戦時下の1942年、日本はオランダ領東インド、現在のインドネシアを占領。「大東亜共栄圏」を掲げ、解放をうたっていたその裏で、インドネシアの人々には過酷な労働と支配が強いた。ロームシャと呼ばれる労働者を大量に動員し、鉄道建設や軍事インフラ整備に従事させた。過酷な環境下による飢餓や病で多くの命が失われた。やがて日本は敗戦。インドネシアを占領した日本兵のうち、1000人が軍を脱走し、この地に残った。ある者は戦犯を恐れ、ある者は理想を信じ、ある者は愛する人のために。彼らはインドネシア独立戦争に身を投じ、半数以上が命を落とした。生き延びた者たちは、静かに生きていくことを選んだ。「残留日本兵」の子孫は、今もなお「侵略者の子」と呼ばれ続けている。2023年7月、20~30代の日系インドネシア人が、ジャカルタ郊外に元日本兵とインドネシア人が共に戦った歴史を伝えるため「残留日本兵歴史資料館」を設立した。その活動に関わる一人、三世のマリオ黒岩。彼の祖父・黒岩通は日本の占領中、インドネシア・スマトラ島のアチェで、特別警察隊長として、抗日スパイを摘発していた。日本の敗戦後は、独立を認めない連合軍が再び侵攻をはじめると、日本軍の武器・弾薬をインドネシアに引き渡し、自ら部隊を率いて独立戦争の指揮を執った。独立戦争中、黒岩はアチェに暮らすエマと結婚。自身の名をモハメド・アリと名乗り、村長に就任。長男・レオと、マリオの父である次男・ヘンドリにも恵まれた。4年半にわたる戦いの末、独立を得たインドネシア。そこからわずか6年後の1955年、黒岩は家族を残し日本に帰国してしまう。マリオの父、ヘンドリは永い間父に棄てられた思いながら、今もなおアチェで暮らしている。祖父は何者だったのか。なぜこの地に残り、なぜ去ったのか。歴史の狭間に埋もれた家族の記憶と葛藤を辿るとともに、自身のルーツに向き合う旅がはじまる。
小西晴子