韓国で2010年に放送された『チュノ~推奴~』は、単に高視聴率を記録したヒット作にとどまらず、韓国社会やポップカルチャー全体に、今なお消えない巨大な足跡を残した作品だ。
その最も分かりやすい例が、ドラマのタイトルだった「チュノ(推奴)」という言葉そのものが広く認知され、新造語として現代まで使われ続けているという事実だ。
本来は歴史の中に埋もれていたような馴染みの薄い用語が、一作のドラマによって広く知られる言葉へと変化を遂げたのだ。
「チュノする=職場から脱走する!?」
史実における「推奴(チュノ)」とは、逃亡した奴婢を追跡・捕縛する行為を指す。ところが現代の韓国インターネット上では、まったく新しい意味を持つスラング、新造語として使われるようになった。
若者やネットユーザーの間で「チュノする」と言えば、「アルバイトや会社、職場から連絡を断って突然姿を消す」といった意味で使われることがある。
かつて過酷な現実から逃げ出した奴婢と、それを必死で追う推奴師。
その強烈なイメージが、現代人のストレスフルな職場環境と重なり、「日常から突然逃げ出す」ことを表現するポップなスラングとして定着したのだ。
一作のドラマが、数百年前の歴史用語にまったく新しい意味を与えた格好だ。
ここまで作品名そのものが日常的な表現へと変化するケースは、それだけ『チュノ』が当時の韓国社会に強い印象を残したことの証しでもある。
放送終了後も生き続ける「チュノ」
しかも、『チュノ』が残したものは言葉だけではない。
ドラマが放送を終えて長い年月が経過した現在でも、ネットコミュニティやSNSでは『チュノ』を元ネタにしたコンテンツが生み出され続けている。
登場人物の表情、劇中音楽、さらにはYouTubeでの再配信まで、作品のさまざまな要素が新しい形で楽しまれているのだ。
テレビドラマは、最終回を迎えればひとまず物語は終わる。
しかし『チュノ』の場合、その後もタイトルそのものがスラングとなり、作品から切り取られた映像や音楽が別の文脈で使われ続けている。
では、実際にどのような“チュノ文化”が残っているのか。
後編では、ネットミームや音楽、日本での独特なローカライズまで、『チュノ』が放送後に生み出したもう一つの広がりを見ていく。
文=森下 薫


