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中国にとって意義深い1978年が舞台の『1978年、冬。』リー・チーシアン監督

昨年の東京国際映画祭で上映され、称賛を持って迎えられた『1978年、冬。』(映画祭タイトルは『思い出の西幹道』)。舞台は毛沢東の死から2年後、文化大革命時代に終止符を打ち、改革開放に向かおうとしている1978年。ある兄弟と一人の少女を取り巻く、時代の大きな渦を描いた本作の監督、リー・チーシアンに話を聞いた。

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『1978年、冬。』リー・チーシアン監督
『1978年、冬。』リー・チーシアン監督
  • 『1978年、冬。』リー・チーシアン監督
  • 『1978年、冬。』 -(C) 2007 China Film Group Corporation & Wako Company Limited.
  • 『1978年、冬。』 -(C) 2007 China Film Group Corporation & Wako Company Limited.
昨年の東京国際映画祭で上映され、称賛を持って迎えられた『1978年、冬。』(映画祭タイトルは『思い出の西幹道』)。舞台は毛沢東の死から2年後、文化大革命時代に終止符を打ち、改革開放に向かおうとしている1978年。ある兄弟と一人の少女を取り巻く、時代の大きな渦を描いた本作の監督、リー・チーシアンに話を聞いた。

舞台となっている1978年は監督自身にとっても重要な意味を持つ。
「1978年という年は中国にとって非常に意義深い年です。文化大革命が終わって、いまに至る開放政策が始まった年と言えると思います。非常に閉鎖的だった時代が開放的な時代へと向かっていく。例えば大学入試ですが、文化大革命の最中には途絶えていたんですけれども、この1978年に復活しました。この年を境に新たな時代に入ったと言えます。この映画では、非常に閉ざされた地方都市を背景にしていますが、それはその小さな都市で生きる人間の運命というものを描き出したいと思ったからです。古い時代に終わりを告げて、新しい時代が始まろうとしているちょうどその狭間、時代と時代が交差するところに生きる人々を描きたいと思い、この時代を選びました」。

田舎の美しい風景に佇む子供たちの姿が寂しそうであり、そして一枚の画のようでもあり強い印象を残す。撮影は『呉清源 極みの棋譜』のワン・ユー。監督とは北京電映大学時代の同級生だそうだ。
「この『1978年、冬。』は私が10年くらい温めていたプロジェクトなんです。その最初の頃、初期のシナリオを、彼はすでに読んでいてくれました。私もまだそのときは映画監督としてデビューできていなかったわけですから、私と彼はお互いに撮影の現場で慰め合ったり、励まし合ったりしていたんですよ。とても仲の良い友人ですね」。

元々は美術学科出身の監督。卒業後は美術担当として映画業界に入った。
「絵を学んだことで空間の認識力というか、空間創造力が養われたと思います。例えば、音楽の道に進んでいたとしても、これまで培ってきた空間に対する創造力は役に立ったと思います。でも、今回ロングショットを多用しているのは、それとはまた別の問題なんですよ。撮影監督のワン・ユーと相談して、客観的に風景を見て、人物を捉えるには、ロングショットが良いだろうという話になったんです。だから美しいシーンを撮ろうと思って撮ったわけではなく、客観的に冷静に物事を見て、情景を見るという意図がありました。やはりこういう商業性の薄い作品の中では、どのようにストーリーを語るか、構成をどうするか、人間性をどこまできちんと表現出来るか、人間への洞察とでも言いますか、そういう部分が非常に重要だと思ってました」。

『1978年、冬。』のように、その時々のテーマにふさわしい私自身のスタイルや手法で1本、1本作り上げていけば良いと思っています」と自身の映画製作について語る。
「例えばこの作品は、“別れ”、“人生の無常”がテーマになっています。これにふさわしい手法でこの作品を作りました。次はコメディを作る予定なんです。これは、『1978年、冬。』よりも商業性が強い作品になると思いますが、訴えたい、表現したいものがきちんとある作品に仕上げたいと思っています」。
《シネマカフェ編集部》

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