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【MOVIEブログ】2020年ベルリン映画祭 Day8

27日、木曜日。8時に外に出ると、小雨。気温は2度くらい。ここまで来ると雨にも慣れた。いよいよ終盤戦!

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"Days"(c)Homegreen Films
27日、木曜日。8時に外に出ると、小雨。気温は2度くらい。ここまで来ると雨にも慣れた。いよいよ終盤戦!

9時から、コンペ部門のツァイ・ミンリャン監督新作『Days』(写真)で本日はスタート。

実験映画の領域からツァイ・ミンリャンが通常映画(などという言い方はおかしいけれど)に戻ってきた、という印象を抱く。とはいえ、「作者の意図により字幕はありません」という冒頭のテロップで会場に笑いが起きたように、セリフは無い上に、物語の背景描写や説明も一切なく、フィックスのワンカットが5分~10分持続するのは当たり前で、完全にツァイ・ミンリャンの世界だ。

リー・カンション扮する男が、室内から外の雨を眺める長いショットから始まり、少しずつ彼の「日常」の断面が見えてくる。どうやら首の治療でタイに来ている(と思う)。一方で、別の若い男性の暮らしも描かれる。火をおこし、野菜を洗い、料理を作る。作品は、この2人の人物の邂逅を通じ、絶対的な孤独を痛切に見つめていく。痛く、そして美しい。

2時間に及ぶ特別な時間を終え、ああ久々にツァイ・ミンリャンを見たなあという充実感に包まれる。とはいえ余韻に浸る間もなく、続けて12時15分から「フォーラム部門」の『Frem』というチェコの作品に向かう。

予備知識ゼロで臨んだので、ドローンを駆使し、自然の様子を独特のスタイルで撮影する実験映画なのかな、と思って見続ける。すると、やがて氷が溶けまくっている極地帯が映し出され、気候変動への強烈な告発であることが露わになり、戦慄が走る。とはいえ、啓蒙的な分かりやすいドキュメンタリーではなく、危機感に煽られた純然たるアート作品であり、ナレーションや文字も一切使わず、映像と音が鑑賞者の感覚中枢に直に訴えてくる。

真上の高みから見下ろすドローンの映像には断続的に呼吸音が伴い、鑑賞者の存在が意識される。それは我々の視線でもあり、地球を視察する地球外生命体の視線であるかもしれず、そしてもちろん神の視点でもあり得る。いずれにしても、皆が地球の終わりの始まりに立ち合っている…。

やはり「フォーラム部門」は刺激的で面白い。しかし、切り離された氷片の上で死んでいくセイウチの姿などのショッキングな映像に気分は重くなり、面白がってばかりではいられない。

外に出ると、天気がとても良くなっている。屋台でソーセージとパンを頂く。毎日食べても本当に美味しい(しつこくてごめんなさい)。これで気分も完全に持ち返す。

14時から、「フォーラム部門」で『Window Boy Would Also Like to Have a Submarine』という不思議なタイトルを持つ作品へ。監督はウルグアイ出身の監督の男性。

南米最南端のパタゴニア沿海を旅するクルーズ船に勤務する青年が、船の一室の扉が都会で暮らす中流階級の女性のアパートに繋がっていることを発見する。突如部屋に現れた青年に女性は驚くものの、彼を受け入れ、ふたりは交流する。一方、フィリピンの山村に突然出現した小屋の存在に地元の人々は動揺する。複数の箇所で時空が捻じれ、人と空間が交差していく…。物語は不思議で破天荒だけれど、トーンはとても落ち着いており、妙に惹き込まれる作品だ。

続いて、15時45分から「パノラマ部門」の『Little Girl』というフランスのドキュメンタリー作品へ。

小学校低学年のサシャは、男の子の体で生まれてしまった女の子で、性同一性障害を早くから自覚している。母親はサシャの葛藤を真剣に受け入れ、彼女が幸せな人生を送るように全力を尽くす。しかし学校はサシャが女の子として通うことを認めてくれない…。天使のごとく美しいサシャが世の不条理に涙を流す姿と、両親や兄弟たちの献身に、胸が張り裂けそうになる。

健気に生きるサシャもさることながら、彼女を含み4人の子どもたちを育てる母親も真のヒーローだ。そして、幼年期に性同一性障害が認められた場合、思春期前のホルモン治療がその後に及ぼす影響を予想する難しさも言及され(思春期後に性別意識が「戻る」こともあり得なくはない)、見ている観客としても思わず頭を抱えてしまう。これは実に素晴らしい作品なので、日本での上映も是非期待したい。

今日はずっと同じシネコンの会場で過ごしているので、ハシゴがスムーズ。退場してすぐに並ぶ(まったく焦る必要はないのだけれど)。

続けて17時半から、「エンカウンター部門」でアルゼンチンの監督による『Isabella』という作品。女優兼教員の女性が、シェイクスピア劇のオーディションに備えつつ、自らは電光と色と石を用いた現代アートの展示を準備している。定職に就いていないので、時おり兄に金を無心しなくてはならないことに苦痛を感じている…。

とは書いてみたものの、実際のところはどのような物語なのか、把握が難しい。リニアな物語を解体し、時制をシャッフルして断片を提示していくコンセプチュアルなアート作品なので、物語を追うのは早々に諦めて、解釈の糸口を探しながら見続けることにする。モチーフとなるシェイクスピアの戯曲は、「尺には尺を」。

ヒロインが「尺には尺を」のイザベラ役のオーディションを受ける下りが反復され、戯曲と映画の人物像が重なっていく。そこにほかの現代アートの要素も加わってくる。抽象度が高く、ともかく「尺には尺を」への知識が無いことには始まらず、僕は題名こそ知ってはいるものの浅学にして粗筋を知らず、ちょっとこれは歯が立たない。

自分の学の無さを嘆きつつ、気を取り直して次の上映へ。

19時から、「フォーラム部門」出品のカナダ映画で、『The Twentieth Century』。昨年のトロント映画祭でプレミアされた作品で、それもそのはず、英語圏のトロントと仏語圏のケベックの対立(戦争?)をダークなファンタジー・コメディー仕立てで描く風刺劇。双方の自虐ネタが満載であると思われ、さぞかしトロント映画祭は盛り上がっただろうなあ。

カナダというだけで引き合いに出すことは本当に憚られるのだけれど、ガイ・マディンを彷彿とさせるオリジナルな世界観が突出していて、とても面白い。フェティッシュで、ダークで、強烈な皮肉。

20時半に終わったので、外に出て、ファミレス風のパスタ&ピザ屋さんを再訪し、ボロネーゼのスパゲッティを頂く。手打ち生パスタ的な味わいで、やはりここはなかなかに美味しい!

本日最後は、21時半からの「フォーラム部門」で『Schlingensief A Voice that Shook the Silence』という作品。日本では「イメージ・フォーラム・フェスティバル」で紹介されている、映画監督にして政治的アジテーターでもあったクリストフ・シュリンゲンジーフの破天荒なキャリアを振り返るドキュメンタリー。今年は2010年に50歳で亡くなってしまったシュリンゲンジーフ監督の生誕60年記念にあたり、再評価への道を開くような作品だ。

映画学校の受験を次々に失敗したものの、独学で映画を作り続け、ようやく仕上げた長編がベルリン映画祭の「フォーラム部門」に選ばれたのはいいけれど、ヴィム・ヴェンダースが10分で退場し、続けて400人が退場したという逸話からして堪らない。その後、過激な言動を繰り返し、オーストリア社会の鼻つまみ者と化していく。しかし、彼の頭の回転の速さと、言説の鋭さは並大抵ではない…。

僕はシュリンゲンジーフ監督に対して知識があまり無かったので、とてもありがたい作品だった。

今日は久方ぶりに1日7本鑑賞。充実感。人としてあまりやってはいけないことである気はするけれど、年に一度くらいは良いではないか。0時に宿に戻り、所用をこなしつつブログをのんびりと書いて、そろそろ2時半。ああ、明日はついに出張最終日。さびしい。
《矢田部吉彦》

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