2011年7月、東日本大震災3.11からわずか4か月後。原発事故の傷跡に追い撃ちをかけるように福島県と新潟県に襲った集中豪雨は、両県を繋ぐJR只見線の鉄橋を押し流し、会津川口駅〜只見駅間が長く不通となる甚大な被害を引き起こした。復旧工事にかかる膨大な費用やその後の赤字解消への不安もあり、一時は廃線の危機にさらされたが、地元活性化の生命線を絶やさぬよう住民たちが声を上げた。その中心にいたのは、只見線と奥会津の絶景を数十年撮り続けている郷土写真家・星賢孝だった。奥会津出身の彼は地元の魅力を世界に伝えるため、撮影した写真をSNSなどで発信。また生まれ育った金山町三更集落の廃村で消滅した「渡し船」も50年ぶりに復活させると、国内外から観光客が押し寄せた。しかし2020年のコロナ禍で観光業は下火に。「自分が出来ることをやる」とシャッターを切る彼のカメラに地方再生のヒントは写し出されるのかーー。
安孫子亘