『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』が大ヒット公開中。今回、初めて「ちいかわ」の物語に触れた筆者が、率直な感想を綴ってみた。
イラストレーターのナガノがX(旧Twitter)で連載する漫画「ちいかわ」が初の映画化。7月24日に封切られると、興行収入は初日だけで9.9億円を記録。公開3日間では22.4億円超えと、『鬼滅の刃』『名探偵コナン』級の大ヒットとなっており、これからどれだけ記録を伸ばすかにも注目が集まっている。

そんな大人気の「ちいかわ」のことはもちろん知っていたが、これまで漫画やアニメを見たことはなく、今回の映画で初めて「ちいかわ」の物語に触れることになったのだ。
「ちいかわ」で描かれる世界観やキャラクターの本質、映画化された「セイレーン編」の闇の深さなどは事前情報で耳にしていたが…なるほど、確かに一筋縄ではいかない話である。それに、長く人生を生きてきた人ほど、語りたくなる要素がたくさん詰まっている。
今回は大人である自分の頭に浮かんできた、様々な要素を少し整理してみたいと思う。

※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。
ギリシャ神話、日本古来の伝説、旧約聖書、ミステリ小説…

まずセイレーンのキャラクターが興味深いのだが、ギリシャ神話に登場する海の怪物(いわゆる人魚)がモチーフになっていることは、疑いの余地はない。そこから、「人魚の“肉”を食べると…永遠のいのちが手に入る」(不老不死)という設定は「八百比丘尼」の人魚伝説、顔は熱田神宮発祥の「犬張子」がモデルなのでは? と言われている。(八百比丘尼、犬張子、料理の味が濃い、味噌漬け、しるこサンドなど、愛知県と関わりのある要素が多い)
物語としては、島の外からやって来たちいかわたち(観光客)が島民のために戦うという設定は黒澤明監督作『七人の侍』を彷彿とさせるし、島民が人魚を食べるに至った経緯と結末…それはまるで旧約聖書のアダムとイヴの「失楽園」のようである。

また、鑑賞後に残るなんとも言えない“やるせなさ”や“後味の悪さ”。これはSNS上で話題になっているが、東野圭吾や湊かなえ作品を見た後に感じるものと共通する。他にも、ホラーやシェイクスピア作品などあげればキリがない。
セイレーンとは何なのか?

個人的に最も考え込んでしまったのは、「セイレーンとは何だったのか?」ということ。
そもそもセイレーンは最初からその場所にいたわけではなく、突然島にやってきた巨大生物である。味が濃くて油っこい料理を気に入って住み着くようになったが、そのセイレーンの歌声で島の作物はよく育ち、島民たちもそれにあやかりセイレーンにどんどん料理を与える…まるで神様のような扱いをするようになった。
このように当初は良好だった共生関係は、あることをきっかけに崩壊。セイレーンは島民たちを次々に襲う恐ろしい存在となっていく。

このセイレーンの存在も、それぞれ個人によって様々な解釈ができそうである。個人的にセイレーンは、18世紀半ば以降に始まった「産業革命」に思えてならなかった。革命が人類の技術発展や社会構造の変化をもたらしたが、それはある時、環境破壊や公害という形で人類に牙を向く――。度重なる災害に毎日続く酷暑…それは現在に続く経済vs環境の対立構造からも見えるのではないだろうか。
こんなことを思ってしまったのは、ちいかわたちが草むしりや討伐などの“労働”で生計を立てており、それがまるで資本主義の縮図、メタファーとも言われている「ちいかわ」の世界観に影響されてしまったからかもしれない。
ジブリ作品との共通点

先に述べたことは全て大人の視点からだが、子どもたちには可愛いちいかわたちの映画をただただ純粋に楽しんでほしいと思う。しかし、そんな子どもたちも成長し、いろんな経験を経て大人になった時――この『映画ちいかわ』を観ると、また新たな発見、違った作品に思えるのではないだろうか。かつて自分にとってのジブリ作品がそうであったように。
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は全国にて公開中。





