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オードリー・ヘプバーン「どんな悲惨な状況でも、人は助け合える」劇中コメント到着

ドキュメンタリー映画『オードリー ・ヘプバーン』から1989年にユニセフ親善大使に就任した日を記念して、本作の新場面写真と劇中コメントが解禁

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ユニセフ親善大使としてのオードリー・ヘプバーン(C)Trinity Mirror / Mirrorpix / Alamy Stock Photo
ユニセフ親善大使としてのオードリー・ヘプバーン(C)Trinity Mirror / Mirrorpix / Alamy Stock Photo
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  • ユニセフ親善大使としてのオードリー・ヘプバーン(C)John Isaac
  • ユニセフ親善大使としてのオードリー・ヘプバーン(C)John Isaac
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  • 『オードリー・ヘプバーン』(C)PictureLux / The Hollywood Archive / Alamy Stock Photo
  • 『オードリー・ヘプバーン』 (C) 2020 Salon Audrey Limited. ALL RIGHTS RESERVED.

オードリー・ヘプバーンの貴重なアーカイブ映像と近親者によって語られるドキュメンタリー映画『オードリー ・ヘプバーン』。3月9日、オードリーが1989年にユニセフ親善大使に就任した日を記念して、本作の新場面写真とオードリー自身が活動への想いを語った劇中コメントが解禁となった。


>>『オードリー ・ヘプバーン』あらすじ&キャストはこちらから

1989年3月9日、オードリーはユニセフ親善大使に就任。以降、彼女は人生をユニセフの活動に捧げ、アフリカ、南米、アジアなど世界十数カ国をめぐり、子どもたち悲惨な状況を訴えるため、自らの名声を惜しみなく使い、ユニセフの広告塔として力を尽くした。オードリーがPRするたびに100万ドル以上の寄付がよせられ、彼女が活動した5年間で団体の規模は倍になったという。1992年の終わりにはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与。この大統領自由勲章受勲1か月後の1993年に、スイスの自宅でがんのために63歳で死去した。

本作では、オードリーがユニセフ親善大使となったきっかけや親善大使となった後に訪れた各国で感じたこと、活動に対する思いについて本人の映像、息子や孫、家族ぐるみの友人などで語られている。その中でもオードリーは、幼少期の第二次世界大戦の経験が残っていると述べ、本作でユニセフの活動についてこう語っている。

「戦争が終わった時、私は重度の栄養失調だった。私の人生は、その頃の記憶で形作られている。あの苦しい時代が教えてくれた一番大切なことは、どんな悲惨な状況でも、人は助け合えるということ、悲惨であればあるほど互いが必要になる。女優という仕事が私に特別なものをくれたとしたら、この“声”を残してくれたこと。今も私に興味を持つ人がいることを子供たちのために利用できる。
“人道”とは人を幸福にすること。苦しみから救うこと。あきらめることは許されません。お金と時間をかけて数百万人の子供を救わねばならないのです」。

さらに、オードリーの孫エマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラーは、「この映画をご覧くださる日本のオードリーファンのみなさま、私にとってこの映画が持つ意味は、とても言葉では言い尽くせません。(監督の)ヘレナ・コーンは、二次元的にしか残っていないイメージの中だけの彼女を超えて、本当の『オードリー・ヘプバーン』を知る機会を与えてくれました」とコメント。

「私は実際に彼女に会うことは叶わなかったので、この贈り物をくれたヘレナに心から感謝しています。オードリーの強さ、弱さ、情熱、痛み、愛し愛されたいという願い…、そのすべてに命が吹き込まれました。この経験をみなさんと共有できることは、かけがえのない喜びです。あなたとともに」と語っている。

なお、本作の公開に際し、オードリーの活動をこれからも支援し続けることを目的に本作品の興行収入の一部をユニセフに寄付する予定という。

『オードリー ・ヘプバーン』は5月6日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国にて公開。

《シネマカフェ編集部》

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