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【MOVIEブログ】2019カンヌ映画祭 Day11

1時間並んで見たのは、コンペでアブデラティフ・ケシシュ監督新作『Mektoub, My Love: Intermezzo』(写真)へ。そしてこれが大変な問題作であった!

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(c)Quat’Sous Films / Pathe Films / France 2 Cinema / Good Films / Bianca / Nuvola Film "Mektoub, My Love: Intermezzo"
24日、金曜日。10日連続3~4時間睡眠でも何故か起きられてしまうのが映画祭マジック。今朝も7時半に外へ。

1時間並び、8時半からコンペでマルコ・ベロッキオ監督新作『The Traitor』。実在したシチリアマフィアの大物で、司法取引に応じたトンマーゾ・ブシェータの人物像に迫る物語。彼の証言によって、莫大な数のマフィア関係者が逮捕された。大昔の話ではなく、ほんの10数年前の話である。

しかし、覚悟はしていたのだけど、やはり大量の会話と固有名詞が飛び交う序盤に付いて行くのが大変で、誰が誰で、そして誰が誰を殺してどういう状況になっているのか、しばらくさっぱりわからない。字幕を追っているだけで大変で、早々にイタリア人以外の観客は挫折してしまうのではないかと懸念してしまう。かく言う僕も、付いて行くのに必死だった。

しかしそこは流石のベロッキオ、貫禄の演出と絵作りで有無を言わせず引っ張り、やがて混沌とする法廷が舞台となる中盤から映画も落ち着いてきて見応えが増す。物語は80年代から現在に至り、同時代にこんなことがイタリアでは起こっていたのかと震撼するばかりだ。

とはいえ、本作は1度見ただけでは理解が及びきれないので、何とか再見したいところ。そしてトンマーゾから証言を引き出したジョヴァンニ・ファルコーネ判事を主人公にしたHBOのドラマも見ておいた方が良さそうだ。

続いて11時45分から「ある視点」のクリストフ・オノレ監督新作『On A Magical Night(Chambre 212)』へ。主演にキアラ・マストロヤンニ、共演にヴァンサン・ラコステ、バンジャマン・ビオレ、キャロル・ブーケなど。20年連れ添った夫婦に訪れる危機をコメディータッチで描く物語。

結婚生活を維持するためには他所でセックスすることくらい当たり前、と言い放つ妻に対して夫は深く傷つき、妻は結局向かいのホテルにチェックインしてひとりで過ごすことにする。しかしその部屋に25年前の若い夫や、夫の若い時期のあこがれの女性など、妻の脳内人物が次々に現れ、彼女は自分の人生と結婚生活を見直していく…。

有名監督に有力キャストということで期待させる作品であったけれども、僕はあまり乗れなかった。気を利かせているであろうセリフのやり取りや設定があざとく感じられてしまい、それが狙いなのかもしれないけれども、いささか退屈してしまった。残念。

13時過ぎに上映終わり、次まで時間があるので簡易中華でランチを頂き、お土産を少し買い、ホテルに戻って少しパソコンを叩く。15時半にホテルを出て、隣のカフェでコーヒーを飲んで映画鑑賞ノートを書き、16時過ぎに上映会場へ。

1時間並んで見たのは、コンペでアブデラティフ・ケシシュ監督新作『Mektoub, My Love: Intermezzo』(写真)へ。当初4時間と発表されていたけれど、ギリギリまで編集作業をしていたようで、3時間半の作品になっていた(これが完成版となるかどうかは分からない)。そしてこれが大変な問題作であった!

90年代初頭の南仏を舞台とした、20代の青年アミンの青春を描く3部作の2作目にあたり、アミンと友人たちの人間模様が描かれる。これが一応の概略だけれど、本作では午後から夜明けにかけての一晩の「物語」であり、人間模様というよりは、青春の刹那の一瞬を切り取ったスナップショットだ。物語らしきものはあまりない。

冒頭、ビーチで若い男女が他愛ないおしゃべりを続ける。40分間に及ぶおしゃべりシーンに続き、場所はクラブに移動し、ヴァカンスを満喫する若者たち(特に女性たち)が激しく腰を振って踊る姿が延々続いていく。普通の映画1.5本分の時間が、クラブシーンのみに費やされる。大音量のEDMに乗せて、フロアの若者たちは踊り続ける。

誰も試みたことがない過剰性を喜ぶ人もいるかもしれないけれど、鑑賞者の体感としては拷問的な反復の時間が永遠に続いていく。これはもはや実験映画か、現代アートのインスタレーション映像の領域であり、でないとすれば、何をやっても許される「巨匠病」だと叫びたくなる。

だがしかし。激しいオーラルセックスシーンを挟み、クラブシーンが3時間続くとなると、うんざりの状態を通り越し、やがてトランス的な状態に陥っている自分を自覚する。

実際、#Me Too以降の時代に、半裸に近い若い女優たちの尻を2時間以上も振らせ続けることからいかなる批評性を読み取るべきなのか、お手上げではある。無限に続く尻振りダンスを経て、映像に晒される肉体はもはや欲望の対象となることをやめ、抽象化され記号と化してくる、ということなのか…。

もっとも、劇中の若者たちは欲望にまみれているのが厄介なのだけど、ケシシュの分身的なアミン青年だけは欲望と距離を置いている点が、否が応でも深読みを誘う。肉体を抽象化するのではなく、男女の欲望の基本を再提示し、物事の根本に立ち返ってみる意図だったのだろうか…?

そして3時間半を完走すると、何か凄いものを見たのではないかという気になっていく。自分が見た尻とは、尻でない何かだったのだ。「巨匠病」ではなく、巨匠にしか許されないチャレンジが行われ、映画の地平が広がったのだ。映画の時間の概念をも変えたのだ…。

いや、果たして、そうなのか。そんなにすぐに答えは出ない。しばらく考えなければならない…。

上述のように、本作はケシシュ監督の前作『Mektoub, My Love: Canto Uno』(17)の続編にあたり、本作の副題の「Intermezzo」は間奏曲の意味。「Mektoub(運命や宿命という意味か)」シリーズは当初から3部作の構想が報じられており、本作がいかにも「間奏曲」的な作りであるため、明確に発表されてはいないけれども3作目もあるのかもしれない。1作目を見直しつつ、恐れを抱きながら3作目を待つことにしよう。

完全に呆然としながら外に出て、同じ劇場に並び直し、21時半から「ミッドナイト・スクリーニング」(の再上映)の韓国映画『The Gangster, The Cop, The Devil』へ。痛快娯楽犯罪映画で、なんといってもマ・ドンソクの魅力には抗い難く、満足。

ホテルに戻り、同僚と合流してケシシュの解釈を語り合うものの結論は出ず(出ないどころか近づきもしない)、全くまとまらないブログを書き、そろそろ2時。明日がいよいよ最終日だと思うと、なんだか今年は例年以上に寂しいなあ。

明日(25日)の夜に審査発表なので、恒例に従い、ここでも予想をしないと。これを書いている24日深夜現在で、コンペで見ていないのは:タランティーノ、テレンス・マリック、ディアオ・イーナン、エリア・スレイマン、ジュスティーヌ・トゥリエ。結構あるな。タランティーノは見ずに終わってしまうけれど、残りの作品は明日の再上映で見るつもり。

ということで、明日のブログを書くころには発表されてしまっているコンペの受賞予想を見た作品の中から挙げてみると、まず僕が受賞に値すると考える作品は、ケン・ローチ、ラジュ・リ(『Les Miserables』)、アルモドバル、ポン・ジュノ、ジェシカ・ハウズナー(『Little Joe』)、セリーヌ・シアマ(『Portrait of a Lady on Fire』)

その中で、パルムドールは、ずばりポン・ジュノ。審査員特別賞にセリーヌ・シアマ。監督賞にラジュ・リ。んー、どうだろう。個人的な好みのベストとしてはケン・ローチなのだけど、んー、どうかな…。

ともかく今年はハイレベルの争いであり、イニャリトゥも困っているに違いない !楽しみに待とう!
《矢田部吉彦》

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