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『ヒストリー・オブ・バイオレンス』マリア・ベロ来日インタビュー

第78回アカデミー賞で助演男優賞、脚色賞にノミネートされたデイヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』。惜しくも受賞は逃したものの、作品の質に変わりはない。ヴィゴ・モーテンセン演じる隠された夫の過去と対面する妻の苦悩を演じたのは、「ER」の女医役でも有名なマリア・ベロだ。来日前にアメリカの雑誌で“東京お買い物特集”をチェックしてきたというお買い物好きのマリア。この日は買ったばかり40年代のヴィンテージのワンピースをキュートに着こなしてのインタビューとなった。

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第78回アカデミー賞で助演男優賞、脚色賞にノミネートされたデイヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』。惜しくも受賞は逃したものの、作品の質に変わりはない。ヴィゴ・モーテンセン演じる隠された夫の過去と対面する妻の苦悩を演じたのは、「ER」の女医役でも有名なマリア・ベロだ。来日前にアメリカの雑誌で“東京お買い物特集”をチェックしてきたというお買い物好きのマリア。この日は買ったばかり40年代のヴィンテージのワンピースをキュートに着こなしてのインタビューとなった。

もともとクローネンバーグ監督のファンだったというマリア。「監督はとても美しい心の持ち主で地に足の着いた人。一緒に食事をしたときに“私の砂場で遊んで欲しい”とおっしゃってくれたので、“ぜひ”と言ったら3ヶ月後に脚本が送られてきたの。もちろん中身も見ずにOKしちゃったわ!」。

夫役のヴィゴ・モーテンセンとは、記者会見でも夫婦さながらの仲良しぶりを見せた。「ヴィゴとは会ったその日からまるで老夫婦のようにうち解けられたの。たまにそういう人がいるものだけど、魂の本質の部分が似ていたり、エネルギーがうまく噛み合う相手だったの。一緒にいてとても居心地がいいだけでなく、同時に極端な感情をもたらすこともできる相手で、それが演技にもいい影響を与えたと思うわ。彼とは数ヶ月の撮影の間に信じられないぐらいに親密な関係を築けたし、いつまでもそういう存在であり続ける相手ではないかと思います」。

バイオレンスをタイトルに冠しながらも、淡々と抑えた描写が逆に暴力の本質を浮かびあがらせる本作。その中でも数少ないクローネンバーグ節が垣間見えるシーンのひとつが、階段でヴィゴがマリアに荒々しく迫るシーンだ。「作品については最初に監督とヴィゴと3人で細かく話し合ったんだけど、このシーンについてだけは触れかったの。いざ演じるにあたって監督に指示を仰いだら、“このシーンは君がどうこうできるものではないから”と言われたわ…つまり、エディという女性が人生で初めて自分でコントロールできない状況に置かれるのがあの瞬間なのね。思ってもみなかったような展開が急に起きて、それに巻き込まれていく…ということで、何の準備もないまま撮影に入っていったのですが、どうなるかわからないというのは恐いことですよね。当然不安はありましたが、幸いなことにヴィゴと監督という優しく心の大きな二人が支えてくれたので演じることができました。ただ、やっぱり肉体的にも精神的にも極端な場所に追いつめられるシーンだったので、互いに憎しみを感じながらそれでもあなたと愛を育みたい、というシーンにしなければと思いました」。

念願かなってヒロインに選ばれたマリアはクローネンバーグ作品の魅力をこう語る。「彼の映画には決してメッセージを押しつけるところがないの。むしろ観客に色々な疑問を抱かせ、考えさせるタイプね。それに観ると必ず、映像やイメージなど何がしかのアイディアを得て帰ることができるのよ」。

また、このような曖昧なストーリーが大衆に受け容れられていることについて(『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は興行的にも成功している)はこう分析する。「それはやはり今我々が生きている世界が曖昧だからではないでしょうか。これといった答えがない時代に我々は生きています。その、人生は複雑であるという考え方が世界的に浸透してきているのだと思います」。

その言葉に違わず、本作のラストも結論を観る者に委ねる曖昧な終わり方をしている。マリア・ベロ本人として、妻(エディ)は夫(トム・ストール)を許していたかと尋ねると、このような答えをくれた。「夫を許すとか受け容れるとかよりも、彼女自身が今回の一連の事件を通して初めて垣間見てしまった自分の新しい面を許し、受け容れなければ始まらないのではないでしょうか。影の部分も含めて自分を愛せるか…それはこの映画のテーマのひとつだと思います」。

自分の人生の中で新しい自分を発見し、受け容れなければならないと感じた経験は? 「ええ、毎日よ。本当に! その瞬間を大切に生きていればすべてが学ぶ機会になるし、時には信じられないような自己発見もある。すべてをわかったような気がしていても次の瞬間には全然分かっていないことに気づいたり…実存主義的な悩みの渦中に私はいつも生きているのよ(笑)!」。

自称ロマンチストのマリアだが、映画自体も、愛の絶望を説きながらもその可能性に一縷の望みを賭けるようなロマンチシズムを秘めている。「どんな偉大な物語にもそこには愛があると思っています。愛し合う二人の人間が、苦しみながらももっと深いレベルでお互いのことを愛そうとする物語ではないかと思います」。

この映画を観ることを選択した時点で観客は、劇中のヴィゴやマリアと同様に、答えの出ない問題を考え続ける忍耐と勇気を試されている。96分の物語が終わってエンドロールが始まったとき、出口のない愛の意味を知ってしまったことに気づかされるだろう。
《シネマカフェ編集部》
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