徳川家光は幕府体制を不動のものにすべく、積極的に外様大名を取り潰していた。その頃、伊予松山二十万石の蒲生家では藩主が病死。蒲生家は嫡子・種丸の家督相続を願い出て、将軍家のお墨付きを下付される。その儀式は6月10日。しかし、幕府重臣・大和守は、その日までに忍者たちにお墨付きを奪還するよう命じるのだった。
山内鉄也