嘉永七年(1854年)、吉田松陰は海外密航を企てたという大罪で野山獄という牢獄に送られた。獄囚たちはみな、長い幽閉生活で生きる希望を失い、自暴自棄になっていた。しかし彼らは、常に前を向き、清廉で一途、人を愛して止まない松陰の姿に少しずつ心を動かされていく。唯一の女囚、高須久もその中のひとりで、松陰の呼びかけで催された短歌の集いなどを通じ、彼への気持ちを深めていった。その後、自宅蟄居となった松陰は、「松下村塾」を開き、後進の指導に当たりつつ、獄囚の解放にも手を尽くしていた。しかし、全てがうまく回り始めていたと思われた頃、松陰への捕縛命令が幕府から届く。それは、後に“安政の大獄”と呼ばれる粛清の時代の始まりだった――。
石原興