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俳優・杉咲花の魅力を紐解く――作品を背負う姿から感じる“責任と努力”

映画『トイレのピエタ』や『湯を沸かすほどの熱い愛』『楽園』、NHK連続テレビ小説「おちょやん」、アニメーション映画『メアリと魔女の花』等々、幅広い活躍を見せ続ける杉咲花だが、『市子』はひとつのターニングポイントになるのではないか。

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杉咲花『市子』/photo:You Ishii
杉咲花『市子』/photo:You Ishii
  • 杉咲花『市子』/photo:You Ishii
  • 『市子』ポスター©2023 映画「市子」製作委員会
  • 『市子』©2023 映画「市子」製作委員会
  • 『市子』©2023 映画「市子」製作委員会
  • 『市子』©2023 映画「市子」製作委員会
  • 『52ヘルツのクジラたち』 (C)2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
  • 杉咲花『市子』/photo:You Ishii
  • 杉咲花『市子』/photo:You Ishii

杉咲花の単独初主演映画となる『市子』が、12月8日に劇場公開を迎えた。恋人にプロポーズされた翌日に、姿を消した女性・市子。彼女が抱える秘密と他者に背負わされてしまった業(ごう)が次第に明らかになっていく“人間の尊厳を問う”力作だ。

映画『トイレのピエタ』や『湯を沸かすほどの熱い愛』『楽園』、NHK連続テレビ小説「おちょやん」、アニメーション映画『メアリと魔女の花』等々、幅広い活躍を見せ続ける杉咲さんだが、『市子』はひとつのターニングポイントになるのではないか? と思わせる体当たりの熱演を見せている。改めて俳優・杉咲花の魅力を紐解いていきたい。

なお、杉咲さんについて考えるうえで、本稿では「演技(スクリーンの中)」「俳優(スクリーンの外)」の2つの項目に沿って進めていく。通常、書き手にとって後者はなかなか材料に乏しいものだが、取材の前後等で彼女の作品に対する責任感や、俳優としての信念に触れる機会に恵まれたため、その姿勢から受け取ったものを一端でも言語化できればと思う。

人物の“心”をおろそかにしない真摯さ


杉咲さんの演技において、強く印象に残るのは“痛みの感度”だ。俳優の表現力が称賛されるトピックのひとつに「泣きの演技」があるが、彼女の場合はその根源にある感情への潜り込みとそこからの表出が卓越している。つまり、「泣く」のはあくまで結果であって、重要なのは心であるということ。演者として求められる“画”に応えるために「泣く」必要があったとしても、そのゴールに至る感情の積み上げというプロセスの構築がとかく繊細かつ丁寧なため、観る側においては「それは泣いてしまうだろうな」と違和感なく思えてしまう。

涙は、感情が高まった結果流れるものだ。そして、感情が高まっているのに泣けないなんてことは日常生活でごまんとある。自制していたり、涙が出ないことで自分でも動揺してしまったり……。見た目で「哀しい」とわからなくても、心は一色に染め上げられている状態。そうした当人のリアルを理解し、シンクロして他者にもわかる表現にまで昇華する。その途方もない役への優しさは、杉咲さん独自のものであろう。

『楽園』では、親友が失踪した事件の傷を12年もの間引きずる女性の“内に込めた哀しみ”を見事に魅せきった。自分に非はなくとも、二次被害に遭ってしまう絶望と理不尽にさらされながら、表出を意識的に止めてしまっているさまを解像度高く伝えきれたのは、杉咲さんだからこそであろう。直近の出演作『法廷遊戯』の終盤でみせる感情の爆発には圧倒されるが、ただ「演技が凄い」のではなく、一言では言い表せられない「人間そのもの」を感じさせられるから胸を打たれるのだ。

その真骨頂といえる『市子』では、杉咲さんは表層的な「可哀想な人物」として彼女を演じていない。他者的な憐憫にとどまらず、本人の複雑な心模様――利己的なしたたかさも臆せずに表出している。2024年3月公開予定の『52ヘルツのクジラたち』でも、必ずや抜群の“心の解像度”を見せてくれることだろう。

“信じられる”存在であり続ける


これは個人の感覚だが、我々が生きるいまは“不信の時代”であろう――と思わずにはいられない。社会や世界が不安定ななかで何を信じていいのかわからない、他者を信じていたのに裏切られた/幻滅した、というケースがあまりに多すぎて疲弊してしまい、傷つかないために何事にも一定の距離を取るようになってしまった。ある種、諦念と警戒心に支配されがちで、逆にいえば「信じたい」という願いが強まっている状態――。それを個人に限定せず、時代のひとつの風と捉えるなら、こと俳優においては求められる領域が拡張していることだろう。

そんななかで、杉咲さんはスクリーンの中と外で、その真摯さに差をまるで感じさせない。役の人生を背負いながら、作品が照射する社会に横たわる課題や問題から目を背けず、何を伝えられるのか・どういった影響や余波が懸念されるのかについて向き合い続けている。演じてそれで終わりにするのではなく、考え続けるということ。インタビュー等の場で、作品を背負って発言する際に多忙の合間を縫って学び、準備し、熟慮しながら言葉を紡いでいく姿を何度も目にしてきた。

こうした陰の努力は言葉通り、画面に映らない部分ではある。ただ、杉咲花という俳優を語るうえで「これ抜きには成立しない」と思ってしまうほど強固な特長であり、先に挙げた彼女独自の芝居の繊細さや練度にも直結する精神でもあるため、この場を借りて少しだけ紹介させていただきたい。他者が手放しで「信じられる」存在であり続けること――。俳優・杉咲花は、どこまでも高潔な演じ手なのだ。


《SYO》

物書き SYO

1987年福井県生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌の編集プロダクション、映画WEBメディアでの勤務を経て、2020年に独立。映画・アニメ・ドラマを中心に、小説・漫画・音楽・ゲームなどエンタメ系全般のインタビュー、レビュー、コラム等を各メディアにて執筆。並行して個人の創作活動も行う。

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