大阪帝拳ジムに所属していた山口賢一は、将来を嘱望されたボクサーであった。デビューから11連勝を果たし、次は日本タイトルマッチかと期待が高まる中、明確な理由の無いまま、ついに試合が組まれる事は無かった。業をにやした山口は、JBC(日本ボクシングコミッション)に引退届けを提出、単身に闘いの場を国外に移す。海外の経験を積むことで、日本ボクシング界の現状に疑問を抱くようになった山口は、“いつか自分の経験を日本に持ち帰りたい”という思いを強くしていく。そんな折、OPBF(東洋太平洋ボクシング連盟)タイトルマッチのオファーが舞い込む。だが、突きつけられた条件は、「JBC復帰」であった。山口は、日本ボクシング界の変革と、自らの世界タイトルマッチ再挑戦のため、かつて袂を別ったジムとJBCへ話し合いに向かうのだが――。
武田倫和