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ミシェル・ヨー×リュック・ベッソン監督 ビルマの母、スーチー女史の強さとは?

軍事政権が猛威を振るう中、国民の先頭に立ち、非暴力による民主化と人権回復のために闘い続け、1991年にノーベル平和賞を受賞したビルマのアウンサンスーチー女史。断続的に続いた20年以上もの自宅軟禁の間、不屈の意志を貫いた彼女の半生を、『SAYURI』、『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘密』などハリウッドでも活躍する国際女優、ミシェル・ヨーが演じた『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』。2007年に脚本と出会ったミシェルは友人であるリュック・ベッソンを監督に迎え、映画化が実現した。ジャパン・プレミアのために来日した2人に話を聞いた。

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『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』ミシェル・ヨー&リュック・ベッソン監督
『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』ミシェル・ヨー&リュック・ベッソン監督
  • 『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』ミシェル・ヨー&リュック・ベッソン監督
  • 『The Lady ひき裂かれた愛』 -(C) 2011 EuropaCorp - Left Bank Pictures - France 2 Cinema
  • 『The Lady ひき裂かれた愛』 -(C) 2011 EuropaCorp - Left Bank Pictures - France 2 Cinema
  • 『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』ミシェル・ヨー&リュック・ベッソン監督
軍事政権が猛威を振るう中、国民の先頭に立ち、非暴力による民主化と人権回復のために闘い続け、1991年にノーベル平和賞を受賞したビルマのアウンサンスーチー女史。断続的に続いた20年以上もの自宅軟禁の間、不屈の意志を貫いた彼女の半生を、『SAYURI』、『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘密』などハリウッドでも活躍する国際女優、ミシェル・ヨーが演じた『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』。2007年に脚本と出会ったミシェルは友人であるリュック・ベッソンを監督に迎え、映画化が実現した。ジャパン・プレミアのために来日した2人に話を聞いた。

スーチー本人が軟禁状態での映画撮影

前日開催のプレミアをふり返るうち、「政治家は自分たちを選んでくれた国民のことを知ろうともしない。自分たちに一番近い彼らの声を聞こうとしない」と問わず語りで話し始めるベッソン監督に、ミシェルも「残念ながら、世界中で起きてることじゃないかしら」と応える。「18世紀のフランス革命がそうだった。マリー・アントワネットが『パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃない?』と言ったのと同じだよ」とベッソンが言うと、ミシェルは目を見開き、呆れたように笑い出す。「うそ! 本当にそんなこと言ったの? 人々が苦しみ、死んでいくのに」。

本作はまさに、政治家と国民の乖離を描くもの。同時に、政治と愛を結びつける感動作でもある。こうした題材をドキュメンタリーではなく、劇映画として作るのは、ある意味より困難な手法でもある。
「最大の難問は、主人公であるアウンサンスーチーさん本人と直接会うことが叶わないまま撮影しなければならかったことだ。彼女は自宅軟禁状態だったし、彼女の友人の多くも投獄されているか、もう亡くなっているかだった。情報収集のために4年間、自分たちでリサーチした。出来るだけ情報を集めて、可能な限り真実に近づけようとした。少しでも真実があれば、物語を作り上げることができる。それが無ければ、何も作ることはできない。たとえば、軟禁されている家。色々な情報を基に完璧に再現したし、ノーベル平和賞授賞式の様子も記録映像を基に再現した」(ベッソン)。軟禁状態で出席できなかった「彼女が授賞式をラジオで聴いていたのも事実なのよ」(ミシェル)

ビルマ語の敬称“ドー”をつけ、尊敬を込めて“ドー・スー”と女史を呼ぶミシェルは、女史の知人たちに可能な限り面会し、話を聞いたという。「研究者であるイギリス人の夫と2人の息子とオックスフォードで幸せに暮らしていた主婦としての彼女を知る人たちとかね。でも、彼らが言うことは大体、関連書籍に書かれているのと同じことだった。だって20数年前のことですもの。30年、40年近くも彼女と会っていない人たちもいる。彼らに向かって『知り合いなら、もっといろんなこと知ってるでしょう』と詰め寄るのはフェアじゃないと思ったの。彼女の次男のキムにしても、そう。シュエダゴン・パゴタ広場でドー・スーが初めて演説を行うシーンがあるけど、キムは実際に家族と一緒にあの場にいたの。劇中で夫のマイケル(デヴィッド・シューリス)のそばには野球帽を被った少年のキムがいる。でも、本人は『あんまり覚えてない』と言うのよ。全てがあまりにも過去の話で、全てを立証できる唯一の人であるドー・スーは軟禁されている。私たちが彼女の映画を作っている事実さえ、なかなか公表できなかった。彼女を危険にさらすことになるからよ。映画のために私たちと接触した疑いをもたれたら、5年間軟禁が延長されるかもしれない」。

「以前、アメリカ人が川を泳いで渡って彼女の家まで行ったことがあるんだ。ジャーナリストでもない、彼女と面識もない男だったのに、それがアメリカ人だというだけで、彼女の自宅軟禁は3年間延長されたんだ」とベッソンは付け加える。

「彼女は、ビルマという国の母親になったのよ」

それにしても、なぜアウンサンスーチー女史はここまで強くいられるのだろう。元々彼女は病に倒れた母の看病ために帰国し、そこから全てが始まった。確かに彼女の父は“ビルマ建国の父”として国民から敬愛されながら、非業の死を遂げたアウンサン将軍だ。だとしても、最愛の家族と引き離され、死の床にある夫との再会も果たせない、そんな苛酷な状況に耐えられるものだろうか?
「彼女の強さはどこから生まれるのか、私も知りたかった。彼女は『これは犠牲じゃなく、自分で選んだこと』と語っているの。これに大きな意味がある。父親の死後、母親から大きな義務というものを学んでいたんです。大学で政治学、経済学を学んでいるけど、政治家には必須のもの。論文のテーマも母国で起こりうる改革についてだった。彼女はいつの日か帰国して、母国の変化に何らかの形で手を貸したいと思っていたんじゃないかしら。まさか大統領になるかもしれない日が来るとまでは思っていなかったかもしれないけど。でも、夫と子供たちの愛があったからこそ、一歩踏み出せたと思う。彼女は子供たちを見捨てたんじゃない。現在の彼女と子供たちの関係を見れば、それは明白よ。ミャンマー政府は家族が離ればなれの状況を利用して、彼女の心を折ろうとしたけど、彼女は決して屈しなかった。2人の子供の母親だった彼女は、ビルマという国の母親になったのよ」。
ミシェルは現在内戦状態のシリアで虐殺が起きていることを挙げ、「自分たちの国民を殺すなんて、家族を殺しているのと同じことよ! 歴史上、何度も繰り返されてきたのに人間は何も学ばない。未だに同じことをしている」と嘆く。「でも、正しいことをする勇気は誰の心にもあるはず。誰だって、そういう状況に置かれたら、家族のためにも立ち上がるんじゃないかしら」。

「ラングーンから知識人たちが彼女を訪ねて『あなたが必要です』と説得したからこそ、彼女は一歩踏み出したんだ」と言うベッソンは「政府と国民と距離が広がりすぎると、ちょっとした火花がきっかけで大きな炎が燃え上がる」と語る。「非暴力で民主化を目指したネルソン・マンデラ、ガンジー、そしてアウンサンスーチーも、その火花なんだ」。

《冨永由紀》

好きな場所は映画館 冨永由紀

東京都生まれ。幼稚園の頃に映画館で「ロバと王女」やバスター・キートンを見て、映画が好きになり、学生時代に映画祭で通訳アルバイトをきっかけに映画雑誌編集部に入り、その後フリーランスでライター業に。雑誌やウェブ媒体で作品紹介、インタビュー、コラムを執筆。/ 執筆協力「日本映画作品大事典」三省堂 など。

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