【シネマモード】傷ついても探求する、女の人生 人生に迷うあなたに贈る『サラの鍵』

知らないということは、無邪気に生きられるということだ。それが、『サラの鍵』を観て、まず感じたことだった。この作品は、パリで1942年に起きたユダヤ人迫害事件「ヴェルディヴ事件」を題材に、ホロコーストを生き抜いた女性・サラと、現代に生きるジャーナリストのジュリアとが、時を超えて人生を交差させていく物語だ。

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『サラの鍵』 -(C) 2010 - Hugo Productions - Studio 37 - TF1 Droits Audiovisuel - France2 Cinéma
  • 『サラの鍵』 -(C) 2010 - Hugo Productions - Studio 37 - TF1 Droits Audiovisuel - France2 Cinéma
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  • 『サラの鍵』 -(C) 2010 - Hugo Productions - Studio 37 - TF1 Droits Audiovisuel - France2 Cinéma
  • 『サラの鍵』 -(C) 2010 - Hugo Productions - Studio 37 - TF1 Droits Audiovisuel - France2 Cinéma
知らないということは、無邪気に生きられるということだ。それが、『サラの鍵』を観て、まず感じたことだった。この作品は、パリで1942年に起きたユダヤ人迫害事件「ヴェルディヴ事件」を題材に、ホロコーストを生き抜いた女性・サラと、現代に生きるジャーナリストのジュリアとが、時を超えて人生を交差させていく物語だ。

パリに住むユダヤ人家族約8,000人が屋内競輪場<ヴェルディヴ>に送られた事実についてほとんど知らなかった私は、本作によって、その時のユダヤ人検挙がフランス警察や憲兵の積極的な協力によって行われたことに触れた。それは決して快い事実ではないけれど、その歴史についてもっと知りたいと思ったことは確かだ。フランスに対して無邪気な憧れだけを抱くのではなく、その文化が抱える暗い歴史についても正しく把握する必要性を感じてしまったら、もう引き返せない。事実を知り、自分が当時に生きたならどうするだろうかと答えのない答えを探してしまう。そのことで、自分が楽しくなるわけでなく、むしろ辛い思いをするかもしれないにもかかわらず。

そんな自分と、現代のヒロイン・ジュリアを重ねてみると、つくづく私たちは女なのだなと思う。ジュリアは、このホロコースト事件を取材するうちに、自分とヴェルディヴに送られたある家族との接点を見つけてしまうのだ。彼女は、フランス人の夫の家族から譲り受けたアパートに、かつてユダヤ人家族が住んでいたことを知る。彼らが検挙されたのと、夫の家族がアパートに引っ越したタイミングがほぼ同じであることも。そこで生まれたひとつの疑念を無視することなど到底できず、真実を追い求め、やがてパンドラの箱を開けてしまうジュリア。彼女の夫が言うように、事実を突き止めたからと言って、事態は誰にとっても良くなるわけではない。過去の暗い秘密を暴くことは、むしろ多くの人を傷つけるだろう。だから、本作に登場する男たちは彼女の行動に疑問を投げかける。なぜそんなことをするんだと、ごく理論的に。

「それはジャーナリストの好奇心か」と夫はジュリアに尋ねるが、そうではないことを女ならばわかるだろう。理性ではなく感情が、真実を求めてしまうということを。家族の持つ秘密をあえてほじくり返した妻を夫は理解できない。後に、ジュリアが接触することになるサラの関係者も、家族の秘密を他人から明かされ「いいかげんにしてくれ。この話は聞きたくない」とジュリアを拒む。劇中に登場する男たちは、隠された事実があることに気づいても、それに気づかなかったふりをしたがるのだ(もしくはそうしてきたのだ)。彼らが恐れているのは、知ることで傷つくこと。なんとも繊細で、無邪気で居続けたい生き物なのだろう。だが、女は違う。そこに事実があると知ったなら、傷つくとわかっていても進まずにはいられない。真実を知る代償がいくら大きくても、曖昧さの上に生きるよりはましだと思う生き物なのだ。もちろん、男性にもそんな考えを持つ人もいるだろう。その逆もまた然り。だが、女は感情的な生き物で、男は理論的な生き物と言われるような事態は、日々そこかしこで展開される。まさにこの作品の中でも。

ひとつ、印象的なエピソードがある。ジュリアは40歳をゆうに超えているが、待望の妊娠を果たす。だが、それを報告した時の夫の反応が芳しくない。不妊治療をしていたのはもう6年前のこと。「俺は年取った父親にはなりたくない。もういいんだ」と言うのだ。確かに、歳をとってからの子育ては大変だというのは正論だ。だが、超高齢出産ゆえに母子ともに抱えるリスク、働き盛りの今、家族を持つことがどれほどジュリアにとっても大変なことか。それを承知で産みたいという妻に、そんな話が通じると考えるのは男の理論。大きな問題が起きたとき、とことん話し合おうとせず“なかったこと”にしようとする男は少なくない。女は、辛い話し合いが良いものを生まないとしても、決着をつけずにはいられない生き物なのだ。

それにしても、ジュリアのなんと強いことか。自分だけでなく、ほかの誰かを傷つけながらも、真実に向かっていく。傲慢なことだろうかと悩みつつも、突き進んでいくのだ。一体、それはなぜなのか。それは、女が自らの体を使って世界を受け継いでいくからだろうか。個人差はあれ、出産には激痛が伴うとされている。男性には、同程度の激痛を引き受けることは不可能だとも言われるが、それほどの苦しみを経る運命を、女は生まれた瞬間から課せられている。場合によっては、苦痛だけでなく、命すら危険にさらす運命さえも。つまりは、傷つくことを恐れていては生きていけないし、喜びを得ることもできないとDNAに刻まれているのだ。その運命を理解し合える仲間として、女たちは国境、時代、境遇を超えて、痛みを分かち合う能力を備えたのだろうか。大切な者たちを失ったサラの悲しみにジュリアが共鳴することで、ジュリアはますます愛する者を守りたいという本能を花開かせていく。ジュリアの決断が、どんな未来を生むのかは、ぜひ映画を観て確かめてほしいが、真実が白日の下にさらされたとき、決して陣痛だけでなく、新しい事実の誕生という喜びももたらされることだけは伝えておきたい。

ちなみに、主演のクリスティン・スコット・トーマスは、イギリス人だが演技を学ぶために19歳でパリに移住した経歴を持つ。3人の子を持つ母であり、45歳のときに18年連れ添った夫と離婚。映画を観ていただければわかるが、その生き様は、ジュリアと重なる部分が大きい。彼女自身も「ジュリアの境遇は私にとても似ていたわ」と言っている。監督も「クリスティンはジュリアと不気味なぐらい似ている」、「この映画の彼女は、現実の彼女そのものだ。カリスマ性があり、現代的で、今を生きる女性だ」と話している。映画で描かれているジュリアの生き様はもちろんのこと、そこに重なるクリスティンの人生や決断からも、岐路に立ち様々な選択のはざまで迷う女性たちは、希望の光を感じられるのではないだろうか。

この作品を観た後も、男性の中にはジュリアの行動、決断が理解できない人もいるかもしれない。でも、これが女の生き方なのだとしか言いようがない。もちろん、男たちを責めるつもりはない。男には男の役割があり、別の素晴らしい生き様がある。わからなくても当然だからだ。ただ理解できないにしても、傷つくことも生きることの一部だと本能で知っている女の生き方を、願わくは知っておいてほしい。

《text:June Makiguchi》

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