【MOVIEブログ】2017 TIFF作品紹介コンペ部門(1/5)

最新ニュース

『マリリンヌ』
  • 『マリリンヌ』
  • 【MOVIEブログ】2017 TIFF作品紹介コンペ部門(1/5)
  • 『ナポリ、輝きの陰で』
あっという間に日々が過ぎますね。焦ります。東京国際映画祭の上映作品をせっせと紹介していこうと思います。

先日の記者会見の場で、自分の担当していない部門も合わせて全体のラインアップを目にしたとき、いやあこれはなかなかの店構えだなあと客観的に感心してしまいました。

というのも、賞を競う内外の新作部門に加え、招待作品、ASEAN特集、オールナイト、日本の女優特集、アニメーション、ミュージカル、クラシックス、キッズ向け、などが揃い、実に広い層に向けて充実してきたなと思うのです。あとはドキュメンタリーと短編部門も欲しいところですが、現在のキャパだとちょっと厳しい。ここは未来の課題でしょう。

ということで、全部門の全作品を紹介していきたいところですが、それをやっていると映画祭が終わってしまうので、まずはコンペから始めて、会期直前までおすすめ作品を紹介し続けるつもりです。

さて、今年のコンペティション部門。世界の秋の新作の中から、監督のキャリアやジャンルなどのバランスを気にしながら、ワールド・プレミア(世界初上映)やインターナショナル・プレミア(本国以外で初上映)を重視しつつ、地域ごとに候補作を絞り込んでいきました。最終的に15本が決まり、うち2本が日本映画、13本が外国映画という構成になりました。

今年の傾向は? と聞かれることがもともとは苦手だったのですが(世界中から作品を集めているので傾向なんてあるわけないと突っ張っていた)、あまりにも毎年「傾向」を質問されることが多いので、数年前に質問の意義を真剣に考えたことがあります。人は傾向を必要としていて、その必要から傾向が生まれるのかもしれない。おおまかな流れが把握できると安心できるし、でもその流れは最初からそこにあるのではなく、作り出すべきものなのかもしれない…。

というようなことを考えるようになると、少し物の見方や感じ方が変わってきた気がします。ここ数年来、移民や難民を主題に扱う「越境映画」が世界各地でたくさん作られてきて、その影響は映画祭にも反映されてきました。その流れは依然として強いですが、昨年から今年にかけて、社会状況から個人の内面に向かう作品が増えてきた印象を抱くようになりました。ベルリンやカンヌでもそれを感じましたし、特にカンヌのコンペは、そのほとんどが「病める現代」を描いた作品で、個人の闇に踏み込む内容でした。社会から個へ。そんな傾向があるのかもしれないと思っています。

トーキョーの作品選定中、これはいいな、と感じる作品の多くが「突出した個」を描いているのが偶然なのかどうか、そこになんらかの「流れ」があるのか、断言は避けておきます。しかし、今年のコンペティションに副題を付けるならば「女の生きざま、男の生きざま」になるはずです。それほど、キャラクターが立っている作品が多く、世界各地で必死に生きる女たちや男たちの物語がコンペを彩っていきます。

前置きが長くなりました。地域別に紹介します。まずは西ヨーロッパからで、1本目はフランス映画です。『マリリンヌ』という作品。しょっぱなから「女の生きざま」映画です。マリリンヌという名の女優志望の女性が主人公で、果たして女優になれるのかなれないのか、そのキャリアの入り口を描く物語です。

見どころがたくさんある作品なのですが、まずなんといっても筆頭はヒロイン役の女優の素晴らしさでしょう。アデリーヌ・デルミーという女優を僕はこの作品を見るまで知らなかったのですが、コメディー・フランセーズ(フランスの国立劇団)で頭角を現している若手で、映画に数本出演はしているものの、主演は今作が初めてです。誰もが知っている女優が女優志願の女性を演じるのでなく、ブレイク前の女優が演じていることで、映画の説得力が全く異なってきます。舞台で鍛えられた演技力が如何なく発揮され、アデリーヌ・デルミーは本作以降、引っ張りダコの存在になるだろうと僕は確信しています。

そのコメデイー・フランセーズの看板俳優のひとりがギヨーム・ガリエンヌで、彼は映画界においても実力派スターの座を確かなものにしています(現在公開中の『セザンヌと過ごした時間』のセザンヌ役の人)。初監督で主演(しかもひとりで複数役)もした『不機嫌なママにメルシィ!』(’13)でマルチな才能を如何なく発揮し、今作が監督2作目。ただし今回は出演せずに演出に専念しています。彼が劇団の中から主演に大抜擢したのがアデリーヌ・デルミーだというわけで、役者という存在を知り尽くした監督が彼女からどのような魅力を引き出しているか、役者の業をいかに見せるか、注目して頂きたいです。

ヴァネッサ・パラディも出演していて、出番は多くはないものの、とても強い印象を残します。その他、本職は監督のグザヴィエ・ボーヴォワや、昨年のグランプリ作品『ブルーム・オブ・イエスタディ』(9月30日から公開!)の主演ラース・アイディンガーがそれぞれ映画監督役で出ているなど、細かい配役も楽しいです。

最後に付け加えるならば、ガリエンヌ監督は、15年前にある女性から聞いた話にとても感動し、その人生を映画にしたいと常々思っていたそうです。なので、本作は実話です。もっとも、その女性の名前は言えないとのことですが…。

次もフランス映画で『スパーリング・パートナー』という作品。ドサ廻りをして稼ぐ2流のプロボクサーが、引退が迫る中で大きな勝負に出る…、という物語です。

主演のマチュー・カソヴィッツは監督としても役者としても一流ですが、今作は趣味と実益を兼ねた役柄のようです。というのもカソヴィッツ自身がボクシングにはまり、今年の6月にアマチュアながらリング・デビューを果たしており、ニュースで報道もされていました(結果はドロー)。そして今作で共演するボクサーは本物のフランスの世界チャンピオンであるらしく、ガチのボクシング描写が目指されています。

もともとボクシングと映画の相性は抜群で、それはリングには男の(女も)生きざまが凝縮されているからでしょう。しかしボクシングに本気の役者陣を揃え、引退間際の大勝負を描くというボクシング映画の王道を踏まえてはいますが、本作はボクシング映画である以上に家族愛の映画です。何がいいって、奥さんと娘が実に最高なのですが、これは書くのを控えたほうがよさそうです。奥さん役の女優の本職はシンガー・ソング・ライターとのことで、これが絶妙のキャスティングなのだよな…。

「敗者の美学」という言葉は様々な感情を喚起させますが、この映画には何かこう、まっとうに生きていけばいいんだ、という気持ちにさせる力があります。チャンピオンでない我々観客は、容易に主人公に自分を重ね、人生の決断を前に悩んでいくでしょう。『レスラー』ほどダークでなく、『チャンプ』ほどウェットでなく、『レイジング・ブル』ほどスタイリッシュでなく、実に「普通」のボクシング映画です。職業としてのボクシングを描いた数少ない映画かもしれません。主人公は我々と同じ普通の人間です。「普通」を懸命に生きる、そんな映画です。

映画祭のコンペティション部門は敷居が高そうだと思っている人がもしいるとしたら、まずは『スパーリング・パートナー』をおすすめしたいです。あらゆるファン層に愛される作品だと思っています。

3本目はイタリア映画で、『ナポリ、輝きの陰で』という作品です。ナポリ近郊の低所得者層地域にて、テキ屋(露天商)をして家族を養う父親が、娘を歌手にすることでいまの生活から抜け出そうとするドラマです。

ナポリはイタリア南部の風光明媚な港町ですが、近年はすっかりカモラ(マフィア)の本拠地として有名になってしまい、マッテオ・ガローネの『ゴモラ』で描かれたように映画の舞台としても頻繁に登場しています。本作にマフィアは登場しませんが、隣接はしていると言ってもいいかもしれません。

原題は『Crater』というのですが、この解釈を考えるとなかなか興味深いです。クレーター。監督たち(男女のコンビ監督)は、ナポリの光の陰に潜むこの地域一帯を「クレーター」と呼び、映画の主役としています。ここは一種のノー・マンズ・ランドであり、「忘れられた土地」なのかもしれません。どこにも行けない人々が、くすぶったまま生きる街。いつか抜け出したいと願いながら、その機会が決して訪れることのない街…。

その数少ない脱出のチャンスを、父親は娘の歌の才能の中に見出します。しかし娘も思春期、そうそう親父の言うことばかり聞いてはいられない。かくして、父と娘の葛藤のドラマが生まれていきます。

ドキュメンリー映画出身の監督コンビは、この地に通い、取材を重ねる過程で出会った男性とその家族と交流を深めるうちに、彼らが映画の主役に他ならないと気付いたといいます。本作の父と娘は実際の父と娘ですが、彼らは役を演じています。しかし、生活や環境は彼らが日々過ごしているものそのものです。

この作品の特徴は、個性的な地域、父と娘を取り巻くドラマに加え、ドキュメンタリータッチのスタイルが挙げられます。人物に密着したカメラは、孤独感を浮かび上がらせ、この地の閉塞感を強調するような効果をあげていきます。そして、父親のこの顔(写真)。監督たちは独自のリアリズムで父親の心情に迫り、それはまるで手を伸ばせば触れられそうな感じです。

『海は燃えている』(’16)を始めイタリアのドキュメンタリー作品が国際的評価を受けていますが、本作はその流れに乗った上でフィクションを取り込み、ドキュとフィクションの間の絶妙なバランスを見出していきます。現代のネオ・リアリズモと呼んだら煽り過ぎでしょうか。イタリア映画の奥の深さが感じられるはずです。大いにご期待下さい。
《矢田部吉彦》

関連ニュース

今、あなたにオススメ
Recommended by

特集

page top