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和平を願い、戦わないために闘う『峠 最後のサムライ』本編映像解禁

司馬遼太郎のベストセラー小説を映画化した『峠 最後のサムライ』より、本編映像が解禁された。

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『峠 最後のサムライ』(C)2020『峠 最後のサムライ』製作委員会
『峠 最後のサムライ』(C)2020『峠 最後のサムライ』製作委員会
  • 『峠 最後のサムライ』(C)2020『峠 最後のサムライ』製作委員会
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司馬遼太郎のベストセラー小説を映画化した『峠 最後のサムライ』より、本編映像が解禁された。


>>『峠 最後のサムライ』あらすじ&キャストはこちら

この度解禁された本編映像は、民衆の生活を守るため武力での戦いを避け、対話で解決しようとした長岡藩の家老・河井継之助(役所広司)が、土佐藩の軍監・岩村精一郎(吉岡秀隆)に和平を願った嘆願書を受け取るよう粘り強く願い出る場面を切り取ったもの。

徳川慶喜が大政奉還した後、薩摩・長州は「明治新政府」を樹立し、世の流れは倒幕へと進んでいった。新政府に恭順して倒幕派につくか、それとも旧幕府派(佐幕派)につくか。決断を迫られ、日本が二分されていくなか、河井継之助は武装中立の姿勢を貫こうとする。

しかし慶応4年(1868)4月、戊辰戦争がはじまり、「新政府軍」が江戸城をはじめ関東一帯を占領すると事態は一変。新政府軍は今度は矛先を東北へ向け、諸藩に対し会津藩の討伐のための出兵と献金を求め始める。その一方的なやり方に納得いかない東北・北越諸藩は、その要求をはね付け「奥羽越列藩同盟」を結成して対抗。両軍の間に挟まれた継之助率いる長岡藩は、新政府軍にも同盟軍にも属さない「武装中立」を表明するが、会津への出兵に応じず献金も収めない長岡藩を新政府軍は「敵」とみなし、榎峠を越えて小千谷まで兵を進めるのだった。

何としても開戦を避けたい継之助は、和平実現のため、新政府軍が本営を敷く小千谷の慈眼寺へ直談判へと向かう。面会した新政府軍の軍監は、土佐藩出身の岩村精一郎で、24歳の若者であり、継之助とは実に18歳も離れていた。継之助は静かだが鬼気迫る様子で、「双方にとって戦いは避けなければなりません」と嘆願書を大総督府に取り次ぐよう願い出るが、岩村は「問答は無用である」と要求を退ける。そして「お怒りはごもっともでござる」となおも食い下がる継之助に対し、血気盛んで武力衝突での解決しか頭にない岩村は、「あとは砲弾の中で、相見えるだけのこと!」と継之助の言葉を聴こうとしないのだった。

そうして長岡、ひいては北日本の命運を託した「小千谷会談」は決裂し、継之助の非戦中立の夢も破れてしまう。もはや戦は避けられず、長岡藩は同盟軍に与し、新政府軍との戦いへと突入。「小千谷会談」の決裂は、戊辰戦争最大の激戦地となった「北越戦争」のはじまりとして、さらには継之助の強い意志が発露するシーンとして劇中でも印象的に描かれている。

日本が東西に分断していく中、いずれにも属さず、民を守るため戦争を避けようと和平に尽力した“知られざる英雄”河井継之助と、彼が守ろうとした長岡藩の姿は、奇しくもロシアによるウクライナ侵攻における数々の情勢や、その置かれた状況下を想起せざるを得ない。平和を願い、「戦わないために闘った」“最後のサムライ”河井継之助が我々に問いかけるメッセージと、その熾烈なまでの生き様をいまこそご覧頂きたい。

『峠 最後のサムライ』は6月17日(金)より全国にて公開。


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《シネマカフェ編集部》

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