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【MOVIEブログ】タイのワークショップ参加報告

2月25日(日)、昼の12時に無事ベルリンから羽田空港に到着。すぐさま受賞結果を確認すると、まあ見事に外れた!

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2月25日(日)、昼の12時に無事ベルリンから羽田空港に到着。すぐさま受賞結果を確認すると、まあ見事に外れた!

最高賞の金熊賞には、ルーマニアの『Touch Me Not』。僕は日記ブログ(Day8)で全くノレなかったと書いているので、恥ずかしい限り。もっとも、業界誌の星取表の評価も芳しくなかったようで(4点満点中、平均1.5点)、かなり評価が割れる作品であることは間違いなさそう。と自分を慰めてもしょうがないけれど、コンペ審査員には本作の果敢な姿勢が刺さったのだろう。これも映画祭の醍醐味だ。

二等賞の審査員賞には、ポーランドの『Mug』。マウゴジャタ・シュモフスカ監督は『君はひとりじゃない』に次ぐ受賞。僕は前作ほどの出来ではないと感じたものの、監督の実力に疑問を抱くわけではないので、これも納得。

監督賞はウェス・アンダーソン。『犬ケ島』は未見なので悔しいけれど、日本でもヒットしますように。

女優賞はパラグアイの『The Heiresses』の主演女優Ana Brunさん。ここだけ予想が当たった!

男優賞はフランスの『The Prayer』の若き青年Anthony Bajonさん。メインには推さなかったけど、候補のひとりとして名前は挙げたので納得。

脚本賞にはメキシコの『Museum』、芸術貢献賞にはロシアの『Dovlatov』。後者には納得だけど、他の賞もあげたかった!

お気に入りだったドイツの『In the Aisles』が無冠に終わりとても残念。気に入っている人も多くて期待したのだけど…。

そしてラヴ・ディアスの『Season of the Devil』(ベルリン終盤で会った日本人の多くの方が劇中の歌を口ずさんでいた)も無冠。アジア唯一のコンペ作品だったので、やっぱり残念だ。でもまあそうは続かないということなのかな。圧政の歴史を描く今作の主題は重要であり、歌のセリフやシャープな映像も堪能できる一方で、僕はラヴ・ディアスの近作では最も冗長感を覚えてしまった。この物語にあの長さは必要ない。ラヴ・ディアス、毎回長尺がネタになるのはいいのだけど、そろそろメリハリを付けないと先が辛いのではないか…。

アジア映画としては、行定監督が「パノラマ部門」で国際映画批評家連盟賞を受賞して一矢を報いてくれた形になった。

これにてベルリンは完全終了! たくさん考えさせられたし、今年も刺激的なベルリンだった。もちろん、受賞が全てではないので、ベルリン作品の今後の行方も注目していきたいと思う次第。

さて、翌日の26日(月)は職場である東京国際映画祭の事務局に出勤し、バタバタと仕事。

そして27日(火)。ベルリン帰国から40時間も経っていないのに、今度はタイに出張! 行き先はチェンマイの郊外にあるリゾート地。そこで東南アジアの若手フィルムメーカーたちのプロジェクトを精査して応援する「SEAFIC Lab」というワークショップが企画されており、僕はアドバイザー的立場で招聘されたのだ。僕がアドバイズできることなどあまりにも限られていて、かなり躊躇したのだけれども、せっかく誘われたのに断るのも消極的過ぎるし、若手監督たちと交流できるチャンスであるので、参加することにした。留守が続いて職場には迷惑をかけてしまうので、成果を上げてこなければ。

ということで、27日は6時に起きてパッキング。チェンマイ周辺は23,4度らしいので、Tシャツを中心に選ぶけど、昨日までコートにマフラーだったので、何を持って行っていいのかうまくイメージできず、時間がかかってしまう。

家を出て、途中で銀行のATMによって現金を引き出し、駅について山手線に乗ろうとホームで電車を待っていると…。携帯がない。ああ、ATMの台に置いたのを思い出した。ああー、集中していなかった! 慌てて駅を出て、トランクを引きずりながら銀行にダッシュ。幸い、置き忘れた場所に携帯があり一安心。普段からものを失くさないのが自慢だったのだけど、最近少し怪しい。気を付けよう。

空港には予定より30分遅れて到着したものの、大勢に影響はなし。やれやれ、ということで11時45分のバンコク行きの便に乗る。バンコクまで約6時間。時差が2時間あるので、現地時間の16時台にバンコク到着。飛行機から下りると、むわっと暑い。おお!

飛行機を乗り換えて、18時40分の便でチェンマイへ。約90分のフライトで20時半くらいに着陸し、迎えにきてくれた車に乗り、さらに30分ほど走る。真っ暗で何も分からないのだけど、とにかくリゾート的な区画に着いたらしい。スタッフの方が僕に割り当てられたコテージに入り、22時。なかなかに疲れた!

ともかくほとんど準備をする時間もないまま乗り込んでしまったので、手探り状態だけれども、明日からの展開を楽しみにしつつ、早々に就寝することにする。

(ここまで書いてから3日経過)

本当は毎日日記を更新するつもりだったのだけど、どうにもうまく時間が使えなくて今回は断念! いまは帰国便の中、ここ数日の内容を書いてみよう。

まず、今回のワークショップ(あるいはLab、ラボ)は、東南アジア諸国から企画を募集し、選ばれた5つのプロジェクトからプロデューサーと監督が参加し、彼らに対してレクチャーや勉強会が行われるもの。

タイのペンネーク・ラッタナルアーン監督やシンガポールのブー・ユンファン監督作品の製作を通じて一気に国際的なプロデューサーに成長したレイモンド・パッタナーウィラクーンさんが主宰で、まずは彼が自らの豊富な体験談を交えながら、国際共同製作のノウハウについて詳細なレクチャーを行っていく。

初日はレイモンドの話が4時間続き、猛烈に濃密だ。5つのプロジェクトの内訳は、シンガポールから2件、タイとインドネシアとラオスから1件ずつ。それぞれのプロデューサーが熱心に耳を傾ける。どうして国際共同製作が有効なのか、いかにして共同製作者と出会うか、脚本をいかにして磨き上げるか、世界各地で行われているアーティスト育成ワークショップの中でどれに参加するのが有益か、企画マーケットにどういう種類と特色があるか、そこに参加するにはどうすればいいか、実際に国際共同製作が実現した暁には予算上でいかなる点に留意すべきか、有力映画祭が備えている製作ファンドにどうやってアクセスするか、そしてそれぞれの製作ファンドで注意すべき点はなにか…。

5つの企画の全てが新人監督の長編1本目の企画だけれども、想定している製作費はいずれも3千万円から1億円だ。自分の物語を持つ監督がプロデューサーを見つけ、ともに企画を練り、国際的なアピールポイントを加え、世界各地で予算を探す。そうすることで企画が鍛えられ、世界に通用するようになり、カンヌのような有力国際映画祭にいきなり選定されることも夢ではなくなる。

日本の新人監督の初長編で1千万を超えるものは滅多にないだろう。数百万か、数十万の場合もある。もちろん、魅力的な物語とヴィジョンを備え、才能あふれる監督をそこで発見することも少なくない。しかし、予算の差は残酷なほどに映画に影響し、数年かけて国際共同製作で作り上げた海外の新人監督の作品と比べると、どうしても見劣りしてしまう。

良くも悪くも、日本では超低予算でも作品が作れてしまうし、ある程度コンスタントに劇場公開も期待でき、そしてある程度の満足感も得られるのだろうと思う。ある程度のところで完結し、あまり海外に出向く必要がないのだ。それが悪いことだとは必ずしも思わないけれども、国際的な「競争」からは確実に遅れる。海外の製作者と接する機会の多い身としては、やっぱり相当にもどかしい。初日のこのレクチャーで語られた知識を備えている若手プロデューサーや監督が、いったい日本にどのくらいいるだろうか。

若手に共同製作の知識と実践方法と国際感覚を教える場としては、東京フィルメックスが関わっている「タレンツ・トーキョー」が日本においてはほぼ唯一であり、とても貴重な場として機能している。そしてもっと同様の機会を増やして行かないと、日本の映画はなかなか面白いことになっていかない。

日本ではコミックや小説の原作でないと大きな企画がなかなか通らないけれど、国際共同製作ならば独自の企画を、それなりの予算をかけて作る道が開ける。国際共同製作の方が自由なのだ。他のアジア諸国も、本国では通らない企画を実現させるべく、海外に目を向けている。自由を手に入れるために、世界中のクリエーター/製作者が日々奮闘している。その仲間入りを日本にもしてほしい。僕も傍観していては許されない立場なので、何が出来るか必死に考えて実践しないといけない。

日本にももちろん国際経験豊富なプロデューサーはいるけれども、全然足りない。本当に、このままだと袋小路が迫りくる一方だ。幸いにも深田晃司監督や富田克也監督、濱口竜介監督といった才能が海外を意識して活動してくれている。彼らをさらに支援できる体制や、彼らに続く存在を育成する仕組みを作ることが急務なのだが、そのためには映画作り云々以前に映画学校や映画大学で英会話を必修科目にすることから始めなければいけないし、道は長い。でも何事も遅すぎるということはないはずだ。

ということをずっと考えながら一日を過ごし、しこたま刺激を受ける。夕方は、フランスのプロデューサーであるドゥニ・ヴァスランさんによるケース・スタディーが行われ、彼が手がけたベトナムとフランスとの共同製作作品の体験談が語られる。その作品がベルリン映画祭のコンペティションに選ばれたこともあり、これまた東南アジアの若手プロデューサーにとっては極めて貴重な話に違いない。

講師やアドバイザーには、シナリオ・コンサルタント、海外セールス会社経営者、プロデューサー、そして僕のような映画祭関係者が参加している。シナリオ・コンサルタントは監督たちに密着し、グループ・ミーティングと個別ミーティングとを繰り返し、現段階の脚本を分析していく。そして夕食後には、各アドバイザーが各企画と個別に向きあい、45分間意見を述べる時間がある。

全ての企画がまだスタート段階なので、シナリオも第1稿程度だ。僕はシナリオ・アナリストではないので、細かい指摘は出来ないけれども、映画祭作品選定者の視点から完成作品をイメージし、そこから逆算し、この設定は余計なのではないかとか、あるいは逆にここはとても感情を揺さぶられるので残すべきだとか、プロデューサーと監督に対して懸命に、そしてできる限り誠実に話してみる。こういうことに慣れていないので、こちらも必死だ。

ちなみに、これらの面談で何を指摘すべきかをベルリンの帰りの飛行機からずっと考えていたのが、ブログが更新できなった原因。細かいニュアンスを伝える英語がとっさに出てくるかどうか自信がないので、事前にかなり考えておく必要があり、チェンマイのリゾート地(というよりは高齢者向けの保養地)にいながらもあまり気が休まる時間がない。

僕が映画祭選定業務で作品に接する場合、大抵がポスプロ(仕上げ作業)段階なので、企画のスタート時に立ち会う機会は滅多にない。つまり、今回のワークショップは、僕はアドバイザーという立場でありながら、実はいちばん勉強させてもらっている立場だったりするのだ。

2日目は、映画祭を中心にしたレクチャー。東南アジアの作品が世界中で公開されるチャンスは大きくなく、発表の場は必然的に映画祭が多くなる。前日に引き続きレイモンドさんが映画祭についてかなり細かく説明し、映画祭戦略がいかに大切かを説いていく。その途中に僕も映画祭関係者の立場から発言し、作品選定のプロセスなどを説明する。

主要映画祭を分類し仔細に分析し、話は尽きることなく、10時からランチを挟んで18時まで延々と続く。強烈なメニューだ。夕食後にまた個別面談。

3日目の最終日は、海外セールス会社について。プロデューサーにとって、作品の権利を売買してくれる代理店的存在であるセールス会社の存在はとても重要だ。どうして重要なのか、どうやって会社を見つけるのか、どうやって選ぶのか、彼らの正確な役割はなんなのか、契約金や手数料の仕組みはどうなっているのか、契約書はどういう形式で、どの項目に注意すべきなのか…。

全くもって濃密だ。ふうー。マッサージや寺院観光などのオプショナル・ツアーも組まれていたけれども、この貴重な機会を逃すのはあまりにももったいなく、僕は3日間全てのレクチャーに立ち会い、確認と発見に満ちた充実の時間を過ごすことができた。もともとマッサージにも観光にも興味がなくてよかった!

夜の最後の面談が終わり、全てのプログラムが終了。ワインを手に打ち上げ。東南アジアの若手監督やプロデューサーと出会えたことはとても嬉しいし、業界のベテランである他のアドバイザーたちの知己を得たのもありがたい。

3日(土)の朝にチェンマイからバンコクに飛び、2時間ほど時間を潰してから羽田行きの便に搭乗。なぜか周りに乳幼児がとても多く、定期的に泣き叫びの連鎖が起き、隣のおばあちゃんは孫娘と「あっちむいてホイ」で盛り上がり、バタンバタンと座席を揺らす。ああ、久しぶりの苦行だ…。ヘッドホンで逃げ、このブログをパタパタ書き、そろそろ東京に近づいてきたはず。

あ、マッサージも観光もなしと書いたけど、昼夜の食事が全てタイ料理で至福だった!

(写真はプロデューサーやセールス会社経営者などからなるアドバイザー・チームの面々)
《矢田部吉彦》

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