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【映画と仕事 vol.5】「逃げ恥」「アンナチュラル」の脚本家・野木亜紀子が生み出す高い“密度” 映画『罪の声』で原作にない創作シーンをあえて入れた意図は?

「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)や原作ファンから絶大な支持を集めた映画『図書館戦争』シリーズ、「アンナチュラル」「MIU404」(TBS系)など、原作もの、オリジナル脚本を問わず、 次々と話題作を生み出す脚本家・野木亜紀子。

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野木亜紀子
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  • 『罪の声』メイキング(C)2020 映画「罪の声」製作委員会
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  • 『罪の声』(C)2020 映画「罪の声」製作委員会
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“原作あり”と“オリジナル”作品の創作スタイル


――ここからさらに、野木さんの創作のスタイルについて、お聞きできればと思います。「逃げ恥」や今回の『罪の声』のような原作がある作品と、完全オリジナル脚本の作品では、執筆の過程は大きく変わってくるんでしょうか?

いえ、結局は同じなんですよね。原作があったとしても、結局は一度、解体して、プロットを作り直さないといけないんですよ、映画やドラマの“枠”にハマるように。作業としてはどちらも一からなので、作業量自体は変わらないですね。

ですが私は原作のある作品の方が疲れますね。オリジナルの方が楽です。「アンナチュラル」や「MIU404」もそうですが、オリジナルの場合、最初からドラマに合った話にすればいいだけなんですよ。もし「これ、ドラマ向きの内容じゃないよね?」となったら「じゃあ別の題材にしましょう」と方向転換してドラマ向きの作品にすればいい。

『罪の声』メイキング(C)2020 映画「罪の声」製作委員会『罪の声』メイキング
でもマンガや小説の原作がある場合、それはもともとマンガや小説向けに作られているものですから、それをドラマ向きにしないといけないわけで、そこに手間と無理が生じるわけです。この映画の原作も、何ページにもわたる語りで判明していく物語があったりするんですけど、映像作品でそのままやるわけにはいかない。小説ならいくらでもページを費やして語れるけど、映画の尺では無理だし、マンガならこの表現ができるけど、それを実写でやったら醒めるよね…という場合もある。

更に、作者の方がいらっしゃるわけですから、手をつけていい部分といけない部分もあるわけです。映像にそぐう形で作りつつ、それでも作者の意図や作品の根幹は変えちゃいけないという風に作っていくので、なかなか疲れるし、気をつかうわけです。オリジナルなら好きにすればいいので楽です。

『罪の声』メイキング(C)2020 映画「罪の声」製作委員会『罪の声』メイキング
――人気の原作の場合、「映画化決定!」の一報の瞬間から、原作ファンの厳しい批評の目にさらされます。特に、約2時間という映画の枠に収めるためのエピソードの取捨選択などは、どうやって決断されるのでしょうか?

枠に収まるように落としていかなくてはいけないので、「ここ入らないな」となったらバッサリと切っていきますね。プロデューサーや監督から「いや、それはいいんだろうか…?」みたいに言われることもあるんですけど「いいと思います」って(笑)。映画なので、映像に起こしようがないところは切るか、それに代わる表現に変えていくしかない。原作をなぞって再現することよりも、映像作品として成立するかどうかを優先する。それが脚色という仕事だと思っています。

――ただ映画を見ると、そこまで大きく「変わった」という印象はなく、きちんと小説のエッセンスをくみ取った『罪の声』だという印象でした。

何を落としても、作者の塩田先生が訴えたいことが伝わればいいのかなと。事件に巻き込まれた子どもたちの「声」の物語であったり、新聞記者の矜持という部分であったり、おそらく塩田先生はこう思っているだろうという部分を大事にして、そこに関しては落とすのではなく強化する。違いはあくまで、小説の表現方法と、映画の表現方法の違いということです。

『罪の声』 (C)2020「罪の声」製作委員会
――逆に原作のないオリジナル脚本を執筆されるときに、常にご自身の中で大切にしているテーマや根底にある共通する思いなどはあるんでしょうか?

作品によって、枠によって、その時の心持ちによってそれぞれ違いますね。ただ書いている人間は同じであり、価値観は同じなので、根底の部分は通じているとは思います。

心持ちというのがどういうことかというと、たとえば「アンナチュラル」では、いわゆる“推理モノ”でよくある、犯人が崖の上で延々と動機を語る…みたいなことはやりたくなくて。だからクライマックスの前までに謎のほとんどを解決するようにつくったし、被害者は死んでいるのに、犯人にグダグダと殺しの理由を語らせたところで「何を言ったって殺してるわけじゃん?」となるので、そこは語らせないようにしようと決めていました。

だけど「MIU404」では、逆に加害者の話を結構しているんですよ。それはなぜかというと、私の中での批評として「アンナチュラル」で切り捨てたものは、本当に切り捨ててよかったのか? という思いがあったからなんです。「アンナチュラル」の場合、主人公が法医学者なので、彼女は死者(=被害者)に寄り添うしかないし、あれはあれで正解だった。

でも「MIU404」は犯人と非常に近い位置にいる、もしかしたら最初に犯人とコンタクトをとるかもしれない機動捜査隊の人たちが主人公なので、そこで加害者の声を拾わないのは嘘だろうと。

そんな風に、毎回「私はこれなのだ!」という感じでやっているわけではなく、「アンナチュラル」があったからこそ、それに対する批評として「MIU404」があったという感じだったり、その時その時で自分が書きたいものを見出しながらやってます。

《text:Naoki Kurozu》

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