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【MOVIEブログ】2016東京国際映画祭作品紹介 「コンペ」(北欧・東欧編)

今年の東京国際映画祭(以下、TIFF)の「コンペティション」部門作品を紹介する第2弾、今回は北欧と東欧に行きます。

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『サーミ・ブラッド』(c)Nordisk Film Production Sverige AB
『サーミ・ブラッド』(c)Nordisk Film Production Sverige AB
  • 『サーミ・ブラッド』(c)Nordisk Film Production Sverige AB
  • 『フィクサー』
  • 『私に構わないで』(c)Kinorama, Beofilm and Croatian
  • 『天才バレエダンサーの皮肉な運命』(c) Sergey Bezrukov Film Company
今年の東京国際映画祭(以下、TIFF)の「コンペティション」部門作品を紹介する第2弾、今回は北欧と東欧に行きます。

まず北欧はスウェーデンから、『サーミ・ブラッド』という作品。北欧も面白い作品がひしめきあっていて、大変です。デンマークやノルウェーも才能の宝庫なので、「トーキョーノーザンライツフェスティバル」の存在価値もいきおい増すわけですが、今年のTIFFでは、最後の最後まで悩んだ末、スウェーデンの新人女性監督の1本目を選びました。

スウェーデン北部の山間地帯に暮らす「サーミ族」という少数民族が存在します。トナカイを育てる民族として知られているようです(僕はその存在をこの映画を見るまで知りませんでした)。彼らは戦前、スウェーデンの同化政策の対象となり、劣等民族として差別されていたそうです。映画は、差別に甘んじることをよしとしない少女がコミュニティーを飛び出し、外の世界を見に行こうとする姿を描きます。

添付した場面写真は、少女が通う特殊学校に役人がやってきて、「劣等民族」の骨格はどう異なっているのかを調査すべく、サイズを測って検査しているという屈辱的な場面です。学校では自分たちの言葉(サーミ語)でしゃべることを禁じられ、スウェーデン語を強要されます。

この物語自体はフィクションですが、状況は実際にあったものです。スウェーデンの映画機関に勤める僕の知り合いは、「我々の歴史のダークサイドだ」と言い切っています。アマンダ・ケンネル監督自身がサーミ族の血を引いており、過去には同じテーマの短編を作っていますが、その短編をふまえ、初の長編でも自らのルーツに向き合い、両親や祖父母の物語を強い意志を持った少女に託し、語っていきます。

まあなんといっても、第一の見どころはヒロインの少女の魅力でしょう。クローズアップが多いので、少女の表情の変化を我々は見つめ続けることになりますが、マイノリティーに生まれついてしまった彼女の劣等感や閉塞感、そして「普通になりたい」という悲痛な思いがダイレクトに胸に響いてきます。

いったいどこでこんな素晴らしい子を見つけてきたのだろう、と思うのですが、それは監督が来日したときにゆっくり聞いてみるとして、ヒロイン役の少女にも来日を打診してみました。すると、以下の理由でお断りの連絡が来ました。

「トナカイの世話があるから。」

僕もまあ長年映画祭の仕事をしていますが、こんなかわいい理由で断られたのは初めてです。スタッフ一同、もうふにゃふにゃになってしまったのですが、その後無事来日が決まったので、よかった! 楽しみにお迎えしたいと思います。以上のエピソードからわかる通り、彼女は実際にサーミ族の少女で、劇中に重要な役で登場する妹も、実際の妹のようです。

アイデンティティーに目覚める普遍的な思春期の物語でもあるし、マイノリティーの悲痛を描く物語でもあります。戦前の話ではあるけれども、いま、どこかの難民キャンプで同じことが起こっても全くおかしくない、と監督が語っているように、現在とも地続きの主題を備えています。

しかし、やはりなんといっても力強く健気なヒロイン像が素晴らしく、美しいラップランドの風景とあいまって、静かで深い感動を胸に残す作品です。

さて、北欧からヨーロッパを下り、次は東欧に行きます。ルーマニア映画で、『フィクサー』という作品です。

ルーマニア映画は、ゼロ年代半ばごろから世界の映画祭を席巻しているわけですが、依然としてそのトップランナーであるクリスチャン・ムンジウ(今年のカンヌのコンペに新作が出品)、あるいはクリスティ・プイユ(同じく新作はカンヌのコンペ出品、今年のTIFF「ワールドフォーカス」でも上映します)は傑作、力作を発表し続けています。あるいは、コルネイユ・ポルンボイユといった曲者もコンスタントに映画の可能性を広げるような作品を作っており、カンヌを中心とした映画祭の世界で、ルーマニアは強い存在感を放っています。

となると、自然な流れとしてルーマニア映画全般にも注目し続けることになるわけですが、そんな中で昨年出会ったのが、アドリアン・シタルという監督による作品でした。奇抜な大家族の物語で、タブーや倫理といった概念が複雑な親族関係の中で変形していく様を、圧倒的なリアリズムで描く作品にびっくりした僕は、直ちに昨年の映画祭に招聘しました。しかし、どうしても仕上げ作業が本番までに間に合わないことが分かり、泣く泣く招聘を断念したのでした。ちなみにその作品『Illegitimate』は、今年のベルリン映画祭フォーラム部門で上映され、高い評価を受けています。

で、当時監督とやりとりをしている中で、「実はほぼ同時期に作っている次回作があるんだ」と言われ、であれば必ず見せてほしいと頼み、今年の初夏に届いた作品が『フィクサー』でした。そして、前作で僕がシタル監督に感じた期待は、全く裏切られることはなかったどころか、豊かなルーマニア人材の仲間入りをする才能であるとの予感は確信に変わっています。

前置きが長くなりました。『フィクサー』は、経験の浅いジャーナリストの男が、大きな事件の取材のコーディネーターを引き受ける中、壁にぶつかる物語です。パリからルーマニアに若い娼婦が強制送還され、その娼婦への取材を試みるものの、思うように進まない。やがて、ジャーナリストとしての職業倫理にも悩むことになります。

この作品はいくつもの面で刺激的な1本で、そのひとつは、大きな社会問題が扱われる一方で、その問題から男が受ける影響が自身の家族生活にも及ぶことで、社会(マクロ)と個人(ミクロ)の関係が見えてくることです。社会と個人を仲介する要素として、おそらく「モラル」というものがあり、映画はそのあり方を絶妙に突いてくる。「倫理」や「モラル」というテーマはシタル監督の前作にも見られたもので、こういう一貫したテーマを持っている監督というのは絶対に強い。

ルーマニア映画に特有の個性のひとつに長廻しを駆使したリアリズム演出があげられますが、『フィクサー』ではカメラは必ずしも長くは廻らないものの、ヒリヒリするリアリズムで全編が貫かれています。特に後半の畳みかける展開は見事なのですが、もちろんここでは触れません。

「倫理」や「モラル」といった概念をただもてあそぶのではなく、テーマを可視化させるためのストーリーテリングがとてもしっかりしていて、サスペンスの盛り上げ方も上手い。人間ドラマとして見ごたえがあるし、そして現在のヨーロッパの病巣を、この作品もまた掘り下げようとします。実に大人の脚本。才気あふれるアドリアン・シタル監督、ぜひ多くの観客に発見してもらいたいです。

続いて、東欧からもう1本、クロアチアの作品で『私に構わないで』。クロアチアも、最近注目の国になってきました。11月に公開される『灼熱』(昨年のTIFFワールドフォーカスで『灼熱の太陽』のタイトルで上映)もそうですが、時折びっくりするくらいの傑作が出てくるので、全く油断がなりません。

20代の内気な女性が内に抱える葛藤を、じっくりと、繊細に、そして大胆に描いていく作品です。舞台となる町は、美しい海が広がる観光地ですが、ヒロインの家族は華やかさとは無縁の裏通りでひっそりと暮らしている。ひっそりどころか、狭い家の中で、互いに重なるように生きている。しかも、その家族というのがクセのある者ばかりで、ヒロインは次第に自由を奪われ、自分の人生が自分のもので無くなっていく危機感に苛まれていきます。

この作品の特徴としては、人生に対する諦念と希望とが入り混じっていることでしょうか。人生を単純な二元論で語らない。その曖昧なラインに、リアルさを求めていきます。

ヒロインを取り巻く状況は閉塞感に満ちているのだけれど、風通しの良さを挟むことを怠らない演出はとても巧みで、この新人女性監督の才能を感じさせます。物語はフィクションで、自伝的作品ではないと監督はコメントしていますが、登場するキャラクターの多くは監督の知り合いをモデルにしているとも語っています。とにかく、キャラクターに注ぐ監督の愛情が、映画が進むに従って徐々に伝わり、そのさじ加減が絶妙に上手い。

家族はかなりのやっかい者ぞろいで、見ている方も最初はイライラするのですが、でもどこかに愛情が確実にある。憎たらしいけど愛しているって、ああそれが家族だよなあ、と思ってしまいます。でもまあそんな甘い映画ではないですが、しつこいですが、そのギリギリの線を狙って成功しているのが、実に上手いです。

一方でヒロインは純粋で正しいかというと、全然そんなことはなくて、彼女にも問題はあるのですが、それは映画で確認していただくとして、いわゆるキャラ設定が絶妙に新鮮で惹き込まれます。これもリアリズム映画で、身につまされることも多い内容ですが、決して暗くない。むしろ明るい。妙な暗さを持った明るい映画、と言えるかもしれません。とにかく、日ごろあまりお目にかかることのないタッチです。

ヒロイン役の女優には独特のカリスマ性があり、映画を支配していますが、これが全く初の演技経験だということに驚かされます。ヒロイン女優の選択が映画の生命線となるだけに、監督はオーディションを6か月間重ねたそうですが、イメージに合う女優に巡り合えない。これはもう妥協するしかないかと絶望的な気分になって海岸で休んでいたところ、目の前になんと100%理想の女性がいた! 話しかけて口説き落として映画出演となったそうです。まさに映画のような、奇跡。

もともと家族映画は国境を越えやすいとはいえ、遠いクロアチアの地であり、そしてかなり個性的な家族の形であっても、感情移入を誘ってくる映画という表現形態は本当に不思議だなと思わされます。優れた映画であればなおさらで、その新しい作り手に注目してもらいたいと思います。

続いて、東欧からユーラシア大陸を北上して、ロシアへ行きます。『天才バレエダンサーの皮肉な運命』という作品です。リアリズム映画が続きましたが、このロシア映画は虚実が入り混じった大胆なドラマです。映画祭でロシア映画というと、アート純度の高い内容をイメージしがちですが、本作はロシアで普通に商業公開されてもおかしくなさそうな、スケール感を備えた作品です。もしかしたら、ロシア映画に対するイメージが変わるかもしれません。

猛烈に性格の悪い男がいて、バレエ教室を経営している。どうやら昔は天才ダンサーとして脚光を浴びた時期があったが、若くして引退している。20年後の現在、勝手気ままに生きているが、ある事態によってその後の人生を考えなければならなくなる…。

男にかつて何があったか、そしてこの後どうなっていくか、という過去と未来を平行して描いていく作品です。かなりツイストの効いた展開で、物語を追っていくだけでも面白いのですが、ともかく主役の男の傲岸不遜ぶりがコメディーの域に入るほど極端なので、実に楽しいです。主演のセルゲイ・ベズルコフはロシアで人気の俳優で、彼の真面目さと滑稽さが入り混じった存在感が素晴らしい。

で、一方の核となるのがバレエとクラシック音楽です。舞台は、美しいサンクトペテルスブルグで、有名なマリインスキー劇場が威風堂々とした姿を見せてくれます。クラシック音楽ファンにはたまらないかもしれません。

本作が長編3本目となるアンナ・マチソン監督は、実際にマリインスキー劇場にも所属し、舞台監督や美術を担当しているようです。また、劇場の芸術監督であるワレリー・ゲルギエフが指揮するコンサートの撮影もしています。その縁でしょうが、ゲルギエフが本作に本人役で登場するのですが、そうなってくると徐々にドラマとフィクションの区別が曖昧になっていきます。映画は思いがけないことに、一種のドキュドラマ的様相を呈していくのですが、このあたりの展開が実に鮮やかです。

もうひとつの見どころは、マジカルなカメラワークで、時おりハッとさせられるような場面があります。ちょっと『バードマン』のような。ケレン味たっぷりですが、これも映画の楽しさに直結しています。

ロシア映画に対するイメージが変わるかも、と上に書きましたが、この作品のような映画がロシアでは普通に公開されているのかもしれません。とかく映画祭選定者が陥りがちな勘違いとして、その国の「映画祭向き」の作品を多く見て、あたかもその国の映画事情に詳しくなった気になりながら、実は国内向け商業映画を見る機会が少ないので本当は片手落ちになっている、というケースがあります。本作はアート性と商業性のバランスがよく取れており、映画祭で是非紹介したい魅力が詰まっている一方で、ロシアの商業映画への興味も喚起する稀有な1本だと思います。

監督が来日したら聞いてみたいことがたくさんあります。楽しみです。

以上、今回は北欧と東欧(ロシア含む)の4作品ですが、そのうち3作品が女性監督です。杉野希妃監督を含めて、今年のコンペには4人の女性監督がいることになります。選ぶときには全然意識していませんし、僕はこれが普通で、むしろこんなことがいちいち特記事項にならないようになればいいのにと思っていますが、一方では世代も近いこの4名の監督たちが互いに仲良くなって盛り上がってくれたら楽しいな、とも夢想しています。

ということで、次回は海を越えてアメリカへ!
《矢田部吉彦》

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