アジア太平洋戦争時、陸軍通訳として従軍した永瀬隆。当時、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道建設のタイ側の拠点に派遣された彼は、多くの連合国軍捕虜やアジア人が動員された建設工事で、強制労働、拷問、 伝染病死などの悲劇の全容を目の当たりにする。戦後、鉄道建設の犠牲者の慰霊に駆り立てられた永瀬は、一般人の海外渡航が自由化された 1964年から妻と二人三脚で巡礼を始める。1976年にはクワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍関係者の和解事業を成功させ、86年にはクワイ河平和基金を創設するなど、 「ナガセ」の名は欧米、アジアでも知られる存在となる。タイ巡礼に生涯を費やした永瀬が目指した真の和解とは――。
満田康弘