性が指摘されます。もちろん、自分が難民と化すことについての想像力の喚起を日本人に促す意義も、とても大きいはずです。

しかし、そうは言うものの、あまり身構えないで下さいね。なんだかヘビーな社会派作品のように聞こえてしまったら、それは僕の筆力の未熟さによるもので、謝ります。ごめんなさい。これは決してヘビーな社会派作品ではありません。むしろ、その逆です。ひとりの女性の心の旅路を、繊細に、詩的に、とても美しく描くものです。その心が、本来は心を持たないアンドロイドロボットとの交流を通じて描かれていくという、不思議な物語です。リアルなファンタジー、という言葉は語義矛盾かもしれませんが、そうとしか呼びようがない、定義不能な作品なのです。日本映画史に残る作品であると、僕は思っています。

以上、巨匠とヒットメーカーと若手のホープによる、まさに三者三様の日本映画3本。この3本で、日本映画の多様性と充実ぶりを世界にアピールします!

さて、これで今年のコンペの16作品を全て紹介したことになります。僕にとっては全作がグランプリなので、もう賞など競ってほしくないというのが正直な気持ちです。ともかく、1本でも多く観客の心に届く作品がありますようにと、祈るばかりの毎日です。
《矢田部吉彦》

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