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『MY HOUSE』堤幸彦監督インタビュー 「自分の棺桶に入れる映画を作りたかった」

日本映画界きってのエンターテイナーは、卑下するでもなく自らを「定食屋のオヤジ」と称する。その心は「常に大盛りで和・洋・中の全てをこなし、究極のサービスを提供する」というもの。その言葉通り、堤幸彦は『20世紀少年』などの漫画原作から『SPEC』など人気TVドラマの劇場版、『明日の記憶』といった人間ドラマまで幅広い作品を手がけてきた。そう考えれば彼がシリアスなモノクロ作品を撮っても不思議はない。だがそれでも、まもなく公開となる『MY HOUSE』はやはり彼のフィルモグラフィーの中でも異色作である。いや、作品のテイスト以前に堤監督自身の本作にかける特別な思いがあることがひしひしと伝わってくるのだ。故郷・名古屋を舞台に製作され、構想から5年をかけて完成にこぎつけた本作の何が特別なのか? 堤監督に話を聞いた。

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『MY HOUSE』堤幸彦監督 photo:Naoki Kurozu
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  • 『MY HOUSE』 -(C) 2011「MY HOUSE」製作委員会
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日本映画界きってのエンターテイナーは、卑下するでもなく自らを「定食屋のオヤジ」と称する。その心は「常に大盛りで和・洋・中の全てをこなし、究極のサービスを提供する」というもの。その言葉通り、堤幸彦は『20世紀少年』などの漫画原作から『SPEC』など人気TVドラマの劇場版、『明日の記憶』といった人間ドラマまで幅広い作品を手がけてきた。そう考えれば彼がシリアスなモノクロ作品を撮っても不思議はない。だがそれでも、まもなく公開となる『MY HOUSE』はやはり彼のフィルモグラフィーの中でも異色作である。いや、作品のテイスト以前に堤監督自身の本作にかける特別な思いがあることがひしひしと伝わってくるのだ。故郷・名古屋を舞台に製作され、構想から5年をかけて完成にこぎつけた本作の何が特別なのか? 堤監督に話を聞いた。

空き缶を介して交錯する“食物連鎖的”な物語

きっかけとなったのは建築家の坂口恭平が週刊誌に寄せたある記事(後に書籍として刊行)。そこには隅田川の河川敷という都会の“一等地”で工夫を重ねて全くお金をかけることなく暮らす路上生活者の様子が書かれていた。堤監督は彼をモデルに、公園で静かに淡々と暮らす路上生活者と、満たされた邸宅で暮らす潔癖症の主婦や黙々と勉学に励みエリートの道を進む少年らの姿を対比的に描き出す物語に仕上げた。

通常、交わることのないはずの彼らの人生が空き缶(※路上生活者が現金収入を得るために収集)を介して交錯していく。「彼らが空き缶によって結ばれる食物連鎖的な物語にしたかった」と堤監督。“定食屋のオヤジ”ならば、路上生活者をテーマにしつつも笑いを中心にしたコメディタッチの作品に仕上げることも可能だったはず。実際、モデルの記事や書籍は、工夫を凝らした「0円生活」をユーモラスに描いている。だが、あえて映画は若者による路上生活者襲撃の描写も含め、決して明るいとは言えないトーンで紡がれていく。その理由を監督はこう語る。
「モデルとなった隅田川の鈴木さんもそうなんですが、彼(=映画の主人公)は多くの路上生活者と違って、自分で0円生活をするのだというハッキリとした意志を持ってこの暮らしをしているんです。しかし、この生活を続けるということは最大限の“自由”を手にしているけど、我々と比することができないようなエグいリスクを負ってるわけです。暴力や対立、縄張り争いに権力との対立が日々あるわけです。自然災害も露骨に受けます。そのリスクを背負ってまで、そういう生活を意志として選んでるのはなぜなのか? その強さは何なのか? それが描きたかった。現実はそんなに甘くない…しかし、それさえも選んでるということを伝えたくてああいうタッチにしました」。

「自分の棺桶に入れる映画を作りたかった」

主人公を演じたのは、名古屋を中心に活動するフォークシンガーのいとうたかお。その歌を聴いて「こういう世界観を醸し出せる方はきっと演技に関しても素晴らしいに違いない」と考え、演技経験の有無など気にせずにオファーを出した。
「いや、『ホームレス役にピッタリです』というのは全然ホメ言葉じゃないし、撮影が終わったいまも『素晴らしかったです』と言うのが微妙なんですが(笑)。でも本当に強い生命力を持った人には時代の流れと関係なく共通した存在感がある。演技に関してもほとんど何も言ってない。むしろ『演技しないでください』と言いました。演技というのは何かが起きたときに瞬発的にリアクションをすること。そういうものはこの映画には絶対に合わないので、鈍感なまでに動きがなくていいと伝え、本当に淡々とそこにいてもらいました」。

冒頭の問い。定食屋のオヤジが店を飛び出したような“執念”を感じる。そんなこちらの言葉に「いや、定食屋であることに変わりはないですよ」と言いつつ「ただ、50も半ばを迎えて、こういう作品を出せる図々しさが身に着いてきたなと思う」と自らの中に生じた変化を語る。
「エンタメ作品を作るときは、とにかく楽しんでもらうために究極のサービスをしまくるというのが私の作風。『過剰だ』、『説明し過ぎだ』という批判は重々承知の上で(苦笑)、やり尽くしているわけです。でもそれはどこかで自分の本音を封印しなくてはいけないということでもある。一方で、何年に一度かは自分がやりたいことをやる『自分に正直でいる』というルールも自分に課しています。そうやってバランスを取ってきましたが、この年になって『バランスなんてもうどうでもいいや』と思えるようになりましたね。それでブーイングを受けようがエンタメの作品数が減ろうがしょうがない。自分が気持ちよく死ぬために、こうすべきと思ったものに飛びついていこう、と。この映画を作った本当の理由は自分の棺桶に入れる映画を作りたかったのかもしれません」。

こうした変化が表れているのは、映画作りの面だけではない。ここ数年の間で、かつて中退した大学に復学し「地理」を学びフィールドワークを楽しみ、一方で「地域振興」をテーマに故郷・愛知の大学の客員教授として教鞭を取り、その延長で愛知県の高浜市で市民だけを起用した映画作りを行なっている。美大に進学することも企んでいるそうで、そうした一つ一つが「知らないことばかりで楽しくて仕方がない」と子供のような笑みを浮かべる。
「1円にもならないんですけどね(笑)。そういうことが50を過ぎて自然とできるようになりました。40代まではそういうことは時間を無駄遣いしてるような気がして、ひそやかに本を読むくらいにとどめていたんですが、50を過ぎて急に『アイスランド行きたい!』と思って行ったり、ネパールに行ってみたり。悔いなく死にたいと思って、人間ってそういう動きになっていくのかもしれません」。

たびたび、監督の口からは、自らの残りの人生を意識した言葉が漏れる。昨年の12月には、堤監督が初めて劇場映画のメガホンを握ったオムニバス映画『バカヤロー! 私、怒ってます』('88)で製作総指揮を務めた森田芳光監督が61歳の若さでこの世を去った。多いときで年に3本、4本と作品が公開されることもある日本映画界でも稀有な多作監督と言える堤監督だが、森田監督の早すぎる死が「撮れる時に撮りたい」という思いをより一層、強いものにしているのかもしれない。この男が「もう撮り残したことはない」などと言う日は決して来ないだろう。不謹慎な言葉で恐縮だが、棺桶のふたが閉まる最後の最後の瞬間まで、「店じまい」の札など掛けることなく、さらに多彩な“定食”を提供し続けてほしい。

《photo / text:Naoki Kurozu》

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