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名古屋シネマテーク跡地に設立される「ナゴヤキネマ・ノイ」クラウドファンディング開始

名古屋シネマテークの跡地に新しい映画館「ナゴヤキネマ・ノイ」が設立されることが決定し、12月5日(火)に説明会が行われた。2024年2月頃開館を目標に現在準備を進めており、クラウドファンディングを開始した。

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「ナゴヤキネマ・ノイ」説明会より
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名古屋市千種区今池に新しい映画館「ナゴヤキネマ・ノイ」が設立されることが決定し、12月5日(火)に説明会が行われた。2024年2月頃開館を目標に、現在準備を始めている。

報道関係者向けに行われた説明会は、創設41年を経て今年7月28日に閉館したミニシアター・名古屋シネマテークの跡地にて行われた。閉館から4ヵ月を経て、寂れた環境となった劇場を建物所有者から借り受け、新たなミニシアターを作っていくという。立ち上げには元名古屋シネマテークスタッフの永吉直之氏、仁藤由美氏に、2019年に急逝した名古屋シネマテークの元支配人・平野勇治氏のパートナー安住恭子氏が加わり、新組織を作って新館の運営が行われる。

<ナゴヤキネマ・ノイ>という劇場名の由来について仁藤氏は「11月ごろどうしよう!と思っていた時にふと、ジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』という映画が浮かびました。東西ドイツの統一を記念した映画なんですが、そこから新しいという文字と0を入れてはどうかと思ったんですが、0というのは映画興行においては非常に不吉な数字でして(笑)。それで新しい=ノイを使おうと。それを二人に提案したらあっさり採用されて決まりました(笑)」とコメント。

名古屋でどのような映画館の位置付けになりたいか?という質問に永吉氏は「昔は、この辺りにもたくさん映画館がありました。メジャー映画館もあれば、ミニシアターも、成人映画館も。それが少しずつ減ってきて今はなってしまいました。1つの映画館だけでできることは限られているので、やり方も雰囲気も全然違ういろんな映画館があることが、豊かさに繋がっていけばいいなと思います」と答えた。

また、設立に先立って12月6日からMotion Galleryにてクラウドファンディングが開始されることも決定。同館のロゴとクラウドファンディングの告知フライヤーなどのデザインは、名古屋芸術大学・芸術教養領域リベラルアーツコースの有志学生と教員からの協働支援を受けている。

オープニング作品には同地の救急医療の最先端を担う名古屋掖済会病院を取材したドキュメンタリー映画『その鼓動に耳をあてよ』(配給:東海テレビ放送、配給協力:東風)が決定している。その後は『〇月〇日、区長になる女。』(配給:『〇月〇日、区長になる女。』製作委員会)、『フジヤマコットントン』(配給:ノンデライコ)ほか、カール・テオドア・ドライヤー、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・ロジエ、ジャン・ユスターシュなどヨーロッパの映画監督作品の特集上映を予定しているとのことだ。

クラウドファンディングはこちら

https://motion-gallery.net/projects/nagoyakinema-neu

著名人からの応援コメント

瀬々敬久(映画監督)
30年も前、ピンク映画の時代から名古屋シネマテークにはお世話になった。今池のあの独特の映画館に行くのが楽しみでならなかった。それが、支配人だった平野さんが亡くなり、いつの間にか時代も変わり、大好きだったあの映画館も閉館となった。それが同じ場所で、名称も新たに映画館が立つという。引き継ぐこともあるだろう、もちろん変わることも大きいだろう。だけど、とにもかくにも出発だ。応援せずにはいられないのです!

三宅唱(映画監督)
うわー!!!!嬉しいときはこんなふうに鳥肌が立つんですね!嬉しい嬉しいと100回くらい書きたい気持ちです。再会、もとい「新しい出会い」を、このクラウドファンディングを通して多くの方と楽しみに待てる、そう考えると、いくらこんな時代とはいえ、なんだかガッツも湧いて出てきます。

片岡礼子(俳優)
新映画館 「ナゴヤキネマ・ノイ」
ひとつの映画館が誕生します
日本の映画館の新歴史の始まりにお立ち合いお願い申し上げます!
私の胸には故郷の愛媛は松山にある「シネマルナティック」「シネマサンシャイン」をはじめとして、数えきれないほどの映画館があります。
子どもの頃に家族で観たこと、学生になって友人と、ある時には彼となんて、それはそれはたくさんの時間を過ごしてきた場所です。
きっと皆さまにとっても。
足速に変化する時代にも
"映画館" という場所の持つ
特殊な磁場のようなものが
人を惹き寄せ、その空間の魅力に触れ、スクリーンに向かいその場に居合わせた奇跡のメンバーと映画を共有することの豊かさは一本の映画を人生そのものに例えたくなる魅力の元だと思っております。
元々のここのベースであります映画館の「シネマテーク」に何度も新作のお披露目で通わせていただきました。その時の感謝も熱く込めまして新映画館の誕生を喜び、これからの立ち上げと運営に賛同協力してくださる皆さまと共にこの「ナゴヤキネマ・ノイ」と運営する皆さまを末永く応援させていただきたいと思っています。地元の皆さま、そして映画館に想いのあるすべての皆さまによろしくお願い申し上げます。

木全純治(シネマスコーレ代表)
ミニシアターは、世界の社会的問題のあり様を知る貴重な場所である。
この40年間、名古屋中心部の東西で、お互い個性を出し合いしのぎを削って来た。
この緊張関係が豊かな映画環境をもたらす。新館の誕生に向けて、皆様の支援をお願い致します。

安住恭子(演劇評論家)
平野は亡くなる前に、自分の人生を顧みて、こう申しました。
「僕は映画をプレゼントしてきたんだ」。
名古屋シネマテークでの仕事を、そう総括したのだと思います。
私もその志を受け継いで、「映画をプレゼントする映画館」を存続させたいと思います。
ご支援をお願い致します。

柄本明(俳優・演出家)
映画を愛する者として、名古屋シネマテークの閉館は、大変残念に思っていました。
ぜひ、再開して欲しいと思います。
心から応援しています。

大島真寿美(作家)
小さい場所です、ミニシアターは。でも、ありえないくらい大きな場所でもある、と思うのです。世界が窒息しそうな時、風穴の一つにもなる場所です。
私たちの(小さい)力を合わせることで、そんな場所を一つ甦らせることができたら、最高に素敵!ではないでしょうか。

小泉今日子(歌手、俳優など)
1989年、わたしは23才だった。
忙しい日々の中、自分の時間を見つけるのが困難で息の仕方もわからなくなるような状態だった。
そんなある日、珍しく仕事がなにもないお休みの朝がやってきた。
いつもはお昼過ぎまで寝てしまうのに午前中にパッチリと目覚めた。
「こんなに気持ちよく目覚められるなんて神様が私に言いたいことがあるのかもしれない」なんて思った。
自分の心に意識を集中してみたら、ひとりで街をブラブラしたい!映画なんかも観たりして!そんな気分になった。
渋谷までそう遠くない場所に住んでたので「シネマライズ」というミニシアターまで歩いて行ってみた。
「バグダッド・カフェ」という映画が上演中だった。生まれて初めて一人で映画を観た。
脚本も、映像も、お芝居も、音楽も素晴らしくて夢中になって観た。
映画館を出て思い切り深呼吸をしてみたら、空や、建物や、街路樹や、目に映る全ての色が変わったように思えた。
そんなことを思い出しました。ミニシアターは重要です!

林鉱治(ウニタ書店)
ミニシアターは映画上映の場であるだけでなく、<文化>を創出していく空間でもあります。それが持続的に存在することは、多くの人たちの<想い>を絶えず可視化していくことに他ならないと思います。

阿武野勝彦(ドキュメンタリー・プロデューサー)
プッツリ途切れた歴史。それを繋ごうとしている人たちがいる…。
名古屋には映画のヘソが2つあった。西の「シネマスコーレ」、東の「シネマテーク」。2館は、小さくても多様な作品群を上映し続けてきた。「シネマテーク」は、新宿を小振りにしたような混沌の街・今池にあって、「得三」「ピカイチ」「味仙」とともにランドマークだった。何より、「名古屋シネマテーク」は、私たちの『東海テレビドキュメンタリー劇場』を産み出した。『平成ジレンマ』『神宮希林』『人生フルーツ』『ヤクザと憲法』『さよならテレビ』『チョコレートな人々』…。ここがなければ、私たちの映画は存在しなかった。
しかし、もう「あった…」「だった…」という過去形をやめられる。キネマの殿堂を繋ぎ直す、そして新しい映画館として甦らせようとしている人たちがいる。どうか、繋ぐ人たちのため、豊かな映像文化のため、街のため、みなさんのお力添えをおねがいします。

想田和弘(映画作家)
暗い場内。大きなスクリーン。腹に響く音響。そして何よりも、周囲にいる知らない人たちの吐息。微かな嗚咽。抑えた笑い声。
これらすべて含めて、映画なのだと思う。つまり映画とは映画館そのもの。一人で観る配信やスマホの映像は、やはり映画とは違う。
人生のほとんどは大げさだけど、3分の1くらいは映画で学んだと思う。映画が好きだからこそ、映画館を応援します。

川瀬陽太(俳優)
90年代後半、名古屋で自分が映画俳優として関わった作品が初めてかかった劇場がシネマテークでした。ピンク、いわゆる成人映画。お伺いした際にサインを書かせていただきました。俳優を始めてそう間もない頃です。なんだかいっぱしの役者みたいでこそばゆかったのを思い出します。閉館にはお伺い出来ず不義理したなと思っていました。もう、帰ってこないだろうとも。ですからこんな奇跡が待っているなんて思っていませんでした。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、小さな映画をかける劇場さんの現状を知る身としては偽らざる気持ちだったのです。お帰りなさいと言いたい気持ちもあるけれど、ここは敢えて初めましてと言います。ここから始まるんですね。早く会いに行きたいです。

ヤンヨンヒ(映画監督)
映画を映画館でみる。
この当たり前なことが贅沢にさえ思えてしまう現実が苦しい。
配信やデバイスの多様化、料金の値上げ、コロナ禍での生活習慣の変化など、
観客が映画館から遠ざかる理由には事欠かない昨今。
行政支援がある海外のアートシアターでさえ存続を諦めるこの時代に、
映画愛だけに支えられてきた日本各地のミニシアターの努力は凄まじい。
そんな中、
リスクを負い、困難を承知で、
今から新しいミニシアターを立ち上げる勇者たちが現れた。
映画を映画として存続させたいという挑戦者たちの志に心が震える。映画をつくる私にとって、
映画の配給&宣伝及び映画館スタッフは同志のような存在。
微力ながら声を振り絞ってエールを送りたい。
フレー!フレー! ナゴヤキネマ・ノイ!そして、
映画は映画館で!
と今まで以上に叫びたい。

《Branc編集部》

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