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【レビュー】韓国映画の母と娘の幻想を打ち破るリアリズム『同じ下着を着るふたりの女』

『同じ下着を着るふたりの女』とは実の母と娘のこと。これまでの韓国映画ではあまり見ることのなかった母娘の壮絶な愛憎関係が痛々しいまでに描かれている。

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『同じ下着を着るふたりの女』
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先日の第59回百想芸術大賞がそうであったように、韓国ドラマでは女性主人公や女性脚本家らの作品が高い評価を集めている。映画界でも興行収入を稼ぐ大作映画としてはまだまだでも、インディペンデント映画には日本でも話題を呼んだ『はちどり』のキム・ボラから、ぺ・ドゥナと再タッグを組んだ『あしたの少女』のチョン・ジュリ、キム・へスを主演に迎えた『ひかり探して』のパク・チワン、『野球少女』イ・ジュヨン主演の『なまず』のイ・オクソプなど、今後が楽しみな同世代の女性映画作家たちが次々と現れている。

『同じ下着を着るふたりの女』という、風変わりなタイトルの長編デビュー作を手がけたキム・セイン監督は、この系譜に連なる新時代の女性映画作家の1人だ。“同じ下着を着るふたりの女”とは実の母と娘のことではあるが、これまでの韓国映画ではあまり見ることのなかった母娘の愛憎関係が痛々しいまでに描かれている。


>>『同じ下着を着るふたりの女』あらすじ&キャストはこちらから


母娘関係の幻想を打ち破る!?


例えば、ベストセラーを映画化したキム・ドヨン監督『82年生まれ、キム・ジヨン』には、ワンオペや姑との関係、再就職の困難などから心を病んでしまった現代に生きる娘(チョン・ユミ)の悲痛に共感を寄せ、申し訳ないと涙を流す母(キム・ミギョン)が描かれていた。『はちどり』でも父や兄に叩かれ、大好きな先生が突然いなくなった娘(パク・ジフ)のために好物のチヂミを作る母(イ・スンヨン)の姿があった。

『野球少女』で生活のために自分の人生を犠牲にしたと語った母(ヨム・ヘラン)が、プロ選手になりたい娘(イ・ジュヨン)の夢に反対を続けていたのは、その道を進むことの苦労から娘を守るためでもあった。そこには自分が通ってきた道をわが娘には歩んでほしくない、少なくとも自分以上の幸福をつかんでほしいという切なる願いが込められた愛情があった。

ところが! 『同じ下着を着るふたりの女』に登場する母と娘はまるで違う。娘イジョン(イム・ジホ)と同じ下着を共用し、娘が洗濯している傍から、まだびしょ濡れの下着をそのまま履いて気ままに出かけていく、それが母スギョン(ヤン・マルボク)である。“毒親”と呼ぶには簡単すぎるほど、娘はおそらく毎時毎分毎秒「なぜ、この女が母親なのか?」という問いを続けてきたはずだ。

なのに、娘は母のもとから去ることができない。学習教材を販売する会社でアルバイトをする娘は「お金が貯まるまで」を言い訳に、30歳を目前しても母と一緒に暮らしている。

最近の作品で母娘関係を描いたものとして、母が校内暴力を受けた娘を突き放し、絶望に突き落とした側の1人となった「ザ・グローリー~輝かしき復讐~」が一瞬思い浮かんだが、本作の娘はそこまで母を憎みきれずにおり、“私を見てほしい”という一抹の寂しさをずっと抱えてもいる。そして母も、娘を一切愛してないわけではない。

本作ではそんな娘がある日、一度、母から逃げてみたことで物語が大きく動き始めていく。


真の解放と自立は、
“自分の下着”を身につけることから始まる


家を飛び出した娘イジョンに理解を示し、受け入れてくれた(かに見えた)のは、おそらく同じ境遇を生き抜いてきた、いま自立しようとしている職場の後輩ソヒ(チョン・ボラム)だった。ソヒは、最初は単なる同僚の親切心として、もしくはパワハラをヴェールに包む上司への反発としての連帯か、イジョンの母娘関係に共鳴した仲間としての本能のようなものが働いたのかもしれないが、やがて依存グセが抜けないイジョンから離れてしまう。

一方、若くしてイジョンを産み、ひとりで育ててきた母スギョンは交際中の男性と再婚の兆しが見えて浮かれるが、彼が自分より娘ソラの機嫌を伺う様子が気に食わない。その男も酷いもので、どこか「夫婦の世界」のあの夫のようなところがある。お互い、うまくいかなくなった母娘ふたりは再会して、また同じ食卓を囲んでしまうのだ。

キム・セイン監督は本作を、『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督や『バッカス・レディ』のイ・ジェヨン監督、上記の『ひかり探して』のパク・チワン監督らを輩出した韓国映画アカデミー(KAFA)の卒業制作作品として手がけた。

東京フィルメックスで本作が上映された際には、「最初に企画概要を書いた当時、母親に対するネガティブな感情をここまでむき出しにした作品は他になかった。他人には共感できない私だけの感情だったら……と不安になり、母子関係の本をたくさん読みました」と吐露し、「(精神科医の)斎藤環さんや(「母がしんどい」の)田房永子さんの漫画といった日本の本にも感銘を受け、スタッフに配って一緒に読みました」と語ったことがある。

「なぜ、この女が母親なのか?」一度もそう思ったことのない娘は幸せなのかもしれない。愛憎が積み重なり抑圧されてきた娘と、それに対してあまりに無自覚で毎日を生き抜くしかなかった母との終わりのない闘い。母と娘のふたりのぶつかり合いは、それはそれは痛いもので、血も付きまとう。

そこからの自立を、誰もが一生身につけていく“下着”というものを通して描いて見せたキム・セイン監督にはただただ感服する。真の解放、自立とは、自分だけの下着を身につけることから始まるのだ。

日本より先にフェミニズムやシスターフッドが現れてきた韓国映画ではあるものの、これまでに描かれてきた様々な立場の女性たちの熾烈な闘い方を思えば、母と娘となった途端になぜか少し“甘く”なってしまいがちではなかったか。本作には、むしろこっちのほうがリアルだと思える生の息づかいがある。痛烈で、激しくて、悲しくても、最も身近に感じられる女性映画となり得るのだ。

『同じ下着を着るふたりの女』はシアター・イメージフォーラムほか全国にて順次公開中。

《上原礼子》

「好き」が増え続けるライター 上原礼子

出版社、編集プロダクションにて情報誌・女性誌ほか、看護専門誌の映画欄を長年担当。海外ドラマ・韓国ドラマ・K-POPなどにもハマり、ご縁あって「好き」を書くことに。ポン・ジュノ監督の言葉どおり「字幕の1インチ」を超えていくことが楽しい。保護猫の執事。LGBTQ+ Ally。レイア姫は永遠の心のヒーロー。

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